第8話 試験

「言葉はわかるみたいだな」


 敷地の中には軍の基地だけでなく、少年少女を軍人へと育成するための施設もあった。陸戦幼年学校という。

 校庭では走ったり木刀を振ったりと訓練が行われ、それを眺めつつベルティアは基地へと入った。


 時雨は職員室の前で彼を待たせた。しばらくすると数枚の用紙を手にして戻ってきた。


「身元がわかるものはあるか」

「ありません」


 廊下は清潔そのもので、適当な空き教室へと二人は入った。「その辺に座れ」


 古いが手入れは行き届いている。廊下を通る軍人候補生たちはみな姿勢良くキビキビとしていた。末端にまで訓練が行き届いている証拠だった。


「混血か?」

「俺は孤児ですので、詳しくはわかりませんが、おそらくはそうです」

「言葉はどうした。綺麗な皇国語だが、孤児院じゃそんなことも教えてくれるのか」

「どこでも仕事ができるように勉強しました」


 時雨は用紙の項目を埋めていく。住所の欄は空いていた。


「名前は」

「ベルティアです」


 居酒屋でそう名乗ったしまった為に、正直になるしかなかった。辻褄のほころびを嫌った。


「姓はないのか」


 どう答えたものか。口ごもっていると、時雨は何かを察した。


「ああ、ないならないでいい。適当に書いておくから」

「あ、ありがとうございます」


 意外とザルではあるが、こっちの方が都合がいい。ベルティアはここにきて初めて顔をほころばせた。


「質問は最後になるが、どうして軍に?」


 これはおいのに語ったことであるが、住むところがあって、給料がいいからである。弟妹への送金のことも伝えた。


「よくいるタイプだな。ここじゃ勉強しながら金がもらえるから。幼年学校の子どもたちも似たような境遇が多い」


 時雨は用紙を折りたたんで懐に入れ、付いて来いと席を立った。


「どこへ」

「言っただろう。確かめるんだ」


 何を、とは聞けない。時雨の背には言葉をかけることができない雰囲気があった。

 連れ出されたのは校庭である。訓練の邪魔にならない端で、ベルティアは一本の木刀を渡された。なんとなくそんな気はしていた。実力を試されるのだと。


「扱えないとは言わせない」

「どうしてでしょう」

「手のひらのタコと、歩き方も少しおかしい。腰に吊り下げるような武器を長く使っている証だ」


 ベルティアはゾッとした。背に流れる汗が冷たい。そのくせやけに体が熱を持つ。

 騎士であると悟られているのか、そうでなくとも怪しい身の上である、渡された木刀一本でティレルまでどう逃げるかを真剣に考察し始めたとき、時雨は快活に笑った。どうやら自然と体が剣を構えていたらしい。


「孤児が武芸の真似事か。師もなくよくぞそこまで頑張ったなあ、貴様の兄弟もそれほどなら、ふふ、その孤児院を買い取ってもいいくらいだ」


 これが猪の由来の一つだろうか、楽観的で直情的、しかし曲がった人物ではない。ベルティアは安藤する反面、ホツマに到着してからの幸運の連続に身震いした。


「は、ははは」


 乾いた笑い、時雨は大様に頷いた。


「それでは一本勝負だ」


 始めの合図と同時に時雨の纏う雰囲気が一変した。

 それは烈火のごとくに熱く、流星もかくやという鋭さだ。全身から発せられる剣林のような見えない衝撃が、ベルティアの感覚をぶち壊した。凄まじい圧力に任務を忘れ、常に傍にいるはずの金と銀の騎士が幻となって見えるようである。


「怖気付いたか。なんなら幼年学校の一年生から始めるか」


 その眼光は獣、まさしく猪である。正眼に構えた木刀はぴたりと喉元に合わせられ、このまま膝を屈したとしても貫かれるだろう。それがわかるほどに、姫昏時雨は加減のない殺気を纏っている。


「これでも近所じゃあ……そう、それなりだったんだんですよ」

「井の中の蛙というやつだ」


 くっくっくと嫌味に笑う時雨、しかし笑っているのは彼女だけではない。


「ええ。ええ。本当にそう。俺よりも強い連中がうじゃうじゃいて、困ったもんです」


 うなだれながらも改めて木剣を構える。片手で遊ばせるその様は、剣術の型にははまっていない。

 煌めいたのは時雨の剣尖、その冴えはただの木剣にはあるまじき鋭さである。

 この突きが貫いたのはベルティアの胸ではなく、陽光を弾くたおやかな空気そのもので、時雨の手に伝わる感触は肉でも皮膚でもなく、硬い木剣の鎬である。


「受けるかよ」


 口笛混じりの気楽さだが、ベルティアはそうではない。閉じているまぶたの奥が無性に疼く。


「殺す気でしたね」

「それがわかるなら、問題なしだ」


 合格だ、と木剣を収めた


「ほ、本当ですか!」

「ああ。これから正式な手続きを行う。今日から入軍だぞ」


 これで堂々と施設内を調査できる。これからの軍の動向も察知しやすいし、時雨に聞けば内部の事情も筒抜けである。

 一気に進展した喜びが、つい表に現れた。無意識に拳を握り、歓喜に震えた。


「軍人になることが本当の目的ではないのだろう」


 時雨は背を向けたまま、ベルティアをぎくりとさせる。木刀の心許なさに、握った拳を硬く握り直した。


「なってからが本番だ。強くなれ、ベルティア。そうしてこそ金も稼げる」


 振り返り、わははとひと笑い。彼女を慕う者は多そうだ、とベルティアは思う。男も女も惚れるような魅力があった。


「は、はい。努力します」

「うむ。この用紙を人事に持っていけ。あとは流れに任せればお前はもう軍人だ。励めよ」


 そうして彼女は去った。何者なのかはわからないが、任務を進捗させた恩人であるし、好まずにはいられない人物だった。

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