第7話 裏切りの第一歩

 ベルティアの見つけた男は、格好は町人らしい着流しだが、所作が違う。常に警戒を怠らない職業的な物々しさがあった。

 跡を追えば気付かれるのではないか。そんな逡巡すら生まれるほどに鋭い気配がある。


 しかし行動は起こさなければならない。向かう先が同じであるということにして、フラフラと酔ったふりで歩いた。

 しばらくすると黒金の門に入っていった。垣根は要所には壁が用いられ、どこまでも伸び、ただの詰所ではないことがわかる。


 開け放たれた門扉の隣には「焔椎真ほつま皇国軍陸戦隊」と木板に墨塗りである。ホツマは海に面しているために、海戦というものもあるが、ティレルには海がない。水上からの接近はないために、そちらには人員を差し向けていなかった。


「あの、すいません」


 二人の番兵がいる。ティレルの言葉がこの一帯の共通語のため、そのまま話した。ホツマとの外交でもこれを用いているし、見張りとはいえホツマの軍人ならば通じると思った。


「げ、丁公か?」

「俺、あっちの言葉はわかんねえぞ」


 ホツマではティレルに丁麗留と字を当てる。丁公とはその丁の字をとった俗称である。


「誰か呼んでこい。たしか姫昏ひめぐれさんがいただろう」

「姫昏? あのイノシシを?」

「猪だろうが呼ぶしかねえだろ! この外人さんは俺たちじゃ持て余すぜ」


 片割れがバタバタと奥に走っていく。「少し待ってな。って、わかんねえか」

 愛想は悪いが、対応は迅速である。ベルティアはその慌てぶりをみてなんだか気の毒になった。


(こんなことなら最初から皇国語で会話すればよかった)


 おいのとは普通に会話していたし、何より騎士は隣国の言語を必修で学ばなければならない。四方を国に囲まれているためどこにでも派遣できるようそうなっていた。


「あの、すいません。実は」


 謝罪を述べようとすると、門番のひとりが戻ってきた。


「どうした。揉め事か」


 単身でありながら声は凛と鋭い。手にした片刃は抜き身であり、すでに臨戦態勢である。


「ひ、姫昏さん。何も刀まで抜かなくても」


 門番はしどろもどろになっている。「こちらの方が、ちょっと」


(この子が、猪?)


 女だ。大きな瞳、細い眉。真っ黒な髪を後ろでくくり、背に見合った長さの足で大股で闊歩する。風にそよぐ濃紺の着物はなんとティレル式で、胸の階級章には銅の星と三本線。


(尉官、少尉だな)

「門番が私を呼ぶということは、すなわち不審者が出たということだろう。ここは軍事の要だ、そこに現れた不審者とは、これはもう斬って捨てても構わないだろうが。姫昏時雨しぐれの名の下に、こいつを斬る」


 猪と影で呼ばれているのも仕方のない態度である。門番は困り顔で、視線を虚空へと彷徨わせるしかできなかった。


「あ、あの、私は不審者じゃありません!」


 手を上げて無抵抗のアピール。時雨の眉が跳ね上がった。


「じゃあ何だ」


 あんた、言葉、と門番は呆気にとられているが、それどころではない。


「ぐ、軍人になりたくてやってきました」


 演技ではなく、真に気後れしていた。真昼間の白刃には、騎士でさえも震わせる魔力があった。


「軍人に? お前が?」

「そうです」

「募兵の広告はもう出ているのか? いつもはすっとろい広報がなかなかに迅速じゃないか」


 兵を欲している。それだけでも価値のある情報だが、兵士を欲するのは軍として当然のことである。ここで逃げ出すわけにはいかなかった。逃げるにしても、入隊希望を口にした以上、撤回は難しいだろう。ごまかしが通用しそうな相手でもない。


「来い。とりあえずどれほどのものか確かめてやる」


 ベルティアは門番に頭を下げ、時雨の背を追った。申し訳ない思いでいっぱいだった。


「あいつ、言葉喋れたのか。最初っからそうしてくれりゃいいのに」

「それよか猪サマに目ェつけられたことの方がやばいかもな」

「俺たちは悪くねえだろ。悪くねえよな?」

「その通り。中に入れたのはあの人だ」


 罪悪感がなくもないが、それはそれとして、彼らはまた見張りに戻った。

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