0日目(2) 心配する彼女
「ぐぉぉぉぉ~~……!」
ひとしきり叫んだ後、俺は姿見の前であまりの現実に、四つん這いになりながら、くぐもった声を出していた。
「彩兄ぃ、美少女が出しちゃいけない声出してるよ」
「うるせぇ! 今それどころじゃねーんだよ!」
「あははは!」
「笑うんじゃねえ!」
俺の状況に面白がっている妹に怒声を上げる。
しかし、沙夜は全然笑うのを止めようとせず、腹を抱えて笑っていた。
……紛いなりにも美少女だってのに、こいつは……。
「……なんだよ、この姿はよ……」
四つん這いから立ち上がり、姿見に映る自分の姿を再度見つめる。
黒曜石のような艶のある腰元まで伸びた黒髪に、星が瞬く夜空を連想させるほどに綺麗な黒の瞳。
可愛らしいよりも、綺麗と評する方がしっくりくる、綺麗系な顔立ち。
体つきも、明らかに変化しまくって、随分と華奢になってるし、しかも……
「胸、でけぇ……」
無駄に胸がでかかった。
なのに、くびれもあるし、肌は白いし……。
なんだこれ。どうなってんだよ、おい。
「わー、すごーい、彩兄ぃ、桃尻―」
「どこ見てんだおめー!?」
「いやだって、彩兄ぃ今服を着てないようなものだし? そもそも彩兄ぃ、Yシャツで寝るじゃん。楽だから―って言って」
「そりゃそうだが……」
だからと言って、兄(今は姉なのかもしれんが)の尻をまじまじと見る妹がどこにいんだよ。
いや、目の前にいるけども。
「それに、ズボンとパンツがずり落ちて、今彩兄ぃ、裸Yシャツ状態だよ? そんな状態で、『どこ見てんだ』はないじゃないですかー」
「……なんて、恥ずかしい姿なんだ、今の俺……!」
まさか、普段寝ている服装が原因で、こんなアクシデントが発生するとか……。
「ふざけんなっ! 俺の男の体を返せよ此畜生っ!」
ダンッ! と、感情の赴くままに、床を力いっぱい殴る。
……いてぇ。
「いやぁ、大変だねー、彩兄ぃ」
「他人事みたいに言ってんじゃねーよ!?」
「いや、あたしからすれば他人事だけど。あたしじゃないし」
「お前妹だろ!? 家族だろ!? 少しくらい心配しろよ!?」
「そうは言ってもねー」
こいつ、たまにウザい時があんのが腹立つ!
今だって、ニヤニヤしてるしよ……!
「まあ、とりあえず着替えたら? さすがに、裸Yシャツはまずいんじゃないっすかねー」
「…………それもそうか。仕方ねぇ……」
そればっかりは沙夜の言う通りだったので、俺は手ごろな服をタンスから引っ張り出すと、それを身に着けた。
「……なぁ、なんかこれ、彼氏のパジャマを着る彼女、みたいなビジュアルじゃね……?」
今の俺の服装と言や、Yシャツにゆったりとしたスラックス姿。
……しかも、体が変化した影響で、俺の服のサイズがまったく合わん。
なので、だぼだぼっとしてるんで、彼氏の服を着た彼女みたいなことになっちまっている。
……ひでぇ。
「でも、かなり可愛いよ? 彩兄ぃ、大和撫子と言わんばかりの和風美少女で、綺麗系の顔立ちだから」
「……嬉しくねぇぇぇぇぇ」
男的に、可愛いと言われるのは、そっちの方面の人間じゃない限り、基本的に喜ばねーよ……。
「いやー、まさか昨日の発言がフラグだったとは。……で、どう? 女の子になった感想は」
「…………違和感半端ねーし、なんか胸と肩が重いしで、今の所いいことがねぇ」
「んー、美少女になったのはいいことじゃないの?」
「んなわけあるかバカ!」
「おー、今のバカの部分可愛いね! ツンデレみたいで!」
「お前バカにしてんの!?」
「ううん? してないよ? というかさ、彩兄ぃの今の声って、かなり可愛い声してるし、今まで通りの口調で話されても、迫力がないんだよね。どちらかと言えば、微笑ましいって言うか、ギャップ萌えと言うか。うん、そんな感じ」
「……褒められてる気がしねぇ」
「いやいや、褒めてるよ?」
……俺、そんなに可愛い声してるか?
「あ、そう言えば彩兄ぃ、もうすぐ八時になるんだけど、朝ご飯まだー?」
「今それどころじゃねーよ!? ってか、え、何? 今八時なのか!?」
「うん。だから起こしに来たんだし」
当たり前だよねー、と付け加えながら、能天気に笑う沙夜。
……考えてみりゃ、俺がこいつに起こされてる時点で寝坊確定じゃねーか!
「やべぇ! さっさと準備しねーと!?」
学園のことを思い出し、慌てて制服に着替えようとして、
「待って、彩兄ぃ」
沙夜に止められた。
「なんだよ!? 俺は今、急いで――」
「学園に行くの、無理でしょ」
「は? 何を言って………………って、しまった。俺今、制服着れねーじゃねーか!?」
そうだよ! 今の俺の体格のせいで、服着れねーじゃん!?
見た感じ、身長はかなり低くなってる……ってか、明らかに百六十を下回ってるみてーだし……元々の身長を考えると、今の制服は着れねー……。
「というわけで、彩兄ぃは今日学園をお休み! そして、電話をしないといけないね!」
「電話って……国か?」
「そそ! ほら、言ってたじゃん? 発症したら、厚生労働省に連絡するように、って」
「そりゃそうだが……」
「それに、こういうのはさっさとしないと、面倒なことになるよ?」
「…………」
いつになく真面目な様子の沙夜に、思わず黙る。
たしかに、沙夜の言う通りだ。
この病気は、あまりの発症率の低さに、レアな病気とされている。
まあ、世の中には数億人に一人、なんて割合のもんもあるらしいが、それでもこの病気はかなり発症率が低い。
そして、発症したと知られれば、厄介になることは自明の理。
過去に、国に届け出ないで過ごしていた奴が、マスコミやら迷惑系の動画配信者やら、地元の野次馬共に囲まれまくって、ノイローゼになった、なんて奴もいるくらいだ。
国に届け出る理由の一つには、そういったことを防ぐ意味合いもある。
つまり、国に届け出ないというのは、裏を返せば『マスコミ? 知らん。取材したい奴らは来ればいい!』みたいな、頭がイカれた奴というわけだ。
もちろん、俺はそんなことを考えるわけもないが。
「……しゃーない。連絡すっか……」
「うんうん、それがいいよ。学園の方にはあたしが連絡しとこーか?」
「あー……そうだな、頼む。すまんな」
「いいよいいよ。彩兄ぃ――もとい、彩姉ぇの頼みだもんね! まっかせてよ!」
「姉呼びはやめろ」
「それは無理! 彩兄ぃはもう、兄ではなく、姉だからね! じゃあ、電話してくるねー!」
「あいよ。……はぁ、連絡すっかね」
バタバタと足音を立てながら、沙夜は部屋を飛び出していき、俺は気乗りしないながらも、仕方のないことと割り切って、電話をした。
「あ、もしもし、厚生労働省 TS課ですか? 実は――」
「む~、彩羽さん、遅いです」
彩羽さんが投稿する時間よりも早く学園に来て、扉の前で彩羽さんが来るのを待つ私。
でも、なぜか今日は時間になっても彩羽さんが来ませんでした。
扉の前に立っていても邪魔だと思った私は、仕方なく自分の席へ着き、大好きな彩羽さんが来るのを待ちました。
でも、彩羽さんが来ることはなく、始業のチャイムと共に、先生が入ってくるだけでした。
「お前ら席に着けー、HR始めんぞー」
気怠そうにしながらも、HRを進める担任の先生。
先生は連絡事項を伝えていたのですけど、私は彩羽さんが来ないのが心配で、つい上の空に。
そんな状態でHRに参加していると、先生の口から彩羽さんに関してのことが伝えられました。
「あー、十六女なんだが、急用で今日は学園を休むとあいつの妹から連絡があった」
先生がそう言うと、クラスの中はにわかにざわつきだしました。
急用……?
「あの、先生。質問、いいですか?」
「なんだ、御縁」
「えと、彩羽さんの急用って……」
「……それに関しては、今は何とも言えんな。気になるんだったら、本人に聞いてみればいいんじゃないか? ってか、あいつから連絡ないのか?」
「はい……」
「そうか。……ま、事情が事情だから、連絡する暇がなかったんだろ。多分、その内来るんじゃないかねぇ」
「そう、ですね。ありがとうございます」
「ああ。……ま、そんなわけなんで、あいつは今日は欠席。明日も来るかはわからんが……まあ、多分来るだろ。そんじゃ、HRは終わりな。今日も一日、しっかりやれよー」
あくびをしながら、先生は教室を出て行きました。
それと同時に、クラスが喧騒に包まれます。
『なぁなぁ、十六女の奴、どうしたと思う?』
『さぁなぁ。あいつ、口調とか外見の割には無遅刻無欠席だし、よっぽどのことがあったんだろ』
『ファンクラブに消された的な?』
『いや、もしそうなら連絡が来るって』
『それもそうか』
『あーあ。御縁さんが可哀そうだぜ』
彩羽さん……どうしたんでしょうか?
恋人の私にも言わないなんて。
……それに、学園に連絡をしたのが、沙夜ちゃんということも気になりますし……。
「御縁さん」
「あ、杉原さん。えと、どうかしましたか?」
「いや、彩羽がいなくて寂しそうだったんで、ちと声掛けに。……それで、あいつから連絡は?」
「いえ、それが全然……」
「そうか。オレの方にも連絡がなくてなー。ったく、あいつは何をしてんのかねぇ?」
「……彩羽さん、何か事件に巻き込まれたのでしょうか?」
「そりゃないな。だってあいつ、『武術を少しかじってるだけ』とか言いつつ、クッソ強いし。事件に巻き込まれたくらいじゃ、最愛の恋人である、御縁さんに何も言わずに休むなんてあるわけないしなー」
「そ、そんな、最愛の恋人だなんて……えへへ」
「……あいつ、愛されてんなぁ」
杉原さんは、私と彩羽さんの関係を応援してくれているので、好感が持てる方です。
告白の時だって、色々と手助けしてもらいましたしね。
……もし、恋人が欲しいと言ったら、お父様にお願いして、誰かを紹介すると言うのもいいかもしれません。
ブー、ブー。
「ん、御縁さん、携帯なってるぞ」
「みたいですね。振動の仕方からして、LINNでしょうか?」
彩羽さんからかな? と思いながら、スマホを取り出して、送信者を確認すると、本当に彩羽さんからでした。
「彩羽からか?」
「みたいです。えーっと、読みますね。『悪い。ちょっと面倒なことになったんで、学園は休む。一応、命に係わるような病気とか事件ってわけじゃねーから、心配すんな。……ただ、明日学園に登校したら、驚くことになるかもしれんが……そこは、覚悟しておいてくれ』だそうです」
「病気や事故じゃないんなら、心配はいらなそうだが……最後の部分が気になるな」
「そうですね。どういう意味なんでしょうか? これは」
驚くことになるということは、外見的な意味合いですよね?
うーん……。
「ま、あいつが心配いらないって言ってるし、別に気にする必要はないんじゃないか?」
「……そう、ですね。きっと何もないですよね!」
「おう、きっと大丈夫だよ。だから、御縁さんはあいつのノートを取ってあげればいいと思うぞ」
「ふふ、そうですね。彩羽さん、勉強を頑張っていますしね。うん、頑張ります!」
「そうそう、その意気だ。どうせ、何事もなかったかのように、明日ひょっこり現れるよ」
「ですね」
彩羽さんのために、色々としないとですね。
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