彼氏×彼女→彼女×彼女になったカップルの日常の話
九十九一
0日目(1) 彼氏が彼女になった朝
ある日の朝。
とある場所の、とある家に住む少年が、
「な、なっ…………なんじゃこりゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」
美少女になっていた。
事の発端は昔々……というわけではなく、普通に現代の日本。
そんな日本の、とある地域の夕方頃、高校生くらいの一組の男女がいた。
少年の名前は、
癖のあるやや長めの髪に、男らしさがある顔立ち、痩せすぎず太すぎないバランスの取れた体は、鍛えられているのか筋肉で引き締まっている。
身長は179センチと高めである。
もう一方の少女は、
艶のあるさらさらなやや青みがかった銀髪のルーズサイドテールに、透き通るような翡翠色の瞳はややおっとりした目元や、優し気な雰囲気も相まって、柔らかな印象を受け、顔を全体的に見ても、すっと通った鼻筋に、柔らかそうな桜色の唇であるなど、かなり整った顔立ち。
体は、均整の取れたプロポーションで、胸はそこそこ大きく、腰はきゅっとくびれている。
肌はシミ一つない雪みたいに真っ白。
身長は、160センチほど。
そんな、傍から見るとやや釣り合っていないと思われがちな二人は、仲良く並んで歩きながら、楽しそうに談笑している。
「それじゃあ、私はこの辺りで」
そして、十字路に差し掛かったあたりで、二人は立ち止まると、少女が別れを切り出した。
「あぁ、気を付けてな。……つっても、心配はいらないだろうがな」
少年の方は、軽く笑みを浮かべ、ややおどけた口調でそう言う。
「むっ~~! 彩羽さんは私が危険な目に遭ってもいいんですかっ?」
すると、ルナの方は頬を膨らませながら、ぷりぷりと可愛らしく怒った。
「そうむくれんなよ。ってか、お前の家の場合、お前を誘拐するような奴が現れようもんなら、そいつが殺されかねねーだろうが」
ルナの抗議に対し、彩羽の方は、今までのことを頭に思い浮かべながら反論する。
彩羽の反論を受けたルナは、
「そ、そこまで物騒じゃない……ですよ?」
目線を横に逸らしつつ、疑問形で返した。
丸分りの反応に、彩羽は思わず苦笑を零す。
「よく言うぜ。……っと、まだ話していたいところだが、そろそろ帰らねーと妹がうるさくなるな。んじゃ、また明日な、ルナ」
会話を切って、彩羽は家に帰る旨を伝えた。
「はい、また明日」
ルナの方も、名残惜しく思いつつも、すぐに受け入れ、二人は軽く挨拶を交わしてから、それぞれの家路に就いた。
「ただいま」
「おっかえりー! 彩兄ぃ!」
彩羽が家に入ると、一つの小さな影が元気いっぱいな声と共に、帰宅直後の彩羽に襲い掛かった。
「沙夜、高校生になったんだから、いい加減抱き着くのを止めろ」
その影の正体は、
彩羽の妹である。
ダークブラウンのショートカットに、くりっとした黒い大きな瞳。
ほんの数週間前まで中学生だった彼女の体はまだまだ発展途上中であり、よく言えばスレンダー、悪く言えば幼児体型と言える。
しかし、本人自体は可愛らしい外見をしていることと、割と人懐っこい性格をしているため、人気者になるタイプではある。
高校生になったばかりの妹に飛びつかれた兄こと、彩羽の反応と言えば、普通に呆れである。
「えぇ~、だって彩兄ぃが好きなんだも~ん」
呆れた反応を示した彩羽に対し、妹の沙夜は『そんなこと気にしないぜ!』といった反応を見せ、その上堂々と好きと口にした。
「お前なぁ…………はぁ、まあいい。とにかく、俺はささっと飯作るから、離れろ」
これ以上何を言っても無駄だと思った彩羽は、注意をするのをやめ、夕食作りをするから離れろ、と簡潔に伝えた。
尚、妹に好きだと言われたからやめたわけではない。
ないったらない。
「はーい! ねね、今日の夜ご飯なに?」
「面倒だから牛丼な」
「やった! じゃあ、あたしお風呂入ってくるー!」
「はいよ」
夕食の献立を聞いた沙夜は、嬉しそうに浴室へと、パタパタと足音を立てながら去って行った。
「困った妹だ。……さて、俺は飯を作りますかね」
ちなみに、いつも帰宅後はこんなやり取りをしていたりする。
夜。
夕食を食べ、風呂に入った後、彩羽は自室のベッドに横になりながら、ルナと通話をしていた。
『彩羽さん、次のお休みはどこへ行きましょうか?』
「あー、そうだな……正直な話、どこでもいい」
『もぅ、彩羽さんはいつもそうですよね! 何か案はないんですか?』
「ねーなぁ。……ってか、俺としてはお前と一緒にいられるんなら、どこでもいいからなんだが」
『はぅっ! い、彩羽さんって、本当にそう言うことを自然と言いますよね……』
「ま、俺だからな」
冒頭部の二人のやり取りやら、今のこの二人のやり取りを見ればわかると思うが、子に二人、実はデキている。
つまるところ、彼氏彼女の関係と言うわけだ。
カップル、もしくは恋人、恋仲とも言う。
ちなみに、付き合い始めたのは、昨年の十二月二十五日、つまりクリスマスだ。
告白したのは、ルナの方だ。
『そ、それはともかくっ、次のお休み水族館に行くと言うのはどうですか?』
「いいんじゃないか? 俺も嫌いじゃねーしな。ってか、ルナが出す案にケチをつけるわけねーし」
『ですよね。……それじゃあ、次のお休みは、水族館に行きましょうね』
「あぁ、了解だ」
『わかりました。それじゃあ、明日も学園がありますし、もう寝ますね』
「そんじゃ、俺も寝るよ。お休み、ルナ」
『おやすみなさい、彩羽さん』
最後にお休みの挨拶をして、通話は切れた。
「……ふわぁ~~~あ……ねみぃ。寝るか……」
通話が終わるとともに、強烈な睡魔が彩羽を襲ってきたため、彩羽はそのまま眠りに就いた。
翌日。
朝六時に起床した彩羽は、自分と妹の沙夜のために朝食を作るべく、着替えてからリビングへ。
手際よく、ピザトースト、ベーコンエッグ、サラダ(ドレッシングは何気に手作り)、スープを作り、テーブルに並べ終えた頃に、沙夜が降りて来た。
「おはよー! 彩兄ぃ!」
「おはよーさん。……お前は朝から元気だな」
「へっへーん。元気なことだけが、あたしの唯一の取り柄! だからね!」
「……それくらい元気があんなら、朝飯を作ってくれてもいいんだぜ?」
「いやー、あたしが料理なんてしたら、爆発しちゃいますぜー、旦那―」
「誰が旦那だ。……だがま、その通りだな。お前、前に火事を起こしかけたしな」
「面目ない」
たははー、と後頭部に手を当てながら、申し訳なさそうにする沙夜。
そう、実は沙夜。
過去にキッチンで火事を起こしそうになったことがあるのだ。
そもそもそれ以前の話として、なぜ、二人の両親のどちらかではなく、学生の二人が家事をしているかと言えば、両親が不在だからだ。
もっとも、死別しているというわけではなく、単純に職場に泊まり込むことが多いからなのだが。
両親が不在なことが多い十六女家は、結果として彩羽と沙夜の二人で家事を分担することになった。
「ほれ、さっさと食わねーと学園に遅れちまうぞ。お前たしか日直っつってたよな?」
「っとと、そうだった。いやー、出席番号が早いから、入学早々こうなるんだよね、うちって」
「ま、あ行だしな。……だが、その名前があ行な上に、珍しい苗字だから覚えられやすいぞ。俺もそうだったしな」
「そうだねー。あたしも、いの一番に覚えられてたし」
「ほう。ってことは、もう友達はできたのか?」
「もちろん! あたしのコミュ力を舐めてもらっちゃぁ困るぜ、お兄様!」
「お兄様呼びはやめろ。あと、学園ではぜってぇその呼び方すんじゃねーぞ」
「了解であります!」
「……ほんとにわかってんのかねぇ?」
ビシィッ! と笑顔で敬礼する沙夜に対し、彩羽は呆れ混じりにそう呟いた。
朝食を摂り終えた後は、二人揃って自分たちが通う『|春ヶ咲〈はるがさき〉学園』へ。
別段、そういう約束とか、そういう決まりがあるわけではないが、昔から一緒に行くことが多かった十六女兄妹は、高校でも自然とこうなっているのである。
尚、登校途中、二人の関係性を知らない者たちからは、
『なんだあの野郎。浮気か?』
『チッ、死ねばいいのに……』
『あんな可愛い娘まで毒牙にかけんのかよ。死ね』
主に男たちからの殺意の籠った視線を頂戴していたわけだが……。
ただそれは、昨年から続く日常の一部なため、彩羽は特に気にした様子はない。
強いて言うならば、めんどくさい、これに尽きる。
と、そんな朝の日常を送りつつ、学園へ到着。
沙夜は四階、彩羽は三階へそれぞれ赴き、自身のクラスへ向かう。
「うーっす」
「あ、おはようございますっ、彩羽さんっ!」
やる気のない挨拶と共に教室へ入るなり、扉の近くで待ち構えていたルナが、彩羽に抱き着いた。
「おっと。ルナ、お前朝から抱き着くんじゃねーよ……」
「いくら彩羽さんと言えども、これだけはやめられませんっ!」
「あぁそーかい……。だが、これを毎日やられる俺の身にもなってくれ。正直、針の筵すぎてつれぇ」
嬉しそうに胸に顔をうずめるルナに対し、彩羽は疲れたような声を漏らす。
実際、彩羽の視線の先には、
『朝から見せつけやがって……クソが』
『ほんと、上手くやりやがったよな、あの野郎……。まさか、美少女転校生をああもデレデレにさせるとか……爆発しろ』
『モテない俺たちへの当てつけだよな、あれ。死ねばいいのに』
まるで、親の仇に向けられるような視線とセリフが、彩羽に向けられていた。
まあ、これも日常と言えば日常なのだが、当事者の彩羽的には、頭の痛い問題である。
「おぉ、おぉ、相変わらずお熱いこって」
「信士、見てたんなら、あそこで呪詛を放ってる奴らをどうにかしてくれよ……」
と、甘々な空間を醸し出す二人に、一人の男子生徒が話しかけて来た。
男子生徒の名前は、杉原信士と言って、彩羽の中学時代からの友人だ。
中一の時にたまたま話して、以後意気投合し、高校も同じ場所に進学しているほどだ。
「それは無理だろー。こういうのは、幸せ税って奴なんだからな。誰も落とせなかった美少女を落としたツケみたいなもんだしなー」
「……俺は、落としたつもりはなかったんだがな」
「お前、そういうの素でやっちゃうしな。まあ、オレに言わせれば? 落とされたのは、御縁さんより、お前の方だとは思うがな。だってお前、『恋愛には興味ない。そっちに割く時間があんなら、趣味に走るわ』ってな具合だったし?」
「うっせ。俺だって人間なんだ。心変わりくらいするに決まってんだろ」
ニヤニヤと、そこ意地の悪い若干の照れを見せながら、彩羽はそう返す。
「まー、告白されても、だーれとも付き合わなかったお前が、御縁さんと付き合ったことが、生きてきた中で一番びっくりだったよ。まさか、転校して来て早々、瞬く間に学園一の美少女を称されるほどの女子を落としたんだからな」
などなど、からかいと少しの驚きが入り混じった感情が含まれた声でそう話す。
実の所、ルナはものすんごくモテる。
昨年の九月頃に転校して来て、その日本人離れした容姿や、物腰の柔らかさ、性格の良さなどから、瞬く間に学園一の美少女、と言われるほどになった。
当時、彩羽は別のクラスだったのだが、色々な経緯があり、二人は恋人関係に至っている。
そして、信士が話したように、彩羽は恋愛に積極的ではない為、噂の美少女にはこれっぽっちも興味を示さなかったのである。
それが今では、ラブラブなカップルなのだから、世の中わからないものだ。
「私、そんな風に思われていたんですね」
「ま、噂でな。……というかルナ、そろそろ離れろ」
「むぅ~、仕方ありません……」
彩羽に言われて、名残惜しそうに離れる。
離れてからも、
「……(ちら、ちら)」
と、上目遣いで彩羽を見ているのだが。
「……ああいうのは二人きりの時だけにしてくれ。こんな一目があるところでは勘弁」
少しだけ顔を赤くしながら、ぶっきらぼうに言う。
「……つまり、人目がないところならいいというわけですね! たしか、五階に使われていない空き教室があったはずです! 二人きりの時にしているように、イチャイチャしましょうっ!」
ざわっ――!
ルナの発言に、クラス内はいっきにざわつきだした。
男子からは怨嗟が。
女子からは、面白そうな鴨を見つけた! と言わんばかりに、恋愛に飢えた目をぎらつかせて。
「そういう言い方をすんじゃねーよ!? 誤解を招くだろうが!?」
色々と問題がある発言をしたルナに、彩羽は慌ててツッコミを入れる。
「誤解、ですか? でも、二人きりの時は、普段できないようなイチャイチャをしてますよ?」
「やめろ!? これ以上俺のヘイトを集めんじゃねえ!?」
「ヘイト、ですか? でも、私は本当にあったことしか言っていませんよ? それに、夜なんてむぐっ――」
「もう口を開くんじゃねぇ!?」
これ以上言わせると、取り返しのつかないレベルにまで男子たちからのヘイトが集まってしまうと思った彩羽は、慌ててルナの口を塞いだ。
『……もしやあいつ、階段を上っていると言うのか……!?』
『や、野郎ッ……許せんッ!』
『クソッ、ここが傷害・殺人なんでもありだったら、どれだけよかったことかッ……!』
が、止めるのが遅かったため、彩羽に対するヘイトはえらいことになっていた。
ちなみにこの二人、実際に階段を昇ってはいるが、今ルナが口にした出来事は別にそっちの方面ではなく、健全な方の意味合いなので、本当に誤解を招く言い方しかしていないのである。
「ははは! いやー、マジで面白いなー」
「笑ってんじゃねえよ!」
面白おかしく笑う信士に、彩羽は怒鳴るのだった。
それからラブラブな二人は、その日の学園も何事もなく終え、家路に就いた。
家に帰り、いつも通り夕食を作り、沙夜と共に夕食を食べる。
『続いてのニュースです。二年前から発生し始めた『TS病』ですが、今年に入ってから十数件ほど確認されています。千万人に一人に発症すると言う、原因不明の病気ですが、万が一発症してしまった際には、国に連絡するようにしてください』
「へー、結構出てるんだねー、『TS病』」
「みたいだな」
テレビのニュースの内容に、沙夜が反応し、彩羽はそれに相槌を打つ。
「不思議だよねー。男の人は女の人に、女の人は男の人になっちゃうんだもん」
「最初見た時は、ガセ情報かと思ったな。結果は、マジだったわけだが」
ずず……と、興味なさげに話してから、味噌汁を啜る。
「もー、彩兄ぃ? もっと反応してもいいと思うんだけどー」
「反応も何も、なんもねーよ。興味ねーし」
「え~? 彩兄ぃ、TS物好きじゃん。現実にこういう病気があるんだから、憧れる~! みたいなのないの?」
「ねーよ。ああいうのは物語だから面白いわけで、現実にあったらただただ怖いだけだろ」
「じゃあ、女の子になりたいと思ったことないの?」
「ねーな。昔の俺だったら、なろうがなるまいがどうでもよかったが、今は彼女がいるんだ。なりたくねーよ。一応、結婚はできるみたいだが、それはそれだからな」
「そっかー。あたし、お姉ちゃんとか欲しかったんだけどな~」
「……お前、それだと兄と言う俺を失うことになるんだが?」
「え? でも、お姉ちゃんという彩兄ぃが代わりに手に入るからOKじゃない?」
「OKじゃない? じゃねーよ。バカじゃねーの? 俺は、今の俺でいいんだよ」
頓珍漢なことを言う沙夜に、彩羽はそう返す。
さて、ここで少し『TS病』というものについて説明しよう。
『TS病』と言うのは、読んで字のごとく、発症した人間がTSしてしまうという、それはもう不思議な病気だ。
男であれば女に、女であれば男になってしまう、そんな病気だ。
発生原因は不明で、突如二年前に発生し始めた病気で、当時は連日ニュースになるほどのとんでもない病気だった。
発症率はかなり低く、千万人に一人とされるが、実際は定かではない。
現在、世界で千件ほどしか確認されておらず、謎の多い病気だ。
一度発症すると、一生その性別で生きていくことになるので、稀に自殺してしまう人も現れてしまうほど、とんでもない病気なのだが……それは海外の話で、日本であれば、むしろTSライフをエンジョイする人の方が多い。
何せ、そういうジャンルの作品が世間一般に見てややマイナーながらも、オタクたちの間では広く認知され、熱い支持を受けているジャンルだからだ。
そういった背景もあり、日本ではそこまで深刻な問題にはなっていない。
というか、この病気を発症すると、大抵整った容姿になるので、それを活かしてアイドルとか、タレントとか、動画配信者になったりする人が多いので、そういう面もあり、さほど深刻視されていないのだが。
ちなみに、大抵は人気が出る。
「でもさー、彩兄ぃがもしかかったら、すっごく綺麗な人になりそうだよね」
「んなわけねーだろ」
「そーかな? でも、あたしたちのお母さんって綺麗な人だし、遺伝的になっても不思議じゃないと思うんだけどなー」
「残念だが、俺は親父似なんでな。母さん似じゃねーよ。というか、それはお前の方だろうが」
「それって、あたしがすっごい美少女って意味?」
「拡大解釈しすぎだろ、お前……。いやまあ、贔屓目無しに見ても、お前は十分可愛いけどよ」
「ほんと? じゃあ、あたしモテるかな?」
「なんだ、お前はモテたいのか?」
「ううん?」
「ちげーなら、なんで訊いたんだよ……」
よくわからない沙夜の返答に、彩羽は呆れる。
沙夜はたまにおかしなことを言うので、今みたいに彩羽が呆れることが多い。
「だって、一度はモテモテになってみたいものでしょ? ほら、ルナさんだってそうだし」
「いや、あいつは色々とレベルが違うだろ。ありゃ、目立つタイプの美少女だが、お前の場合は目立つことはないが、何気にモテるタイプだからな」
「そっかー」
「ったく……。まあ、仮にお前が彼氏を紹介してくる時は、それなりの強さを持っていてほしいがな」
「い、彩兄ぃの基準だと、結構高いよね……?」
「さてな。……ん、この漬物、安い値段の割に美味いな。今後も買うとしよう」
「……彩兄ぃ、主婦みたい」
「誰が主婦だ」
彩羽がぽそりと呟いたセリフに、沙耶が苦笑を浮かべながら、主婦みたいと言うと、彩羽はツッコんだ。
まあ、彩羽は実際家事スキルが結構万能なため、沙耶だけでなく、信士や彩羽と同じクラスだった者たちからは『女子力の塊』と呼ばれているのだが。
「ねーねー、彩兄ぃ」
「あぁ?」
「もし、『TS病』にかかっちゃったらどうするの?」
「んなこと起こるわけねーだろ」
「だから、もしもだってばー」
「……そう言われてもな。……んー……まあ、なんだかんだで普段通りに生活すんじゃねーの? 俺は、常に冷静だからな」
「……え、それって誰のこと?」
「お前、喧嘩売ってんのか?」
「いやいや、そんなことはないよ? でもさー、彩兄ぃって冷静と言うより、単純に表に出にくいだけだと思うんだけど」
「……そんなわけ、ねーだろ」
「今の間は?」
「気のせいだ。……チッ、この肉、もうちょい焼き時間短めにするんだったか。焼きすぎだ」
彩羽は誤魔化すように、自身が作った夕食のメインに対して、感想を漏らしていた。
そんな彩羽を、沙夜はニヤァッとした目で見ていたが。
「……ま、俺がかかることなんて、まずねーだろうしな。変な心配すんなよ」
「んー……それもそうだね! 彩兄ぃがかかるわけないもんね!」
「あぁ、だからほれ、さっさと食っちまえよ。冷めるぞ」
「はーい!」
仲睦まじい様子を見せる二人だったが……この次の日、まさかこれが本当になるとは、二人は知る由もなかった。
「ふぁあ~~~ぁ……ねみぃな……」
夜、妹の沙夜と一緒に夕飯を食った後、俺は自室にて軽い予習復習をしていた。
一応、春ヶ咲学園はそこそこレベルたけーからな。こうして、自主的にやっとかねーと、マジで置いて行かれる可能性がある。
……まあ、学園の授業だけで十分といやぁ、十分なんだが……それはそれだ。
それなりの成績を修めておいて損はない。
学校の成績ってーのは、なんだかんだで教師から信用を得るための、一番手っ取り早い方法だからな。
……と、建前はこんなんなんだが……本音を言えば、ルナと一緒の大学に行くため、ってーのが一番だな。
実際、あいつと付き合うのに、俺はかなりの犠牲を払ったようなもんだしな……。
あいつの家、やべーしな。
……あいつの家族に気に入られはしたが、このままだとものすごい面倒なのは目に見えてる。だからこそ、俺は勉強をしているわけなんだが……。
「はぁ……とんでもねー女を好きになっちまったもんだなぁ……」
そうぼやかずにはいられない。
何の気なしにあいつのことが好きになって、あいつに告白されて、それで付き合い始めたが……まさか、大企業の社長令嬢とは。
おかげで、俺はとんでもない立場になっちまったよ、畜生め。
いや、俺はルナが好きだからいいっちゃいいが……。
……その代償が、あいつの家の仕事を手伝うこと、なんだもんなぁ……。
将来的に、俺は役職に就かされそうだしよ。
社長は、ルナの兄貴がやるらしいから問題ないし、その補佐もルナの姉貴がやるそうなんで、大して問題はないんだが……その直属になりそうでなぁ……。
こえぇ、こえぇ。
おかげで俺は、自主勉強の時間が増えたよ。
「……ま、趣味らしい趣味は、ゲームとかマンガ、ラノベ、アニメくらいなんだが」
それに、勉強をしておいて損はねーしな。
「……おし、この辺で切るか。そろそろ寝ねーと、明日の学園に響くし」
教科書とノートを閉じ、椅子から立ち上がると、不意にぐらりと眩暈がして、その場でよろめく。
危ないと思い、机に手をついて安定させ、頭を振る。
「……なんだ? 今の眩暈は……? それに、やけに眠いってーか……」
……寝不足か、もしくは風邪か何かを引いたか。
どちらにせよ、さっさと寝ちまった方がよさそうだ。
「……んじゃま、おやすみ、っと」
ややふらつく体を動かし、ベッドに横たわると、俺の意識はすぐに眠りに落ちていった。
翌朝。
「―――ぃ!」
「ん……くー……くー……」
「――兄ぃ!」
「……んぁ……っせーな……」
「彩兄ぃ!」
ドンドンドン!
と、扉を叩く音と、さっきから俺を呼ぶ声で、意識が浮上してきた。
……ってか、うっせーな……沙夜の奴、もう少し静かにしろよ……。
「彩兄ぃ! 起きてるのー?」
「っせーな……今起きたとこだよ……!」
「……? 彩兄ぃ、風邪でも引いたー?」
「ハァ? 風邪なんか引くわけねーだろ。何か変かよ?」
「変って言うか……彩兄ぃ、なんか声高くない?」
「そうかぁ……? いつも通りの声………………あ?」
なんだ? 何かが変だぞ……?
意識がハッキリとしてきたら、なんか体のあちこちに違和感があるんだが……。
「とりあえず、入っていーい?」
「あ? 少しくらい待て――」
「ざんねーん! 入っちゃいまし……た……?」
ドバンッ! と、勢いよく扉を開け、いつも通りのバカ高いテンションで入って来た沙夜は、俺の制止を聞かず、いい笑顔で入って来た。
そして、終盤に行くにつれ、言葉が小さくなり、表情もハイテンション笑顔から、驚愕顔に変化した。
なんだ? あいつは、何に驚いてんだ?
「い、彩、兄ぃ、だよね……?」
「? 何を当たり前なことを……」
「……い、いやいやいやいや!? え、だ、誰!?」
「ハァ? 寝ぼけてんのか? どっからどうみても、十六女彩羽だろ? お前の兄の。それ以外の何に見える――」
むにゅん。
「……むにゅん?」
…………なんだ、今の謎の感触は。
今なんか、片膝立てて、腕を乗せたら……ものすごい柔らかい感触があったんだが。
しかもこれ、どっかで触ったことがあるっつーか、割としょっちゅう触ってるような気がするんだが……。
……と、そこで俺は体の一部に、未だかつてないほどの異常があることに気が付いた。
「……なんか、股関が変なんだが」
「いや、変なのは彩兄ぃのリトルボーイだけじゃなくて、体全体だと思うんですが! 特に、その頭と胸!」
「頭に……胸? ……そういや、なんか胸と肩が重い気が……って……ん? なんだこりゃ」
視線を下に下げると、そこには白い二つの膨らみがあった。
沙夜のいたずらか?
そう思って、両手をその膨らみに持って行くと……
「んひゃぅ!?」
「わ、色っぽい声!」
変な声が出た。
…………はぁぁ?
ちょ、ちょっと待て。ちょっと待てよ?
……俺今、どうなってんの?
なんで、でかい膨らみがあんの? 俺の鍛えられた胸板に。
あと、俺って髪の毛は少し長めなくらいで、少なくともベッドに座った時、布団に髪の毛が付くレベルじゃなかったよな?
……それに、今の声だ。
俺、あんなソプラノボイスじゃなくて、普通に男らしい声だったんだが?
………………ま、まさか?
い、いやいやいやいやいやいやいや!?
ないない! 俺が女になってるー、なんてありきたりなことなんざ。
「よーし、沙夜。お前、今の俺がなにに見える? 正直に言ったら、今日の晩御飯は奮発して焼肉に連れて行ってやろう」
「ほんとに!?」
「あぁ、ほんとだほんと。兄ちゃん、約束を破ったことあったか?」
「んー、何気にない」
「何気には余計だぞ、愚妹」
にこっと青筋を浮かべながら笑って、握り拳を作ると、沙夜は少し慌てた。
「じゃ、じゃあ馬鹿正直に言うね!」
「おう、ばっちこい」
「――黒髪黒目の超綺麗な美少女に見えるであります!」
「………………嘘じゃねーだろうな?」
「嘘じゃないであります!」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとにほんとに」
「本気で?」
「あったぼうよ!」
「…………マジ?」
「マジ。そんなに疑うんなら、鏡を見ればいいと思いまーす」
「そ、それもそうだな。……お、おし。行くぞ……」
ド正論な沙夜の提案を受け、俺は意を決して部屋にある姿見の前へ立つ。
そして、俺の視界に入って来たのは、沙夜が言うような――
――黒髪黒目の美少女だった――
「な、なっ…………なんじゃこりゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」
人生で最もでかい声を出した瞬間だった。
……そんな感じで、俺の新たな人性がこうして始まった。
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