第18話 ロマンスフォビア

「ろ、ロマンスフォビア?」


 聞いたこともない言葉に戸惑う。


「前から思ってたんだけど、朱侑はどこか、恋愛を嫌悪している気がする」


「え……。いやいや、何言ってんの?」


 いくら窮地に立たされたからといって、実に荒唐無稽な話だ。


「それこそ、何か根拠でもあるの?」


 私は先程瀬凪にされた質問を、そっくりそのままお返しした。


「何で結婚相手を好きになっちゃいけないの?」


 すると、瀬凪は質問によってこれに答える。


「それは前にも言ったでしょ。理性的でいられなくなるからだって」


 話の方向性が見えない中、私は与えられた質問に答えることに注力した。


「別に、誰かを愛したからって、悪い面ばかりじゃないと思う。好きだからこそ大切にしようとか、尊重しよう、幸せになってほしいって思うこともあるよ。そのために、自分を犠牲にすることも、身を引く選択をすることだって、あるよ」


 瀬凪の言うことも一理ある。それはわかっているのに、諭すような瀬凪の口調に、何故か私はいら立ちを覚えた。


「そんなのは、可能性の問題でしょ。そうじゃないパターンだってあるわけで、恋によって正常な判断が下せなくなることもたくさんある。私はそれが嫌なだけ」


 私の物言いは少し棘があったと思うけれも、瀬凪がそれに怯むことはなかった。


「……そもそもさ、朱侑は本気で人を好きになったことがあるの?」


 それどころか逆にそんなことを言うものだから、私のいら立ちは強まる。


「は? 何それ。バカにしてんの?」


 声を荒げる私に、しかし瀬凪は淡々とした態度を崩さなかった。


「……してないよ」


「そういう瀬凪の方こそさ、本当はロマンスフォビアなんじゃないの? もちろん、瀬凪の場合は嫌悪じゃなくて恐怖の方だけどね!」


 吐き捨てるようにそう言った後に、流石に言い過ぎたかと思ったけれど、瀬凪は小さく笑った。


「流石だね、朱侑」


「……何が?」


 このタイミングで微笑む瀬凪に、少し気味の悪さを感じてしまう。そんな私の心情を知ってか知らずか、瀬凪はその微笑みを崩さぬまま、淡々とこれに応じた。


「そうだよ、僕は恋愛恐怖症ロマンスフォビアだ」


「……」


 言葉を失ってしまった私に、瀬凪はゆっくりと語りかける。


「僕はさ。〝男らしさ〟ってやつが苦手なんだ。昔からそれでからかわれたりもしてさ」


 私は静かに頷いた。『それは分かる』と思ってしまったけれど、口には出さなかった。


「僕は女性を好きになるけど、自分から告白するなんてとてもできなくて。それでも何度か女性と付き合っことはある。けど、どうしたって相手が求める〝男らしさ〟を体現することは出来なかった。頑張って無理したこともあったけど、それは僕にとっては本当にただ無理をしているだけであって、結局うまくいかなかった」


「……うん」


 私が小さく相づちを打つと、瀬凪はクスッと笑った。


「『結婚は究極の束縛だ』って、朱侑は言ったけど。僕にとって、結婚は究極の〝男らしさ〟や〝女らしさ〟を求められるものだったんだ。そう思うと、とてもじゃないけど僕にはできないって思ってた」


 男が気軽には買えない高価な指輪を用意して、男が女にとっての夢のようなプロポーズをして、男が女の家に行って『娘さんを僕にください』なんて言って、男の家に女が入って。


 結婚にまつわるありとあらゆるイベントは、瀬凪のいう〝男らしさ〟や〝女らしさ〟にあふれているのかもしれない。


 別にそうでなければならないということもなく、現に私達は指輪なんて用意していない、プロポーズは私がした、両親とはただお茶を飲んだだけで、姓は私の方を名乗っている。


 それでも過去の私達は、お互いに自分で自分を縛りつけて、結婚を遠巻きにみていた。


 私にとっての『究極の束縛』は、瀬凪にとっては『究極の〝男らしさ〟や〝女らしさ〟』だったのだ。


「だからね」


 瀬凪はそう前置きして、私の瞳をまっすぐに見つめた。


「朱侑は、僕が喉から手が出るほど欲しくてたまらなくて、それでも絶対に無理だって諦めていたことを、現実にしてくれた人なんだ」


 瀬凪の瞳からは、ついに一筋の雫がこぼれ落ちた。


「どうして、それで好きにならないでいられるの?」


 その声は確かに震えていた。

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