第9話 結婚誓約書
「秘密、ですか……」
「はい……」
「……」
「……」
お互いに黙り込んでしまう。長谷川さんは何故かこちらを一切見ない。つまりはそれ程隠しておきたい何かなのだろう。
それが非常に気にはなるが、無理やり聞き出すのは良くない。今回は私のほうが折れることにした。
「……分かりました。単年度更新は止めましょう」
私がそう言うと、長谷川さんはあからさまにホッとした様を見せた。
「では改めて私が離婚条件として出すのは、『他に婚姻関係を結びたい相手が現れたとき』です。もともと恋愛を前提としない利害関係の一致による結婚ですから、他に婚姻関係を持ちたい人が現れたら、それはもう利害が一致しないことになります」
「……そうですね。それは仕方ないです。その場合は大人しく身を引きましょう」
長谷川さんは重々しく頷いた。
「それから『今回決めた諸々のルールをどちらかが継続的に破ったとき』です。それはもう、歩み寄る意志がないものと判断します」
「はい」
長谷川さんは淡々と頷く。先程までの頑なさが嘘のようだ。気のせいかもしれないけれど、心ここにあらずというか、別のことに思考のリソースを費やしているような気もする。
「……私としては以上ですが、長谷川さんはいかがですか?」
それが気にはなるが、『話ちゃんと聞いてますか』とは言えるわけもなく、私は長谷川さんの返答を待つ。
「……あの、離婚条件ではないのですが」
「はい」
「『離婚条件を満たさない限り離婚できない』という条項を追加しても良いでしょうか。つまり、『相手に他に結婚したい人が現れる』または『ルールを継続的に破る』のいずれかの条件を満たさない限りは離婚できない、という条項です」
長谷川さんの瞳は真剣そのもの。何だか本当に離婚だけは絶対に避けたいという意志を感じる。
「……えーっと、分かりました。ではやはりもう一つ離婚条件を加えていいですか」
私がそう言うと、長谷川さんに緊張が走る。
「な、何でしょう」
「『相手のことを恋愛的に好きになったとき』です」
「え」
長谷川さんは固まった。
「え、えっと、それは何故でしょう」
動揺を隠せないでいる長谷川さんに、私は淡々と持論を展開する。
「感情が入り込むと、理性的ではいられなくなるじゃないですか。ルールを無視する可能性があります。例えば先程の離婚条件の一つ目などは特に。それで泥沼になるのは避けたいです」
「えーっと……。それはまあ、そうなんですけど……。いやでも、例えばお互いに恋愛的に好きになった場合はどうです? それでルールに従って離婚するのはバカらしくないですか?」
必死な様子の長谷川さん。しかしその言葉には説得力があった。
「それはまあ、確かに。では『片方が一方的に恋愛感情を抱いたとき』はいかがです?」
私の提案に、渋々ではあるが長谷川さんは頷いた。
「ふう。ではまとめると、『相手に他に結婚したい人が現れる』または『ルールを継続的に破る』または『片方が一方的に恋愛感情を抱く』のいずれかの条件を満たしたら離婚できる。この条件を満たさない限りは離婚できない。ということでよろしいですか?」
「……はい、異存ありません」
こうして私達の長い長い契約交渉は幕を閉じた。そして、その時話し合ったことを書面に起こし、お互いに署名・捺印したものが、『結婚誓約書』である。
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