契約交渉

第6話 食う寝る処に住む処

「本日はよろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


 後日。昼下がりの喫茶店。第一回契約交渉もとい結婚に向けた話し合いを、正式に開催した。


 まずはお互いの宿題として、結婚にあたっての希望条件を書き出してきた。本日はそれをもとに、すり合わせを進めることになっている。


「早速なのですが、まず、衣食住でいうところの住なんですけど」


「はい」


「えーっと、そもそも同居したいですか?」


 そう、そこなのだ。これが一般的な恋愛結婚であれば、そもそも話し合う必要すらないことかもしれない。


 もちろん徐々に『通い婚』『別居婚』『週末婚』といった言葉も浸透し、はじめから同居を選択しない恋愛結婚の夫婦もいるにはいると思う。


 しかし、我々の場合はそもそも四六時中一緒に居たいとか、誰よりそばにいたいとか、そういう欲求がないことを前提としている。


 だから、まずは同居の意思があるかどうかを確認する必要があるのだ。


「僕はできれば同居希望です」


 これに長谷川さんは即答した。


「そうなんですね。私は無理に同居しなくてもいいかなぁと思ってましたけど、どっちでもいいです」


 私の回答に、長谷川さんはほっとしたようだった。


「ちなみに、どうして同居希望なんですか?」


「あ、それは……。あの、恥ずかしながら、憧れです」


 興味本位の質問だったが、長谷川さんは照れたように笑って答えてくれた。そこで、『結婚に夢を持っている』という発言をふと思い出した。


「あの、こう言っちゃなんですけど、私達の結婚って、現代日本ではまだかなり特殊な方じゃないですか」


 私がそう言うと、長谷川さんは不思議そうに頷く。


「あの〜だから、夢が壊れることも多いかもしれないというか……。そういうの、大丈夫そうですか?」


 理想が高いほど現実とのギャップから受けるショックは大きいものだ。


 私の場合は期待をほぼ持っていないから大丈夫だと思うけれど、長谷川さんの様子には少し不安になってしまう。


 何より『こんなはずじゃなかった』なんて思う方も思われる方も不幸だ。これで『やっぱりやめましょう』ということになったとしても、結婚してからうまくいかなくなるよりは良いだろう。


「あ、すいません。大丈夫です。僕も大人ですからその辺は分かっているつもりです」


 こちらの意図に気付いたのか、長谷川さんは慌ててそういった。


「正直、無理だと諦めていたことが実現できそうなことに舞い上がっている部分はあるのですが、少なくとも僕の理想を押し付けるつもりはないです。結婚は、相手がいないと出来ないものですから」


 そうやって、困ったように笑う長谷川さんを、不覚にも少し可愛いと思ってしまった。


「あ、えーっと、はい。すいません、気分が良くないことを言ってしまって」


 照れ隠しに何度か軽い咳払いをする私に、長谷川さんはニコニコと笑いかける。


「いえ、こちらこそ嫌なことを言わせてしまってすいません。でも、ありがとうございます」


 あぁ、この人は謝罪だけではなく感謝が言える人なのだな、とその時思った。


「あの、ただ、同居は希望しているのですが、どうしても譲れないことがあって」


 長谷川さんは遠慮がちにそう言った。


「何でしょう?」


「寝室は分けたいというか、もっと言えば、自分の部屋が、というか、お互いの部屋があるところにしたいです」


 それは私としても願ってもないことだが、あまりに恐る恐るという雰囲気なので、逆に不安になる。


「私としてもそれは是非にと言いたいのですが……。あの、ちなみに、変な理由ではないですよね?」


「変な理由?」


「その……。例えばですけど、何か倒錯的な趣味があるとか?」


 うまい言い回しが思い付かずにそう言ってしまったことで、長谷川さんは慌てふためく。


「あ、違います違います! そういうんじゃなくて、ただプライベート空間がほしいだけです。後、僕、近くに人がいると気になって眠れないタイプで、それもあって」


 その様子があまりに必死で、私の嗜虐心をくすぐられてしまった。


「そうですか、それを聞いて安心しました」


「はい」


「まあ、私は変な趣味がありますけどね」


「……はい?」


「ま、それについては追々話すということで」


「え……あ……えーっと、はい」


 明らかに困惑している長谷川さんを前に、私は吹き出しそうになるのをグッとこらえた。




 このように、私達は仲良く契約交渉を進めていったのだった。

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