第48話 奇跡。

 二人を照らす焚火の炎が揺らめき、岩肌に映し出された重なる二人の影がまるで踊っているかのように揺れる。

 ただ時だけが静かに流れていく。

 再び木の枝が爆ぜる音が洞窟のむき出しの岩に響いた。

リリアはゆっくりとクロウにしがみ付いていた腕を解き、僅かに体を離す。その拍子に、二人を包んでいたマントがはらりと地面に落ちた。


「!」


 リリアは目を大きく見開き、すぐさま紅く染まった頬を隠すように両手で顔を覆った。先ほどまで彼女がしがみ付いていたクロウの上半身は裸だったのだ。

 そして、自分も見覚えのないぶかぶかの上着を一枚身に着けただけの状態で、クロウに抱きかかえられていることに気付いた。真っ赤になっていた顔が一気に蒼ざめていく。

 頬を赤く染め、突然おろおろし始めたリリアの体をクロウは再びマントにくるみ再び腕の中に閉じ込めてしまった。動揺するリリアをまるであやすようにクロウは髪を優しく撫る。


「川へ落とされたことを覚えているか?」


 クロウの問いかけにリリアは答えることができなかった。翠緑色の目を大きく見開き体を強張らせる。その時の恐怖が鮮明に蘇って来たのだ。思わず身を縮め、目を固く閉じる。


「濡れたままにしておくことは出来なかった。それで、この方法しか思い浮かばなかったんだ。すまない」


 律儀にクロウは謝罪する。


(謝る必要なんてないのに……)


 ボルドビア兵によって荒れ狂う川の中へリリアは投げ込まれた。激流に流される中、リリアの記憶は途中でぷっつりと途切れている。なのに、今リリアはクロウの腕の中に居る。クロウが助けてくれたのだ。あの刺すような水の冷たさと濁流に飲み込まれた恐怖を鮮明に覚えている。今こうして生きていることは奇跡としか思えなかった。

 リリアは自らそっとクロウの胸に頬を寄せた。彼の心臓の音が聞こえる。クロウの腕の中にいるだけで、不思議と不安が和らいでいく。

 きっと、ここがリリアにとって一番安心できる場所だからだ。


「戻らないと……」


 クロウの温もりを感じながら、リリアは呟く。

 ゆっくりと顔を上げれば、クロウの澄んだ黒い瞳がじっとリリアを見つめていた。  その瞳に不安げに見上げる自分の顔が映っている。

 本当はずっとこのまままどろんでいたかった。

 だが、リリアには、まだやらねばならないことがあった。


「リリア……」


 クロウの表情が陰った。


「一つ、聞かせてくれ。なぜ、あの橋の上にいた?」


 リリアは、はっとする。

 確かに、クロウには何の状況も説明していなかった。恐らく、戻ってきたばかりのクロウは突然戦闘に巻き込まれ、きっと困惑しているに違いない。


「ボルドビア国が突然攻めてきたの。戦闘になってしまって、その中で、私が考えた作戦にみんなが協力してくれたの」


 しばらくの間、クロウは無言でリリアを見つめていた。


「……分かった」


 静かに、クロウが応じる。

 上手く説明ができたとは思えなかったが、クロウにはリリアが言いたいことが分かったようだ。リリアが微笑むと、クロウは再び強くリリアの体を抱きしめた。


「……おまえの望みは?」


 頭の上から、迷いのない力強い声が聞こえてきた。


(私の、望み……?)


 リリアは顔を上げる。

 この時、リリアには自覚などなかった。

 たが、その顔はただの少女のものではなく、一国の王女のものであった。

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