第46話 洞窟。

 リリアを腕に取り戻し安堵した途端、急激な寒さがクロウを襲う。気が張り詰めていて寒さを感じていなかったのだ。


(濡れたままこんなところに居てはリリアの体温がさらに奪われてしまう)


 一命を取り留めたとはいえ、リリアの命の危険はまだ去ってはいない。クロウはリリアの体を抱え上げ、険しい表情で辺りを見回す。崖下に洞穴があるのを目ざとく見つけると、すぐさま歩き出した。


(戦闘はどうなっている?)


 洞窟へ向いながらクロウは上流へ顔を向ける。

 今、クロウの耳が捉えることができる音と言えば、唸るような川の濁流の音だけだった。それ以外聞こえてくるものは何もない。随分と下流へ流されてしまっていた。こんな状況下では、砦の状態を知る手段は何も無く、助けを期待することもできそうにない。自力でこの状況を切り抜けるしかなかった。

 突然、どこかで馬の嘶きが聞こえた気がした。クロウに緊張が走る。僅かに離れた木々の間をちらりと黒い影が駆け抜ける。

 

(まさか、追手か?)


 ガサガサと音をたてて茂みから飛び出して来たのは、大きな黒い毛並みの馬だ。一瞬、クロウは幻を見ているのかと思った。


「! シェーン……?」


 名前を呼べば、嬉しそうに黒馬が駆け寄って来る。紛れもない彼の愛馬、シェーンだった。驚くことに、あの惨状の中を抜け出し、クロウを追ってここまでやって来てくれたのだ。

 さらに、有難いことにシェーンの背には荷物だけでなく、クロウが脱ぎ捨てたマントも引っ掛かっていた。


「シェーン、こっちだ!」


 リリアを抱え直し、再び歩き出したクロウの後を、シェーンが大人しくついてくる。

 やっとの思いでたどり着いた洞穴は、想像していたより中が広い。


(この広さなら、シェーンごと身を隠すことが充分にできるだろう)


 クロウは穴の最奥にリリアをそっと横たえさせると、急いで乾いた木の枝や枯葉を拾い集め、火を付けた。紅く燃え上がった炎が洞窟内を明るく照らしだす。暖かな炎にほっとする。もちろん、これで安心できるわけではない。

 クロウはシェーンに括り付けていた荷物から自分の着替えを一式無造作に取り出す。上着はリリアの着替えとして使い、クロウは濡れた服を脱ぎ棄てると、下履きだけを履き替えた。

 そして、彼の服ですっぽりと覆ったリリアの体を抱きかかえ、焚火の前にマントにくるまり座る。

 クロウの素肌に触れているリリアの頬は冷たいままで、なかなか体温が戻ってくる気配が感じられなかった。リリアは昏々と眠り続けている。


(このまま意識が戻らなければどうすればいい? 再び彼女の中の精霊が目覚めてしまったら?)


 不安と焦りがクロウを苛む。

 リリアの傍を離れてしまったことを、クロウは酷く後悔していた。


(あのままリリアを攫ってどこか遠くへ二人で逃げれば良かったのか?)


 王城でクロウの名を必死で呼んでいたリリアの姿が思い出された。クロウは胸の疼きに耐えながら、リリアの体に回した手に力を込める。


(もう手放したりしない……)


 まるでその誓いに応えるように、腕の中のリリアが僅かに身動ぎする。ほんの少しだが体温も戻り始めている。


「リリア」


 安堵の声と共に、クロウは穏やかな表情で眠っているリリアの額にそっと口づけを落としたのだった。

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