第42話 国境。

 一国の命運を背負い、リリアはたった一人で歩き出す。

 この場にいる誰よりも小さな背を見つめていたガルロイは素早く愛馬に飛び乗った。


(命に代えて必ず姫様を守る!)


 隣にいたルイもすぐに騎乗する。


「ガルロイ卿」


 背後からの声にガルロイは振り返り、瞠目する。声の主は、この度王女の護衛を担っていたこの騎馬隊の隊長エリンケ・アルビオンだった。彼もすでに騎乗していた。驚くことに彼の背後では騎士達が一人残らず騎乗している。騎乗の合図をガルロイは聞いていない。


(ここにいる者はすべてが自分の意志で騎乗したということか!)


 恐らく理由は、ガルロイと同じ……。


「一つ、ガルロイ卿にはお伝えしたい事がございます」


 エリンケは硬い表情でそう切り出した。


「我らが王女殿下に対して抱く思いは貴方方と何ら遜色はないと思っております。王都からどれほど離れていようとも、ジェラルド様を筆頭に我らアルビオン家に名を連ねる者は皆、国王陛下並びに王女殿下をお守りするためにあると自負しているのです」


 固い意志を感じさせる強い眼差しをガルロイは受け止める。


「このかつて無い非常事態で陛下もジェラルド様も不在の折、どれほど意に反することであっても、王女殿下からの言葉は我らには絶対的な威力があるのです。我らにはその言葉に背くことなど出来ないのです。ですから、我らが一番怖れていることは、殿下からご自身の命を犠牲にする命令なのです」

「!」

「王女殿下の意に沿いながら。あの方の身の安全を守るのが我らの務め」


 背後に控えていた副隊長のロイド・アルビオンも隊長の言葉の後に続き強く断言した。

 ガルロイは愕然とする。彼は後頭部を思いっ切り殴られたような衝撃を受けていた。


(俺は何という思い違いをしていたのか……)


 ふいに隊長の表情が緩んだ。


「……リリア王女殿下は、不思議な方ですね。私はあのお方をこの国の王女だからという理由ではなく、一個人として、何としてでもお守りしたいと、そう強く思っているのですよ」


 その場にいた者達の視線がリリアの背に注がれた。と、その時───


「! ち、違う! 違う違う!! あれは兄上ではない!!!」

  

 捕虜になった男が兄だと訴えていた若者が、悲鳴のような声で叫んだ。腕に赤い布を巻いていた男が、王女が気になったのだろう、一瞬顔を上げたのだ。そのわずかな瞬間を若者は見逃さなかった。

 その声に、弾かれたように捕虜であった男達が一斉に顔を上げた。その中に、仲間の顔は一人もいない。


「罠だ! 王女殿下、お逃げください!」

「突撃! 殿下を守れ!」

 

 隊長の声とほぼ同時に、ベルンシュタイン国の騎士達が一斉に橋に向かって馬を駆る。一方のボルドビア軍側もじっとなどしていなかった。橋に向かって兵が押し寄せて来る。

 だが、橋は馬車一台が余裕をもって通れるだけの幅となっている。ボルドビアの一万もの兵の数はここではまったく意味をなしていなかった。

 しかし、リリアに一番近くにいたベルンシュタイン国の捕虜に扮していたボルドビアの兵士達は誰よりも早く行動に出ていた。先ほどまで足を引きずっていたのが幻だったかのような俊敏な動きで、リリアに襲い掛かった。


きゃあああっ!


 リリアが悲鳴を上げる。すぐに身を反転し逃げようとしたリリアだったが、腕を掴まれ橋の上に引き倒されたのだ。なおも這うように逃げようとするリリアの背中をボルドビアの兵が押さえつけている。


「姫様!」


 鬼気迫る表情のガルロイの前に、捕虜に扮していたボルドビア兵の内四人の男達が立ちはだかる。

 

「どけっ!」


 捨て身のボルドビア兵達によりガルロイ達が足止めされたその一瞬のうちに、偽の捕虜だった男の肩に担がれたリリアの姿がボルドビア軍の中に消えた。


「姫様―っ!」


 ガルロイの絶叫が響き渡る。

 すでにベルンシュタインの騎兵とボルドビアの兵とが橋の上で激突し、混戦状態となっていた。

 そんな中、それは突然起こった。まだ橋の向こう側にいるボルドビア軍の背後で緑色に輝く眩い光の柱が天に向かって伸びたのだ。

 その途端、ボルドビア軍の後方から悲鳴と叫び声が上がり、隊列が崩れ始めた。


「!? あれは、何だ?」

「な、何が起こっている?」


 橋の上で戦っているボルドビアの兵達だけでなく、彼らと剣を交えていたベルンシュタインの騎士達の間にも動揺が走った。敵味方関係なくこの場にいる者すべてがおののく。

 だが、そのような混沌とした状況の中、ガルロイの口角が僅かに上がった。彼の耳は悲鳴や叫び声に交じって微かに聞こえた男の声をとらえていた。


「おやじ!」


 どうやらルイにも聞こえたらしい。敵の剣を弾き飛ばすと顔を輝かせてこちらを振り返った。久しぶりに見る心からの笑顔だった。


「リリア!」


 再びはっきりと聞こえたその声の主は。


「クロウ!」


 待ち望んでいた仲間の名を、歓喜に震える声でガルロイは叫んでいた。

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