第41話 約定。

 ベルンシュタイン国とローラン国との境を流れる川に架かる橋を挟み、ベルンシュタイン国の騎馬百騎とボルドビア軍一万もの兵が対峙していた。

 ボルドビア軍の前には捕虜になったベルンシュタイン国の兵士達が座らされている。


「どうなんだよ! まだ分かんないのかよ!」


 感情も露わに声を上げたのはルイだ。焦る気持ちが温和な彼をイラつかせていた。捕虜の救助を願った者達は俯き唇を噛む。


「ルイ」


 ガルロイは怒りを露わにしているルイの肩を掴んで止める。彼の怒りと焦りはガルロイも感じていた。

 だが、今それを攻め立てたところで何の解決にもなりはしない。それどころか仲間内で争いの種を作ることになりかねなかった。

 しかし、ある程度近づきさえすれば、兵士達が偽物かどうか判断できると考えていたのだが、どうやら甘かったようだ。

 ガルロイは橋の対岸へ視線を向ける。捕虜になった兵士達は全員俯いたまま身じろぎさえしない。これでは偽物かどうかなど判断出来るはずもなかった。


(罠だ)


 そう確信している。

 だが、その一方で、捕虜となった兵士達の仲間や親族の気持ちも痛いほど分かるのだ。偽物だということは、大切な人達の死が現実となってしまうのだから。


「……ガルロイ、降ろしてください」


 静かな声が降ってきた。


「姫様」


 ガルロイは馬上へ視線を向けた。


「ボルドビア軍はこちらの要望を飲み、橋の向こう側まで後退したのです。ベルンシュタイン国の王女として、約束を違えることは出来ません」

「! それは姫様を──」


 ルイはすべてを言い終わるまえに唇をぎゅっと引き結び、まるでリリアを視界から振り切るように顔を背けた。その姿をリリアは悲しげに見つめる。


「ルイ……。ガルロイも、二人には、いつも心配ばかりかけていますね」


 リリアは無理に笑みを浮かべると、ガルロイへ手を伸ばしてくる。その指先は大量の薬を作ったために緑色に染まっていた。ガルロイは心臓を握りつぶされるような痛みを堪える。


(何か……、何か良い策はないのか──)


 焦りだけが募っていく。断腸の想いで馬上から降りるリリアの手を取った。まだどこか幼さが残る王女へ思わず尋ねる。

 

「……本当によろしいのですか?」


 言ってしまってからはっとする。翡翠色の瞳が切なげに揺れる。ガルロイは自分の愚かさを呪った。いいはずなどない。

 だが、リリアは寂し気に微笑んだだけで、しっかりと頷いてみせる。すでに覚悟を決めていたのだ。

 

「どうかしら? 王女らしく見えている?」


 地に足をつけた途端、リリアはまるで心の内を見せないように明るく言った。リリアは兵士達の治療に駆けずり回っている間、砦で働く女性達と同じお仕着せに身を包んでいた。

 だが今は、王都を出発した時に身に着けていた青色の衣装の上に濃紺の外套を羽織っていた。


「───姫様はどんな姿でもとても綺麗で立派な王女様だよ……」


 誰もが口を噤む中、ルイがリリアに告げる。その顔は強張っていた。笑顔を作ろうとしたのだろうが、上手くいかなかったのだ。

 ここ数日の間、太陽のように明るいルイが笑顔をまったく見せていなかった。

 

「ありがとう、ルイ」


 リリアがルイに感謝の言葉を伝える。ちょうどその時、背後の騎士達がどよめいた。


「動いたぞ!」


 橋の向こうで、捕らわれていた兵士達が無理やり立ち上がらされ、歩き出したのだ。ある者は血がこびりついた甲冑を揺らし、足を引きずりながら向かってくる。隣にいる者に体を支えてもらっている者もいる。

 だが、やはり誰も顔をあげることはなかった。


(一人でいい、顔を上げろ!)


 この橋の上でベルンシュタイン国の王女リリアと捕虜となった兵士達とが入れ替わり、王女を手に入れたボルドビア軍はそのまま兵を引き自国へ戻る。リリアとボルドビア国の軍の指揮官との間で取り決めた約定だ。 

 ベルンシュタイン国の国王が不在の今、王女であるリリアがこの場では、すべての権限を持っていた。


「……これ以上この国の誰の血も流させません。では、行ってきます」


 リリアがそう告げれば、ベルンシュタインの騎士達は全員馬から降り、一斉に片膝を付いた。右腕を胸の前に置き、深く頭を垂れる。ベルンシュタイン国では、国王の前でのみする最敬礼であった。

 突然、その中から一人の騎士が転びながら飛び出してきた。


「王女様! お許しください! 私は、私は───」


 以前、リリアに『兄を助けて欲しい』と懇願した若者だった。額を地に付け、声は涙で濡れていた。


「顔を上げてください。貴方が謝罪するような事は何もありません。私はこの国の王女です。私の責務を果たすだけです」


 リリアは蹲る若者の背に優しく触れた。

 そして、再び顔を上げると、しっかりとした足取りで、ただ前だけを向いて歩き出したのだった。


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