第40話 罠。
ガルロイは砦の見張り台にいた。
当然だが、ここからはかなり遠くまで見渡すことができる。あちらこちらで上がっている黒い煙はボルドビア軍に襲われた村からのものだ。
時折、焦げた匂いが風によって運ばれてくる。
おそらく、ボルドビア軍は村々を襲撃したもののすでに人々が避難した後だったために、怒りに任せて火を放って回っているのだろう。
ガルロイは嘗てないほど険しい表情を浮かべていた。その理由はボルドビアに大切なこの国を蹂躙されているからだけではなかった。彼の視線の先では、小さな背が護衛の屈強な男達の間で見え隠れしている。それは、ローラン国との国境へ向かうベルンシュタイン国の王女リリアの姿だった。彼女は自ら人質の交換に応じたのだ。それが捕虜となったベルンシュタイン国の兵士達を助ける唯一の方法だったからだ。
「くっっ!」
無意識に握り閉めていた右手がわなわなと震える。
王女と捕虜となった兵士との交換など有り得ない。特に国王が精霊の子孫であるこのベルンシュタイン国では。
だがしかし、王女リリアは微妙な立場にいた。
シュティル国王の実子ではなく養女だ。さらに、本当の親については一切明かされていない。たとえ誰もが今も敬愛してやまない亡きアルフレッドの忘れ形見であるリリティシア王女かもしれないという噂があったとしても、人とは自分が信じたいものを信じようとする。
もし、リリアがこの人質の交換を受け入れていなければ、初代国王の末裔を崇(あが)める貴族達は、王族でもない者のために貴族である身内を見殺しにされたと憤(いきどお)り騒ぐ者が現れるだろう。貴族出身のガルロイには容易に考えられることであった。もちろん、今のガルロイには愚かな考えだと分かる。命に順位など付けられない。王族も貴族も民も皆同じ大切な命なのだから。
だが、その事に気付かされたのは、恥ずかしいことに行方不明の王女を探す為、城を出て民に紛れて暮らすようになってからだ。
しかし、貴族達には容易には理解できないだろう。その見えない溝がどんどん深まり、今まで築き上げてきたベルンシュタイン国の礎が崩れていくに違いないのだ。まさにベルンシュタイン国の弱点をボルドビア国にうまくつけ込まれたということだ。
(………姫様はそのことに気付いていたのだろうか?)
ガルロイは震える腕を左手で掴んだ。
(いや、おそらく姫様は、ただ捕らわれた兵士達を助けたかっただけなのだ。それが自分を犠牲にすることであったとしても……)
リリアはそういう娘であった。
だが、ガルロイ達を驚かせたのはそれだけではなかった。リリアはただ優しいだけの少女ではなかったのだ。彼女はボルドビア軍に対し、ベルンシュタイン国とローラン国との国境にある橋の向こう側まで撤退するという条件を突きつけたのだ。国境に架かる橋の上で捕虜と王女との交換が行われる。彼女はただ犠牲なろうとしたのではなかった。王都より援軍がかけつけるまでの時間を僅(わず)かでも稼ごうとしていた。
(さすが、アルフレッド陛下の御子様なだけはある………)
ボルドビア側は難色を示すかと思ったのだが、拍子抜けするほどあっさりと受け入れ、実際に後退してしまった。その事にも、かなり驚かされたのだが、ひょっとすると、ボルドビア軍はかなり焦っているのかもしれない。さすがにその理由までは分からないのだが。
(戦とは、相手との腹の探り合いだ。そして、読み間違えれば、負けを意味する)
リリアは安全な砦を出て、今まさに敵の手中に落ちようとしていた。
当然の事だが、捕虜の兵士達が偽物だと分かれば、すぐに王女を砦へ連れ帰るよう手筈(てはず)は整えてある。
しかし……
「くっ!」
ガルロイは唸る。本当は王女の護衛として付いて行きたかったのだ。
だが、指揮する者が他にいない為、砦を空けるわけにはいかなかったのだ。その鬱憤(うっぷん)が、この場に居ない男へ向かう。
「クロウ! どこをうろうろしてやがるんだ!」
「ガルロイ殿」
ふいに背後から静かな声が聞こえてきた。ガルロイは振り返った。
そして、驚く。
そこにはベルンシュタイン国の老将が二人の部下を従えて佇(たたず)んでいたのだ。東の砦を長年に亘(わた)って守ってきた男だった。
しかし、彼もまた『眠り病』に感染者していた。高齢だったこともあり、一時は助からないとさえ思われていたのだが、リリアの薬が効き、一命を取り留めたと聞いていた。
それが、まさかここまで回復しているとは思っていなかったのだ。
だが、やはり顔色は悪い。おそらく、彼に付き従っている男達か、別の側近がリリアの事をこの老将へ報告し、かなり無理を押して様子を見に来たのだろう。
「ベリル殿、そのようにもう動かれてもよろしいのですか?」
「……このような時に、悠長(ゆうちょう)に眠ってなどおれぬわ」
さすがと言うべきか、返って来た返答はしっかりとしたものだった。
しかし、その歩みはあまりに危うい。ここまでその弱った足で登って来たのかと思うと、の男の精神力の強さに頭が下がる思いがした。
ベリルはガルロイの隣に並び立つと、視線を遠くへ投げた。
「……王女殿下には、なんと詫(わ)びれば良いのであろうな。王都から我らを病から救うために急ぎ駆けつけてこられたというのに、このように……。自分の不甲斐なさがどうにも許せぬ」
身体を支えるためであろう、ベリルは壁に手を付いていた。その手に力が入り、壁に爪を立てる。
「ベリル殿……」
爪が剥がれる前にと、ガルロイはベリルの手を取ろうと手を伸ばす。すると、凄い勢いで手を掴まれ、ガルロイは思わず肩をびくりと震わせた。
「ガルロイ卿」
「は、はい。何でしょう?」
「この砦の守りは、私が引き受ける。そなたは、すぐに王女殿下のお側へ行(ゆ)け」
ガルロイの目が大きく見開かれる。
「───よいのですか?」
「良いも何も、早く行け! ……王女殿下にもしものことがあれば、いくらこの砦が無事であろうと、我が国は終わる。必ず王都へ、陛下の元へ無事にお戻りいただくのだ」
ガルロイは大きく頷く。そして、ベリルの手を強く握り返した。
「必ずや、この命に代えても!」
そう宣言したガルロイはベリル達に背を向けると、勢いよく見張り台から駆け下りて行った。
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