第39話 捕虜。

 ベルンシュタイン国の東の砦にいる人々の心情を現すかのような重い雲が空を覆っている。兵士達だけでなく避難している民達までもが周壁上部の歩廊に鈴なりに集まっていた。皆、沈痛な面持ちで見つめる先には、砦を包囲するボルドビア軍の前にベルンシュタイン国の甲冑を身に着けた六人の兵士達が並べられていた。五人は俯いたまま力なく座っているが、残る一人は冷たい地面に横たわっている。おそらく座る事さえ出来ないのだと思われた。


「ガルロイ!」


 ガルロイは弾かれたように振り返った。

 近くに居たすべての者の視線を一身に受けて立っていたのは、彼が敬愛してやまないこの国の唯一の王女であるリリティシアことリリアであった。肩が上下に大きく揺れているのは、急いで駆けて来たからだろう。その背後にはルイが控えていた。すでに何かを感じ取っているのか、いつもの明るい雰囲気は鳴りを潜めている。


「何が起きているのですか?」


 リリアのまっすぐな眼差しがガルロイを射抜く。

 ガルロイは拳をぐっと握りしめた。


「……我が国の兵が、捕虜になったようです」


 ガルロイは眉間に深い皺を寄せ、重い口を開いた。それを聞いたリリアの紅潮していた顔が一気に蒼ざめていく。


「捕虜……」 


 リリアが蒼白な顔でガルロイの言葉を反芻する。その姿に反応したのはジェラルドの側近の一人だった。


「あの場に居る者達は、私を含め、ジェラルド様と共にボルドビア軍を足止めするために出陣していた者達です。撤退時、負傷した者は全員連れ戻す事が出来ましたが、すでに絶命していると判断された者達はその場に置き去りにするしかなく……、その中に息を吹き返した者やまだ息があった者がいなかったとは言い切れません───」


 説明するその表情は苦渋に満ちていた。

 その時、若い兵士が一人、人垣を掻き分けながら駆け寄って来た。酷く思いつめた表情でリリアの足元に跪くと、そのまま地面に額を押し付ける。


「王女殿下! お願いでございます! 私の兄を助けてください!」

「!」

「やめるんだ……」


 驚くリリアを庇う様にガルロイが若い兵の前に立ち塞がる。

 だが彼はガルロイの背後にいるリリアに向かって訴え続けた。


「王女殿下! どうか助けてください! お願いでございます! 王女殿下! あの腕に赤い布を巻きつけているのは私の兄なのです! もうすぐ処刑されてしまう!」

 

 最後はまるで叫んでいるようであった。近くにいた兵士達が慌てて若い兵士の腕を掴み、引き離そうとした。

 しかし、今度はリリアが慌てた様子で引きずられながら連れていかれる若い兵士へ手を伸ばす。


「ま、待ってください! 処刑?!とは、どういうことなのですか?」


 誰もが顔を見合わせ、口をつぐむ。異様な沈黙が流れる中、気丈にもリリアはさらに言葉を投げかける。


「捕まった兵の方々を助ける方法はありますか?」


 やはり誰も何も言わない。

 だが、皆の表情にリリアは何かに気付いたようだった。


「……あるのですね? ガルロイ、教えて! どうすれば、彼らを助けることができるのですか? ボルドビア軍は何か言ってきているのではないのですか?」

「……」

「ガルロイ!」


 懇願するようにリリアに名前を呼ばれ、ガルロイは思わず俯く。おそらく、酷く歪んだ顔をしていたからだ。


「……姫様と引き換えに、捕虜たちを開放すると───」

「私……と?」

「……」


 握り締めていた拳が震える。恐怖からではない。自分への怒りからだった。本当はリリアの耳にいれたくはなかったのだ。

 だが、リリアの言葉には抗い難い力があった。

 ふとリリアが歩き出す気配に慌てて顔を上げる。リリアは夢遊病の患者のようにふらりとおぼつかない足取りで外壁へと近づいて行く。欄干に手を置き、外へ視線を向けた。捕らえられている兵の姿を目にしたのだろう、華奢な肩が小さく震え始めた。


「……私一人で、あの方達を助けることが出来るのですね?」


 その声は掠れて震えていたが、何かを心に決めたようなしっかりとしたものだった。


「王女殿下?」

「姫様⁈」

「姫様!」

「王女殿下!!」

 

 リリアが振り向いた時には、すでに大勢の者達に取り囲まれた。辛そうにしている者、焦っている者、困惑している者、驚愕している者、それぞれの想いが表情に現れていた。

 ガルロイはリリアに対して初めて厳しい眼差しを向けた。その目のままリリアの前に進み出る。

 

「……我々が貴方様を敵に差し出すとお思いなのですか?」

「ガルロイ……」

「兵を助ける為に、自国の王女を差し出す国がどこにあると?」


 リリアが今にも泣き出しそうに顔を歪めた。その姿にガルロイははっとする。つい感情的になってしまったと後悔してももう遅い。

 だが、本当に歯がゆかったのだ。他人のために、躊躇わず身を投じようとするリリアの姿に。


「御身を犠牲にしてでも自国の兵士達を救おうとされるそのお気持ちだけで、我々はこの国の兵士で良かった改めて心から感じる事ができました。貴女様を守らせてください」

 

 突然、穏やかな声が張り詰めた空気を緩めた。老将の一人が恭しくリリアの手を取ると、リリアの翡翠色の瞳が揺れた。。


「……私は、何もできないのですか? このまま彼らが───」


 俯いたリリアの足元へときらきらと煌めきながら涙のしずくが落ちていく。


「泣かないでください、王女殿下。何も出来ないのは我々も同じなのです。それよりもこの砦を守ったあの者達をどうか労ってやってください」

「そうです。それに、罠である可能性が高いのです。あの者達は全員偽者かもしれません」

「早く援軍が到着すれば良いのですが………」


 悲しむリリアに皆が思いつく限りの言葉をかけていく。


「……援軍? 時間を稼げば、何とかなりますか? それに、近くへ行くことが出来れば、偽者かどうか分かりますか?」


 リリアが突然顔を上げた。涙に濡れた瞳でまわりに居た者達へ問いかける。


「───もちろん、時間を稼ぐことができれば、捕虜になった者達の命もその分永らえる事が出来るでしょう。それに、ある程度顔が判別できる距離までちかづけさえすれば、偽者かどうかぐらいはわかりますが………」


 戸惑いつつもガルロイは答える。それを聞くと、リリアは涙を拭った。再び顔を上げたリリアの瞳には、強い光が灯っていた。


「ボルドビア軍はどのように私と捕虜との交換を言ってきたのですか?」

「………矢に書簡が結び付けられておりました」

「矢に………、では同じようにしてボルドビア軍に返事を返してください。捕虜の交換に応じると」


 リリア以外の者達は絶句した。

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