第28話 捕らわれたクロウ。

 ローラン国の王宮内を、クロウはサラという名の少女を連れて出口に向かっていた。


「待てっ! クロウ!」


 背後からクロウを呼び止めるのは、ローラン国の国王オリオール・ド・ローランだ。その声に緊迫した響きを感じ、クロウは思わず足を止めて振り返った。

 オリオールの前に男が一人片膝を付いて控えている。恐らく伝令だろう。その男から受け取った報告書を食い入るようにオリオールは読んでいる。


「陛下、待っていた伝令が到着したようですな!」


 戦場でさえよく響くと思われる声に、クロウは視線を向けた。別の建物からマティス将軍とルソー将軍が中庭の通路を通って駆け寄って来る。


「ボルドビア軍が動き出したぞ!」


 オリオールが発した言葉に、待ちくたびれたとでも言いたいのか、ルソーが鼻を鳴らして応じる。


「ふん! やっと動き始めましたか」

「今度はどこを襲う気なのです?」


 アンリが訊ねる。


「ラビア砦からこの王城へ向かっているそうだ。懲りん奴らだ」


 ラビア砦とは、ローラン国の北側にあり、ボルドビア国の国境に近い砦であった。一番始めに落とされた砦でもあった。


「では今度こそ、のこのこと砦から出てきたボルドビア軍を後悔するほどに徹底的に叩きのめしてやりましょう。はっはっはっはっは!」


 王宮襲撃の折にはあまり出番がなかったルソー将軍が大いに張り切っていた。彼の大きな笑い声が壁に跳ね返ってくる。


「陛下!」


 また別の伝令がオリオールの元へ駆け寄って来る。すでに集まっている重鎮達の姿に一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに携(たずさ)えてきた報告書を若き王へ差し出す。


「大儀であった」


 報告書を受け取ったオリオールはすぐさま封を切る。目を通し始めてすぐに、目を大きく見開いた。


「! ベルンシュタイン国で奇病が蔓延? ……シュティル国王も病に伏しているだと?!」

「な、なんと?!」

「奇病?!」


 新たに届けられた報告は、あまりに驚くべき内容であった。その場にいた者達も一様に言葉を失う。


「もっと詳しく教えてくれ!」


 余裕のない声が沈黙を破った。弾かれたようにオリオールが顔を上げる。その声の男はいつの間にかオリオールの側にまで戻って来ていた。

 クロウだ。

 敵陣に単騎切り込んで行く男が、明らかに動揺していた。その姿に、オリオールは困惑する。


「クロウ……?」

「リリアは? 王女について何か書かれていないのか? どんな些細(ささい)な事でもいい、教えてくれ!」


 今にもオリオールから報告書を奪いそうな必死な姿に、ローラン国の面々は驚きを隠せない様子でお互いに顔を見合わせている。クロウに詰め寄られたオリオールは、慌てて再び報告書へ視線を戻し、読み上げる。


「───王女が作った薬で危機を脱した……?!」

「王女が薬を作らせた、の間違いではないでしょうか?」

「いや、ベルンシュタインの王女と云えば、精霊をシュティル国王が養女にしたという噂も聞いたぞ。本当に精霊であれば、奇病に効く薬など造作も無く作れるのかもしれぬな」

「精霊などと、冗談を言っている場合ではないぞ、ルソー」

「……ですが、噂を信じたくなるほどに美しいそうですね」


 ルソーが冗談を飛ばせば、マティスが窘める。その横で、アンリがベルンシュタイン国の王女について呟いた。

 

 精霊とは、ベルンシュタイン国のように神として崇めている国もあるが、ほとんどの国では、物語や伝説の中でしか存在しないものであった。

 ローラン国は後者であった。誰もが精霊の存在を信じていなかった。

 だが、クロウは違う。

 信じるとかの問題では無く、精霊の存在など考えたことさえ無かったのだ。

 しかし、クロウは実際に目にし、言葉までも交わしている。

 クロウはどこか痛みを堪えるような表情を浮かべていた。その事に誰も気づいていなかった。

 オリオールは報告書を読み続ける。


「その後、少ない従者だけを伴い東へ向かって王都を出立。とある」

「……東へ?」

「ああ。それ以上の事は何も書かれてはいない」


 クロウはそのまま押し黙る。

 だが、さらなる報告が新たな伝令によってもたらされた。


「カヴァル砦からもボルドビアの軍が出兵しました!」


 男達に戦慄が走る。

 カヴァル砦とはベルンシュタイン国との国境に近い砦だ。この砦を奪還するためオリオールが出陣し、その隙をついて王宮が襲撃を受けたのだった。

 どうやらボルドビア軍が一斉攻撃に出たのだと思われた。


「……西と北から挟み撃ちにするつもりなのでしょうな!」

「陛下? どうなさったのです?」


 報告書を読むオリオールの表情が困惑したものに変わっていた。


「カヴァル砦を出たボルドビア軍は、……西へ向かっている」


 オリオールが釈然としない様子で呟いた。それは将軍達も同じであった。


「? 西、でございますか? この王宮ではなく?」


 ボルドビア軍の不可解な動きに、誰もが黙り込んだ。


「ベルンシュタイン。……ボルドビアの狙いは、初めからあの国だったんだ!」


 クロウが弾かれたように声を上げた。その声に怒りが滲む。


「確かにクロウが言うように、ボルドビア国がベルンシュタイン国を狙っていたのであれば、これまでの奇妙な動きに理由がつけられますな」


 マティスが納得した様子で顎を摩っている。


「とにかく、このまま軍議に入るぞ!」


 『はっ!』と声を揃える将軍達を引き連れ、歩き出そうとしたオリオールの視界の端にクロウが逆の方向へ向かう姿が過った。


「! クロウを止めろ!」


 はっとしたオリオールが振り返りざま叫ぶ。その声で、近くに居た衛兵達が一斉にクロウの前に立ちはだかった。


「どけ! 放せっ!」


 クロウは向かって来る衛兵達を振り払い、投げ飛ばしていく。衛兵達が一瞬躊躇するほどの抵抗を見せた。

 だが、ついに取り押さえられてしまった。それでも、クロウは身を捩りながら懸命にもがき続ける。

 しかし、幾重にも重なりクロウの身体を拘束する兵達の力が緩むことはなかった。

その様子をしばらくの間見守っていたオリオールのところへ、使いを頼まれていたアンリが駆け戻って来る。オリオールはアンリから小さな小瓶を受け取ると自分の懐から一枚の布を取り出し、小瓶の中の液体をしみ込ませた。

 そして、床に押さえつけられ、一切の動きを封じられたクロウの目の前に片膝を付いた。

 クロウは唯一動かすことができる黒い瞳だけを彼に向ける。


「……頼む! 行かせてくれ。 俺を、ベルンシュタインへ行かせてくれ! リリアの元へ……。頼む!」


 懇願するクロウの顔を覗き込むように、オリオールは身を屈めた。


「今、この国にはおまえが必要だ。手放すわけにはいかない。分かってくれ、クロウ」


 オリオールはそう語りかけると、手にした布でクロウの鼻と口を覆う。


「!」


 一瞬、クロウの目が大きく見開かれた。

 だが、すぐに彼の瞼がゆっくりと閉じられていく。絶望に揺れる黒い瞳を覆い隠すように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る