第26話 新たなる旅立ち。

 王城の東の端にある調薬室は、いつもより人が多く居るというのに、異常な静けさに包まれていた。

 リリアはジェラルド・アルビオンの腕の中で、茫然となっていた。彼が告げた言葉をただ繰り返す。


(砦で蔓延……?!)


 急いで何かをしないといけないのに、頭の中が真っ白で指先一つ動かすことが出来ない。心臓がまるで耳の傍にあるのかと思うほど煩く鳴り響いている。


(怖れていたことが本当に起きてしまった──)


 不安がリリアの心を侵食していく。まるで真っ黒な染みがじわじわと光を侵食していくかのように感じられた。

 出来ることなら、すぐにでもシュティルのそばへ逃げ出してしまいたかった。いつものように、穏やかな笑みを浮かべた顔で大丈夫だと言ってもらいたかった。

 しかし、いくら容態は安定しているとはいえ、シュティルは峠を越えたばかりだ。絶対安静にしていなくてはならなかった。少しでも無理をさせるわけにはいかないのだ。

 リリアは、自分の弱い心を叱咤する。


(私がしっかりしなくてどうするの!)


 だが、胸を押えている手はみっともなく震えている。


「「姫様!」」


 遠くから、足音と共にリリアを呼ぶ声がどんどん近づいて来る。リリアが頼りにしている二人の声だ。 

 ジェラルドは抱きしめていたリリアの体をそっと離すのと同じくして、息を切らせたガルロイとルイが、開かれたままの戸口に姿を現した。


「姫様! 俺達を置いて行かないでよ~」

「姫様、いくら城内でも勝手に移動されては困ります!」


 リリアの姿を目にした途端、護衛の二人はほっと安堵の溜息を吐く。

 そして、すぐさま小言を並べはじめた。

 だが、いつもと変わらない二人の様子が、リリアをいくぶん冷静にさせてくれた。


(そうだった、私は一人ではなかったのだわ)


 そして、ふいに心を過ったのは、王都までの旅で、苦難をずっと一緒に乗り越えて来た頼もしい人の面影。

 無性にクロウの事が恋しくなる。抱きしめて欲しかった。


(たったそれだけで、不思議と安心できたのに……)


 でも、もうそれは叶わない願いだった。


(クロウ、今どこにいるの? 病気や怪我をしていない?)


 今はクロウの無事をただ祈ることしかできない。


「王女殿下、お探しいたしました」


 少し遅れてガルロイ達の背後にユーリック・オークスも姿を現した。彼はアルビオン侯爵が居ることにいくぶん驚いたようであった。


「……ジェラルド卿もこちらにいらしたのですね?」


 だが、それ以上に気になることがあるらしく、すぐに固い表情に戻りリリアに向き直る。


「陛下へ眠り病を感染させた経路が判明しました」

「!」

「……他国へ潜ませていた者でした。おそらく本人に感染している自覚がないまま、報告の折に意図せずに陛下へ感染を許してしまったのでしょう」

「その方は、今どちらに?」

「───陛下へ報告後、彼に用意した部屋で休ませていたのですが、先ほど、眠った姿のままで、すでに息絶えていることが確認されました」


 リリアは思わず、両手で口を押さえた。あと少しでもシュティルへの薬の投与が遅れていたらと思うと、再び怖れが蘇ってきたのだ。


「どこの国へ潜ませていた者だ?」


 二人の話を静かに聞いていたジェラルドがユーリックへ問いかける。


「ボルドビア国です」

「ボルドビア……」


 ボルドビア国とは、ベルンシュタイン国の北東に位置する国だ。両国の間には険しい山脈が横たわっており、ボルドビア国へ行くには、東に隣接する国ローランを経由する必要があった。ボルドビア国にとっても然り。そのような理由もあって、国交があまりない国でもあった。

 だが、この数カ月の間に突如隣国であるローラン国へ進軍するという暴挙にでたボルドビア国に対し、すぐにシュティルは間者を送り込み、様子を探らせていたのだ。

 そして、『眠り病』の感染が確認された東の砦は、ローラン国とベルンシュタイン国との国境を守る要であった。

 リリアがジェラルドへ視線を向ければ、彼もリリアを見ていた。


「ユーリック、他に眠り病の感染が分かったところがあります」

「! どこなのですか、それは?」


 ユーリックの顔色が変わる。


「我が領内だ。東の砦だ」


 リリアより先に、ジェラルドが答える。驚愕の表情を浮かべ、ユーリックはジェラルドを見た。


「砦……?!

「先ほど届いた知らせでは、すでに十数名が発症しているようだ。皆、次々に倒れ、眠ったまま意識が戻らぬとある。私は薬を確保でき次第、すぐに領地へ戻るつもりだ」

「───」


 ユーリックは言葉を失っていた。


「私も一緒に連れて行ってください、ジェラルド!」


 まるで離された隙間を埋めるかのように、リリアはジェラルドの胸元に縋(すが)り付く。ジェラルドは一瞬驚いたように形の良い眉を上げたが、自ら胸に飛び込んできたリリアの華奢な体をしっかりと受け止めていた。


「リリア!」

「「姫様!」」

「王女殿下!」


 シャイル、ガルロイ、ルイ、そしてユーリックまでもが諫めるような声をほぼ同時に上げる。


「なりません! 今、陛下は回復に向かっておられますが、まだ起き上がることも出来ず、会話もままならない状態なのですよ。そのような時に、陛下の許しもなく、戦を行っている国に最も近い砦へ、それも疫病が蔓延している場所へ、御身を送り出すことなどできません!」

「でも、時間が無いのです。この病は時間が勝負です。私がジェラルドと共に現地へ赴き、病気蔓延の鎮静に当たります。その間に、ユーリックは宰相達と共に守りが弱まった東の砦を国としてどうするべきが早急に対策をたててください。私も現地で気付いたことがあれば、すぐに知らせを送ります」

「王女殿下……」


 ユーリックは苦渋の表情を浮かべたまま、押し黙る。リリアが提案した以上の得策が思いつかなかったのだろう。


「姫様、今度は俺達を置いていかないでよね!」


 ルイの明るい声が響き、室内の重い雰囲気を壊す。


「ルイ……、ありがとう。二人が来てくだされば、とても心強いです。それから、アロイス先生、シャイルには一緒に来てもらいたいのですが、大丈夫でしょうか?」

「リリア……」


 固い表情でリリアをじっと見つめていたシャイルの口元に、安堵の笑みが浮かぶ。アロイスはリリアを安心させるように頷いた。


「ええ、大丈夫でございます。彼からはすでに調薬の方法からこの病気の対処の仕方まですべて引継いでおります。それに、処置が早かったおかげで、城内では『眠り病』のさらなる感染者は出ておりません。陛下を含め、皆回復に向かっております。これからのことは、私だけでなんとかなるでしょう。もちろん、各領地への薬の手配も必ずさせていただきます。こちらのことは、お気になさらず、安心してお行きください」

「ありがとうございます。どうかお義父様をお願いします」

「お任せください」


 リリアは再びジェラルドを見上げた。ジェラルドは黙ったままリリアを見つめていた。何かを考えていたようだ。


「ジェラルド?」

「……来てくださる事をお約束していただけるなら、王女殿下は後から馬車で来られてもかまわないのですよ。おそらく、騎乗での強行軍となるはずですから」


 リリアの身を案じて言ってくれているのだと分かっている。だからこそ、不安を押し隠す。

 そして、ジェラルドへ向け、にっこりとほほ笑んで見せた。


「今はこんなところで押し問答している暇はないと思うのです。ジェラルド」


 ジェラルドはほんの一瞬瞠目したあと、ふっと表情を緩めた。彼にしては珍しく、少し困ったような微笑を浮かべている。


「だから、私は貴女を……」


 何事か呟いたジェラルドの声はあまりに小さく、リリアは聞き取ることが出来なかった。


「何かおっしゃいましたか?」

「いいえ、別に……」


 そして、首をかしげるリリアの手を取ると、まるで流れるような仕草で片膝を付いた。


「仰せのままに、我が君」


 リリアの右手の甲にジェラルドの唇がそっと押し付けられた。再び顔を上げたジェラルの顔は、領地を治める統治者の表情になっていた。


「では、一時経てば王城を発ちます。その時に、城の正門前にお姿が無い場合は、王女殿下であっても容赦なく置いて行きますから」


 本当に置いて行ったりはしないと思うのだが、それだけ急を要していた。リリアが足手まといになるようでは、本末転倒になってしまう。


「分かりました」


 覚悟を決め返事を返したリリアは、すぐに振り返りシャイルを見た。


「私は旅の準備をしてきます。その間に、東の砦へ持って行けるだけの薬の用意をお願いしてもいいですか?」

「ご用意いたします」


 即答だった。

 リリアは心の中で『ごめんなさい』とシャイルに謝る。彼を当然のように巻き込んでしまった。シャイルはいつもリリアのためにすべてを犠牲にしてくれている。いつかシャイルのために、リリアのすべてを投げ出してもかまわないと思ってはいるのだが、何でも器用にこなしてしまうシャイルをリリアが助けるような事態に未だ遭遇したことがなかった。リリアはいろいろな思いを抱えながら、急いで自室へ向う。その後を追うように、ガルロイとルイも付いて来てくれている。


「ルイ。おまえはすぐに厨房へ行け。水と日持ちのする食べ物なら何でも構わんからもらってきて来てくれ。俺はその間に、荷造りと馬の用意をしておく」」

「了解!」


 ルイは踵を返すと、厨房へ走り去り、ガルロイもリリアを部屋へ送り届けると、すぐに自分達の用意に向かった。


「まあ! 馬車ではなく、馬にお乗りになるのですか?」


 突然、馬に長く乗れるような服装と言われて、マロウ夫人とシンシアは動揺を見せたが、すぐに用意にとりかかってくれた。彼女達が服を用意をしてくれている間に、リリアは各地へ届ける薬と一緒に持って行ってもらうための手紙を急いで書き上げ、次々に署名していく。


「さあ。王女様、用意が整いました」


 最後の手紙に署名し終わるのと同時に、シンシアが呼びに来てくれた。急ぎ、用意された服に着替える。服は落ち着きのある青い色を基調にし、走る馬に乗っていても寒さをしのぐことができる厚手の生地で出来ていた。

 さらに、肩や腰の辺りの締め付けが緩く、これなら長時間馬に乗っても苦しくなったりはしないだろう。


「どうか無理をなされないでくださいまし……」


 リリアの着替えを手伝い、最後に外套のリボンをくくり終わったマロウ夫人は、心配そうにリリアの手を取った。その手にリリアはもう一方の手をそっと置く。傍ではシンシアもとても不安な表情を浮かべている。


「心配しなくても、大丈夫ですよ。ガルロイやルイ達も一緒に行ってくれます。薬を届け、感染が止まればすぐに戻ってきます。それまで、お義父様のことをお願いしますね」

「はい。必ず……」


 もう約束の時間だった。リリアは書いた手紙をアロイスへ届けることを二人にお願いし、待っていたガルロイと共に、急ぎ城門へ向かったのだった。

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