第15話 舞踏会。

 秋色に染まるベルンシュタイン国。

 三日間行われる収穫祭の最後の日を、国内のどの村や町でも、人々は飲んだり食べたり踊ったりと、厳しい冬が来る前のひと時を大いに楽しんでいた。

 王都にある白亜の城でも舞踏会が開かれ、集まった貴族達の明るい笑い声で満ち溢れていた。

 華やかな明かりが灯された大広間に、軽やかな舞曲が流れる。

 広間の中央で侯爵家の子息の男性と躍っているのは、この春にベルンシュタイン国の国王シュティルの養女となったリリアであった。

 花弁のようにドレスの裾を膨らませ、ふわりと踊る可憐なリリアの姿に、集まった貴族達は熱い視線を注いでいた。

 王女としてお披露目された当日に行われた舞踏会では、義父であるシュティルと踊った後、彼女は訪れた貴族達との挨拶に終始追われ、王女とお近づきになれると期待していた男達をおおいに落胆させていた。

 そして再び訪れた舞踏会では、我先にと大勢の男達がリリアに踊りを申し込んできたのだった。


「姫様、お顔の色が優れないようですが、大丈夫でございますか? 陛下がとてもご心配なさっておいでです」


 続けて5人の男性達と踊り終わったリリアの元へ、ガルロイが駆け寄って来た。その表情は硬く、どうやら心配しているのは彼も同じらしい。その後ろにはルイの姿も見える。

 ルイは今、ガルロイと共にリリアの護衛として側に付いていた。彼らはリリアの出生の秘密を知っている為、リリアが安心できるとシュティルが選んでくれていたのだ。

 先日、ルイが一人で挨拶に来た時は、リリアは大いに驚かされたのだった。


『今日から護衛として働くことになりました、ルイ・ラフィットです。よろしくね、姫様♡』


 ちょうど一か月前、リリアにとっては初めてとなるお城での収穫祭の準備が始まりだした頃に、薄青い色の上品な服を着こなす貴族の青年がリリアの部屋を訪れた。

 それは驚くことにルイだったのだ。

 後でガルロイに、『一人で勝手に動くな』と、叱られていたが、とてもルイらしい。

 数カ月もの間、一度も会うことがなかったのだが、王女となったリリアに対し、ルイはまったく態度を変えることはなかった。その事がとても嬉しいとリリアは感じていた。


『まあ! ルイさん! え、ラフィット……? って……!』

『あはは、気付いちゃった? おやじの名前は、ガルロイ・ラフィット。団長は、俺のおやじなんだ。血は繋がっていないんだけどね~』

『!』


 突然の打ち明け話に、リリアは目を丸くする。


『ねえ、ルイって呼んで欲しんだけど?』

『あ、はい。分かりました。ルイ』

『うん。これでやっと仲良くなれた気がするよ!


 悪戯が成功した子供のような表情で、ルイはとても楽しそうだ。

 彼の底抜けの明るさは、もしかすると色々なものを乗り越えて培ってきたものなのかもしれない。


『ああ見えて、おやじはすっごい照れ屋なんだ。だから、姫様に親子だって言っちゃった事、内緒にしておいてね。まあ、すぐにバレる事なんだけどさ』


 満面の笑みで片目を瞑るルイの表情に少しの陰りも見当たらない。本当は堂々とガルロイの事を父なのだと言いたいはずなのに。


『ガルロイのことが本当に大好きなのですね』


 ルイは返事の代わりに、さらに笑みを深くした。

 リリアとおじいさん、そしてシャイルのように、彼らにも何か深い縁と絆があるのだろう。


『おやじはさ、自分のことになるとすっごい無頓着になるんだ。俺がそばにいないと食事は忘れるし、平気で睡眠削って走り回ってしまうから離れている間、ずっと心配だったんだよ』

『きっとガルロイはルイを頼りにされていて、甘えていらっしゃるのではないでしょうか?』

『……なるほどね。俺に甘えているのか』


 珍しくルイが照れたような笑みを浮かべる。


『あの、ルイも抜けてしまって、馬車の仕事は大丈夫なのですか?』

『うん、大丈夫。姫様が紹介してくれたゲボルト達が頑張ってくれているよ。そうだ! ゲボルトから、伝言を頼まれていたんだった。是非お礼がしたいから、村へまた来てくださいって、村のみんなが会いたがっているんだってさ。すごいね、姫様は恩人なんだって言っていたよ』

『まあ、恩人だなんて……。みなさん、お元気なのでしょうか?』

『会いに行けば分かるんじゃない? 今度、俺が連れて行ってあげるよ。なんてたって、俺は姫様の護衛なんだしさ』

『そうですね。これから、どうかよろしくお願いしますね。ルイ』


 そう言って、ぺこりと頭を下げると、王女様になっても変わらないね。と、ルイは微笑む。

 馬車の仕事で人手が足りなくなってしまった原因を作ったのはリリアだ。何かいい方法がないかと考えていた時に、ふとゲボルト達のことを思い出したのだ。はちみつで生計を立てるにはまだまだ時間がかかる。もしかしたら何とかなるかもしれないと、リリアはすぐにガルロイに相談してみたのだ。どうやらガルロイがうまく取り計らってくれたようだった。

 その日以来、ラフィット親子は二人でリリアの護衛にあたってくれている。


「姫様?」


 そんな事を思い出していたリリアは、ガルロイの声で現実に生き戻された。

 心配そうに見つめてくるガルロイとルイにリリアは親愛を込めた笑顔を見せる。

 そして、本音を告げことにした。


「大丈夫です。……と、言いたいところですが、さすがに少し疲れてしまいました。バルコニーで風に当たってきていいでしょうか?」

「分かりました。では、私がご案内いたしましょう。ルイ! 何か飲み物を取って来てくれ」

「了解」


 ガルロイが命じると、ルイはすぐに人込みの中へ消えて行った。

 その姿を見届けると、ガルロイはまるで盾のように自分の影にリリアを隠しながら人込みの中を進んでいく。

 いくつかあるバルコニーの中で、人気がない場所を見つけると、ガルロイは扉の前で立ち止まった。

 そして、おもむろに上着を脱ぐと、金木犀の花の色に似た橙黄色の襟元が大きく開いたドレスを着るリリアの肩にそっと掛ける。


「私の上着で申し訳ないのですが、そのお姿でバルコニーに出られると、お風邪を召されてしまいますので……」


 ガルロイは自分の上着をリリアに着せてみたものの、どうやら戸惑っているようだった。

 確かに、彼の上着はリリアにはあまりに大きく、上着を羽織ったリリアの姿は、まるで上着がひとりでに歩いているように見えるのではないだろうか。


「ありがとう、ガルロイ。バルコニーにいる間だけ、お借りしますね」


 困り顔のガルロイを見上げ、笑顔でお礼を言えば、ガルロイは少し安堵したようにほっと息を吐く。

 そして、再び表情を引き締めた。


「では、私はここにおりますので、何かあればお呼びください」


 ガルロイはリリアを一人バルコニーへ送り出すと、くるりと背を向け、扉を塞ぐように立つ。

 きっと気を利かせて、リリアを一人にしてくれたのだろう。

 リリアはガルロイの優しさに心から感謝しながら、バルコニーの先端まで歩いて行く。火照った体に外の空気が心地良かった。

 だが、確かに秋の夜は寒く、ガルロイの上着がなければ体調を崩してしまったかもしれなかった。彼の細やかな気づかいがとてもありがたかった。

 ひんやりとした石の欄干に手を置き、空を見上げる。

 ちょうど雲間から明るい月が顔を出したところだった。辺りが明るくなった分、あらゆるものの影が濃くなる。

 こんな月明かりの中、崖を登ったことをリリアは思い出していた。


(あの時、そばにいてくれたのは……)


 恋しい姿が彼女の脳裏に浮かび、胸の奥に痛みが走る。


(時が経てば、この痛みも薄れるかしら……)


 コツッ


 ぼんやりと物思いにふけっていたリリアだったが、わずかに聞こえた靴音で、心に思い浮かんでいた愛しい顔が一瞬で霧散した。

 顔を強張らせ、背後を振り返ったリリアは、円柱の暗がりで佇んでいる人影に気付く。


「だ、誰?」


 リリアの尋ねる声が震える。

 すると、わずかに人影が動き、リリアは思わず身構えた。

 だが、運が悪いことに、再び月が雲の影に入ってしまい、光を失ったバルコニーは室内から漏れる明かりだけが頼りとなってしまった。

 そんな中、ゆっくりと柱の影から姿を現したのは、すらりと背の高い男のようだった。暗がりでは男の顔までは分からない。

 恐怖のあまり声を出す事もできず、だたリリアに向かって歩み寄って来る男を凝視する。

 だが、その者の背格好としなやかな動きに、リリアははっと息を止めた。わずかな光に照らしだされたその男の髪の色は……。


「! ク……」

「王女殿下──」


 静かな低音の声が、リリアの期待を打ち砕く。

 茫然と立ち尽くすリリアの一歩手前で立ち止まった男は、洗練された仕草で片膝を付き、リリアを見上げてきた。

 その男の整った顔を、再び雲間から現れた月明かりが照らし出す。


「あ、……あなたは──」

「覚えておいでですか? 殿下」

「アルビオン侯爵家の、ジェラルド卿……」


 満足そうな微笑みを浮かべる男は、ベルンシュタイン国の五大侯爵家の一つアルビオン家のジェラルド・アルビオンだった。

 年は、確か二十代後半だったはずだ。

 アルビオン家の、それも本家の当主である彼は、多くの女性から好意を寄せられていた。容姿端麗なうえ、彼の落ち着いた物腰がとても素敵なのだとシンシアが少し興奮しながら教えてくれたことがあった。

 だが、ジェラルドはなぜかずっと独り身を貫いており、時折浮名を流すことはあっても、いっこうに身を固めようとはせず、彼の一族にとっては悩みの種らしいと言っていた。

 初めて挨拶を受けた時に、あまりに背格好がクロウとよく似ていたので、彼のことはリリアもよく覚えていたのだ。

 暗がりでは黒く見える髪の色は、濃い茶色のはずだ。


「驚かせてしまったようですね。どうか、お許しください」


 そう言うと、ジェラルドはリリアの右手をとても大切そうにすくい上げ、その甲にそっと口付けを落とす。


「あ、あの……」


 身を固くし、戸惑うリリアの顔を、再び見上げてきたジェラルドの眼差しは、なぜか少し怒っているような、どこか悲しんでいるような表現しがたいものだった。

 今までにいろんな視線に晒されてきたリリアだったが、こんな目で見つめられたのは初めてのことだった。

 思わずリリアが一歩後退れば、靴の踵が欄干に当たった。


「……逃げないでください──」


 ジェラルドがゆっくりと立ち上がった。彼の手には、リリアの右手が握られたままだ。


「あなたは、……本当はリリティシア王女なのでしょう?」

「……」


 口をつぐむリリアの姿に、くすりとジェラルドが笑う。


「答えなくてもかまいませんよ。あなたがどのような名前であろうと、あなたは、あなただ」


 ジェラルドは握っているリリアの指先を自分の唇へ寄せる。


「……医療院を建てさせておられるそうですね。それも、学舎を併設し、見込みのある者には医術を学ばせ、医師を養成させるおつもりだとか」

「──ええ、そうです。いずれは、育った医師を各地に送り出すつもりです。医師を育てるのには時間がかかると思いますが、いつか必ずどんな小さな村へも医師を派遣し、少しでも多くの救える命を救いたいのです」

「……なんと大それたことを考えるお方だ」


 くすくすと表面上は笑ってはいるが、ジェラルドの本心は分からない。


「誰もが、あなたにご執心だ。あなたが精霊の乙女なのだと言ってね」

「私は、精霊などではありません。……あの、どうしてこんなところにお一人でおられたのですか?」


 リリアは強引に話を変えた。

 すると、ずっと笑っていたジェラルドが笑みを消した。


「……ずっと心を寄せている女性がいるのですよ。その方以外とは踊りたいとは思わなかったもので、ここで隠れていたのです」

「まあ、そうだったのですね。ジェラルド卿が思いを寄せられる方とは、どのような方なのでしょう?」


 話が自分のことでなくなったことで心から安堵し、リリアはジェラルドへはじめて笑顔を向けた。


「……お分かりにならない?」

「?」

「あなたのことですよ。リリア王女殿下」

「え……?!」


 月明かりの中、リリアをじっと見つめるジェラルドの姿が、まるで狙いを定めた狼のそれに見えた。リリアは思わず握られた手を強引に引き抜き、逃げ場を探して、視線をさ迷わせる。

 だがすぐにジェラルドは、リリアの体を閉じ込めるように石の欄干に両手を置いた。


「あなたは、私に歓喜と、苦悩を与える」


 突然、硝子が砕ける鋭く乾いた音が、夜のしじまに響いた。


「ルイ! やめろっ! 剣を抜くな!」


 まるで叫ぶような声をあげ、勢いよく向かってくるルイの前へガルロイが回り込んだ。よく見れば、ルイが抜きかけていた剣をガルロイが押し留めている。

 ジェラルドはリリアから身を離すと、視線を背後へ向けた。その眼差しはひどく冷ややかなものだった。


「……賢明な判断だったな。死にぞこないのガルロイ卿よ」

「ルイ! 動くな!」


 唸るような声でガルロイは背後にいるルイをけん制する。


「無粋な邪魔がはいったので、今夜はこれで退散いたしましょう。ではまた、王女殿下」


 立ち去って行くジェラルドの背を見送ると、リリアは欄干にしがみ付きながら、へなへなとしゃがみ込む。


「姫!」


 慌てながらガルロイとルイが駆け寄って来た。二人は冷たい地面に座り込むリリアの華奢な体を支え起こす。


「大丈夫でございますか?」

「ええ、少し驚いただけ……」


 リリアはまだ怯えが抜けきらない眼差しを、煌びやかな室内へと向ける。バルコニーでの騒ぎには室内の誰も気づいてはいないようだった。


「──心配をかけてしまいましたね。ごめんなさい……」

「いいえ! 私の不注意です。バルコニーに他に人がいたとは……申し訳ございません!」

「おやじ! どうして……どうして、あんなこと言わせたままにしておくんだよ!」


 ルイが激怒していた。

 いつも明るいお日様のような笑顔の彼が、悔しそうに顔を歪め、唇を噛んで震えている。これほど怒っているルイの姿を見るのは初めてのことだった。心から慕っているガルロイのことを愚弄されたのだ。ルイの気持ちは痛いほどわかる。

 だが、なぜジェラルドはガルロイにあのようなひどい言葉をあびせたのだろうか。


「ルイ、おやじと呼ぶなといっているだろう」

「今そんなことを言っている場合じゃないだろう!」

「そう怒るな。……ジェラルド卿の私への怒りはもっともなことなのだ。あのような事が起きなければ、あの方はリリティシア王女殿下の婚約者になられるはずだったのだからな」


 リリアは驚きのあまり、しばし言葉を失った。

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