第10話  王女リリア。

 賢王で名高いベルンシュタイン国の王シュティル・フォン・アーレンベルグが、出生の明らかでない娘を養女に迎えたという情報が近隣諸国を駆け抜けた。

 隙さえあればベルンシュタイン国を手に入れたいと望んでいる国々は、間者達に真意を確かめさせようと躍起になっていた。

 だが、調べれば調べるほど謎が深まっていくだけだった。

 その娘はシュティル国王のご落胤だとか、死んだはずのリリティシア王女が実は生きていただとか、伝説の精霊の乙女が再び現れたのだとか、ありとあらゆる噂がまことしやかに囁かれており、何が本当なのか、誰にも分からなかった。

 そんな中、シュティル国王はその娘を隠すでもなく、逆にお披露目式を王都シェンドラで大々的に執り行ったのだ。

 お披露目式当日には、国の内外を問わず多くの人々が噂の娘を一目見ようと、王都までわざわざ足を運んだほどだ。

 そして、訪れた人々が目にしたものは、ベルンシュタイン国の豊かさと、国を守る統率された精鋭ぞろいの騎士達の姿、さらには、シュティル国王の治世がさらに安泰になったと喜ぶ民の表情だった。

 だが、何より人々を驚かせたのは、ベルンシュタイン国の王女となった娘が、稀に見る美しい娘だったことだ。

 その娘の瞳は、精霊の乙女だという噂が真実ではないかと思わせるほどとても珍しい宝玉のような翠緑色であったのだ。



               ************



 壁に掲げられた大きな肖像画の前に、リリアは一人で佇んでいた。

 見上げる先では、椅子に座り赤子のリリアを抱く母と、二人を守るように立つ父が、とても幸せそうに微笑んでいる。広い部屋の中には、今はこの肖像画が一枚飾られているだけだ。

 しかも、この部屋は以前、前国王の執務室であり、リリアにとって父と母であるアルフレッドと、その妃エレーネが最後を迎えた場所なのだという。


「……お父さん、お母さん──」


 二人に語り掛けるリリアの声は、消え入りそうなほど小さかった。


「……今朝、シャイルが王都を発ちました──」


 寂しさと、不安で泣きそうになるのを堪えるため、リリアはそっと目を閉じた。乱れそうになる感情を落ち着かせるように、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。


(泣いてはだめ……)


 そう自分に言い聞かせる。

 王女としてお披露目される前日、この部屋に閉じ籠もり一人で泣いていたリリアの前に、現国王シュティルの側近であるユーリック・オークスが現れた。


『私達を失望させないでください』


 そう言ったユーリックの厳しい眼差しが、今も脳裏に焼き付いている。


『あなた様がずっと泣いておられるので、シュティル国王陛下がとても心を痛めておられます。陛下は、リリティシア様が必ず生きていると信じ、あなた様のために妃も娶らず、あなた様が戻った時のためにと天変地異で疲弊した国内を寝る間も惜しんで必死で整えてこられたのですよ』 


 リリアは何も言えなかった。自分のことだけで精一杯で、シュティルの気持ちを今まで一度も考えたことなどなかったのだ。

 あの広く冷たい空間の中でたった一人、王座に座っていた叔父の姿が脳裏に浮かぶ。


『……兄であるアルフレッド様のご家族を助けられなかったと、シュティル陛下は今もなお悔いておられるのです。アルフレッド様とエレーネ様が亡くなったと聞かされた時のシュティル陛下の衝撃と絶望は、とても言葉では言い表せません。王都から離れた場所で訃報をお聞きになれたシュティル陛下は、まるで疾風のごとくシェンドラへ戻って来られました。そして、すでに王都を取り囲んでいたリコス軍をたった半日で壊滅寸前にまで追い込み、さらには敗走するリコスの第二王子を陛下自ら打ち取られたのです。戦の天才と呼ばれた兄のアルフレッド様の陰で、目立つことはありませんでしたが、元々陛下には戦に対し、抜群の才能をお持ちだったのです。なのに、あらぬ噂がどれほどあの方を苦しめたか、あの方が兄一家を──』


 思いつめた様子で語っていたユーリックが、はっとしたように言葉を切り、顔を上げた。

 申し訳ない思いでいっぱいになって聞いていたリリアの顔を見た途端、ユーリックの顔に動揺が走る。


『……申し訳ございません!』


 突然、ユーリックがリリアの目前で跪いた。驚いたリリアも慌てて膝をつく。


『ユーリックさん、どうして謝るのですか? 謝らなければならないのは私なのに……』

『いいえ! 私は何と愚かなことを──。あの悲劇はあなた様には何の責も無いこと……それどころか、あなた様もあの混乱の中、ウォルター・バーラント殿と城から逃れられ、十四年という長い月日を経てやっとお戻りになられたというのに!』

『どうして自分を責められるのですか? 教えてくださったこと、とても感謝しているんです。ありがとうございます。ユーリックさんが教えてくださらなければ、私は気付くことさえ出来ませんでした。私は自分のことしか考えていなかったんです。みなさんをとても不安にさせていたのに……。ごめんなさい』


 驚いたように、ユーリックが顔を上げた。その目は困惑に満ちていた。

 リリアは床に手を突いている彼の手を取った。


『この私がどれほどみなさんの、いえ、この国のお役に立てるかは分かりません。でも、今まで大切に育ててくれたおじいさんや、私が生きているとずっと信じて待っていてくださった叔父様、そして、ここへ来るまでに、私を命がけで守ってくださった大切な人達に報うことができるように、私の出来ることは何でもするつもりです』


 泣き笑うような笑みしかできなかったリリアに対し、ユーリックは眩しいものでも見るように目を細めた。


『不思議なお方だ……』


 そうつぶやくと、ユーリックは跪いたまま恭しくリリアの右手を取り、その甲に彼の額を押し当てた。


『どうか、私のご無礼をお許しください。あなた様とシュティル陛下のためならこの命、惜しくなどございません』

『な、何ってことを言われるんですか! 駄目ですよ! どうかご自分の命は大切にしてください!』


 トントン。


 控えめに扉を叩く音に、物思いにふけっていたリリアの思考が現実に引き戻される。


「リリア王女様……」

「王女殿下、大丈夫でございますか?」

「はい。……大丈夫です」


 扉の外から、マロウ夫人とガルロイの心配そうな声が聞こえる。ガルロイは馬車の仕事を辞めて、リリアの護衛としてこの城に残ってくれていた。

 馬車の仕事は元々彼が始めた仕事ではなく、リリアの行方を追っていた時に盗賊に襲われた馬車を助けたら、その腕を見込まれて手伝うようになったのがきっかけだと言っていた。


(でも、団長が突然抜けてしまって、本当は困っているのではないかしら?)


 ルイが、団長とクロウの分も馬車の仕事を頑張ってくると言ってはいたけれど……。


『酷いよね。女の子をこんなに泣かすなんて。クロウを見つけたら首根っこ捕まえて君のところへ連れてきてあげるよ。だからもう泣くのは止めて楽しみに待っていなよ』


 城を去る時、ルイはそう笑いながら慰めてくれた。 

 そして、リリアが王女になるのを見届けると、シャイルも城を去ってしまった。


(シャイルは、また王都へ必ず戻ってくると約束してくれた。もう会えないわけではない。きっとみんなにまた会える。それに、今も私は一人ではないのだもの)


 寂しいと思う気持ちに蓋をして再びゆっくりと絵を見上げ、父と母に向かって笑顔を見せる。


「私が出来ることを探します。どうか見守っていてくださいね」


 リリアは決意を心に秘め、今こうしている間も自分の事を心配しながら扉の外で待ってくれている優しい人達の元へ向かうのだった。

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