第5話 これからの話。
二人の女性に連れられ、リリアが部屋から出ていく。
その後を追おうとクロウとシャイルは立ち上がり、シュティルへ軽く頭を下げた。
「待ちなさい」
静かだが有無を言わせない響きのシュティルの声に、シャイルは顔を上げた。視線を感じ、目を向ければ、黒い瞳もこちらを見ていた。視線を交わし合う二人の背後で、静かに扉が閉まる気配がした。
「少し話をしよう。さあ、二人ともここに座るといい」
シュティルは丸テーブルの一つの椅子に座し、向いの席を指し示す。そこに座る以外、他に選択肢はないだろう。シャイルはクロウと共に、すでに国王の顔に戻っていたシュティルの向い側の席に腰を下ろした
はじめからシュティルは二人と話をするつもりだったのだろう。申し合わせたように、すぐに飲み物が運ばれてきた。目の前に置かれた白磁器から、素人でさえ高価だと分かるお茶のとても良い香りが漂ってくる。
だが、シャイルは手を伸ばそうとはしなかった。もちろん、喉の渇きはずっと感じている。リリアと離された瞬間から、嫌な予感がしているのだ。
隣を見れば、やはりクロウも手を付けてはいない。ただじっと目の前の男の一挙手一投足だけに、神経を集中させているようだった。
「君達には、とても感謝している。リリティシアが無事にこの城へ戻って来られたのは、君達のお陰だ。ありがとう」
ベルンシュタインの国王は神妙な表情で、改めてシャイル達に礼を述べた。揺るぎない威厳のなかに、どこか律儀な性格が垣間見えた気がした。
だが彼はリリアが部屋を出てから、叔父として見せていた甘い表情をすでに跡形もなく消し去っていた。
一国を率いる統治者の顔でシャイル達を見ている。
シュティル国王と直接会うのは二度目だが、初めて会った時は最悪だった。リリアを攫われ、怒りのままにこの男へ剣を向けている。
だが、そんな事があったというのに、この部屋には扉の近くに側近の男が一人控えているだけで、身元の定かでない男二人と同じテーブルについている。国王であることを除いても、器の大きな人物なのだと分かる。
その上、行動力も持ち合わせていた。
以前、エルバハルの屋敷で会った時、少ない護衛だけ連れて、自ら夜道を駆けて来ていたのだ。おそらく、剣の腕前もかなりのものなのだろう。
(だから、帯剣を許されている? それとも、信用されていると喜ぶべきなのか……)
警戒しながらも、シャイルは国王の様子を注意深く観察し続ける。
目を引く美しい銀色の髪は、この男の母親が北方の者だと物語っている。体型は長身ですらりとした印象だが、痩せているわけではない。服で隠れているだけで、恐らくかなり鍛えているはずだ。動きにまったく無駄がない。
そして、すべてを凌駕する青い瞳は、見つめられただけで、恐れさえ感じるほどだ。
(この男が、この国の王で、リリアの叔父……)
今、シャイルはリリアの存在がとても遠くに感じていた。
いや、ずっと以前から本当は気づいていたのかもしれない。だからウォルターからリリアの出自を打ち明けられて以来、リリアは家族なのだと、事あるごとに口にしていた。その言葉に縋っていたのだ。
「これからの話をしよう」
国王はそう切り出した。
シャイルははっと物思いから引き戻される。ぼんやりしている場合ではなかった。目の前にいる男は、今は穏やかな雰囲気を纏っているように見える。
だが、シャイルとクロウをそれぞれゆっくりと目を合わせていく様子は、まるで心の奥底を見透かそうとしているようだった。
「……リリティシアは君達の事をずいぶんと慕っているようだね。では、君達はあの子の事をどう思っているのかな? 良ければ、聞かせてくれないかい?」
どくっと心臓が大きく脈打つ。
まるで試すような質問だった。
口調はとても穏やかで全く高圧的なところはないというのに、シャイルは喉の奥がひりつくように感じて、すぐに答える事が出来なかった。
「……家族です。今までも、これからも──」
なんとかそう答えたものの、口に出した途端、シャイルはやるせない思いに囚われる。リリアの本当の肉親を前に、あまりに自分が滑稽に感じたのだ。
「ありがとう。君のような誠実な人物がリリティシアの側にいてくれたことを本当に感謝しているよ。……では、君は?」
国王の視線がクロウへ移る。
シャイルはゆっくりと息を吐き出した。まともに息が出来ていなかった。なんとも言えない疲労感が重くのしかかっていた。そんな状態のまま、ちらりとクロウの様子を覗う。
(この男は何と答えるのだろうか?)
シャイルはこの男の返答がとても気になった。
「好意を持っている。掛け替えのない愛しい女として」
即答だった。
予想していなかった答えに、驚きのあまりシャイルは反射的に身体ごとクロウへ向き直っていた。愛だの恋だの、そんな甘い言葉を口にするような男には見えなかったのだ。
だが、クロウには意気込んだ様子はなく、ただまっすぐに国王の視線を受け止めている。
(本当に、リリアの事を……。でも、この男は馬鹿なの? こんな返答をすれば、二度とリリアに会う事など出来なくなるかもしれないのに!)
「ちょ、ちょっと……」
シャイルは思わずとりなそうとした自分に驚く。
この男は会った時から気にいらなかった。だから彼がリリアに会えなくなるのは、好都合なはずだった。なのに、どうしてなのか、シャイルのほうがひどく動揺していた。
「君達は二人ともリリティシアをそれぞれに大切に想ってくれているのだね」
国王の声は感情を微笑みの中に綺麗に隠していて、シャイル達についてどのような印象を持ったのか探る手立てはない。表情をまったく変えることもなく洗練された仕草でお茶を口に運んでいる。
だが、静かに器を置いたとき、再び向けられた国王の青い瞳の奥に強い光が過った。
「では、君達はこれから何を望む? もちろん、無事にリリティシアを私の元へ連れて来てくれた謝礼はさせてもらうよ」
「謝礼などいらない」
「謝礼はいりません!」
クロウの声にシャイルのそれが重なる。さらにシャイルは畳み込むように声をあげた。
「お願いがあります! どうか、リリアの傍で働かせてください。あの子の傍にいられるなら、何でもします! それが私の願いであり、望みです!」
シャイルは縋る思いで言い募る。
初めからどんなことをしてでもリリアの傍にいる覚悟があった。あの子を守ることが自分の生きる意味であり、先生に受けた恩に唯一報えることだったからだ。
一方、クロウという男はシャイルとはまったく違うことを考えていたようだ。
「リリアを、どうするつもりだ?」
クロウがシュティルへ問いかけたのだ。
『おや?』という声が聞こえてきそうな顔で、国王がクロウを見る。
どうやらこの男に興味を持ったようだ。
「どうもしないよ。君の心配は何だい? 心配するような事は何もないはずだ。あの子は本来あるべき姿に戻る。ただそれだけなのだから」
「それで、本当にリリアは幸せになれるのか?」
「さあ、それはどうかな。幸せを測る物差しは人それぞれだからね」
「!」
突然、クロウが立ち上がった。踵を返し、戸口へと向かおうとする。
「待って! どこへ行くつもり?」
シャイルは反射的にクロウの腕を掴んで止めていた。
「リリアを連れてここを出る」
クロウはシャイルの手を振り払い、激情を押さえこんだ声で答える。
視界の先では、扉の前で控えていた男が剣の柄に手を置き、一歩踏み出す姿が見えた。
「──それで、本当にリリティシアは幸せになれるのかい?」
今度はシュティルがクロウに問う。落ち着いた、僅かな悲哀を感じさせる声だった。
弾かれたようにクロウが振り返る。
「……あえて君達に言う必要はないだろう。そう思っていたのだが、リリティシアを真剣に想っている君達に対して、誠意が足りなかったようだ。すまなかった」
どこか自嘲するようにシュティルは二人に詫びた。
一国の王を前にしても、まったく飾ろうとしないクロウの剥きだしのリリアへの想いが、シュティルに届いたようだ。どうやらシュティルも本音で自分たちに向き合うつもりになったのだろう。
今、やっとシャイルとクロウはシュティルと同じ土俵に立てたということだった。
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