第4話 シュティル国王。

リリアは背の高さの倍はある大きな扉を見上げ、息を飲んだ。その姿を彼女の左右に立つクロウとシャイルが静かに見守っている。リリアの背後にいたルイだけは、緊張感のない顔で物珍し気に辺りをきょろきょろと見回していた。

いっその事、いつもと変わらないルイの姿を目にしていれば、リリアも少しは気も解れたのかもしれなかった。

リリアは早い鼓動を静めようと両手を重ねて胸の上に置いた。

しかし、一向に治まる気配はなく、さらに涙まで浮かんできて、無意識に後ずさる。

とその時、彼女の背を、誰かの手がそっと触れた。思わず見上げれば、クロウがまっすぐにリリアを見つめていた。


「クロウ……」

「何を恐れている? おまえの叔父さんなのだろう?」


 リリアははっとする。


(そうだ。私は何を怖がっているのだろう……)


リリアは再び前を向いた。衛兵と話をしていたユーリックとガルロイが同時に振り返る。


「全員入っていいそうだ」


そう告げるガルロイでさえ僅かに緊張した表情を浮かべている。

 扉を守っていた二人の衛兵達が重厚な扉を左右へ音もなくゆっくりと開いていく。それに合わせ、前にいたユーリックとガルロイが流れるような動作でリリアに道を開けるようにすっと脇へ避けた。


「あ……」


リリアの目に思っていた以上に広い部屋の様子が飛び込んできた。正面には大きな窓があり、室内はとても明るい。

そして、部屋のちょうど真ん中あたりに大きな丸テーブルと椅子が置かれていた。

 だが、広い室内に置かれているものはそれだけだった。


「さあ、どうぞ中へお入りください」


ユーリックが室内へとリリアを誘導する。リリアは覚悟を決めて扉の内側へ足を踏み入れた。

だがしかし、リリアの足はすぐに止まってしまう。

部屋の奥、右側の壁際に男が一人立っていたのだ。こちらをじっと見つめている。その男の髪は見事な銀色だった。


「先日は、大変失礼をいたしました」


 突然、シャイルがリリアの前へ一歩踏み出し、そのまま片膝を付いて低頭する。

 

「シ、シャイル?」


 驚くリリアの声には応じず、シャイルは床に視線を落としたままじっとしている。


「頭を上げなさい」


 耳に心地いい落ち着いた声が部屋の中に響く。


「謝罪は不要だ。それよりも、リリティシアをずっと守ってくれた事、礼を言うよ」

「礼には及びません。リリアは私の家族ですから」

「家族……。君はウォルターのもとで、リリティシアと共に育ったのだったな」

「はい」


 男の視線がシャイルからリリアへ移る。

リリアの心臓がドクンと大きく脈打つ。痛みを伴うほどだ。それほどまでに熱い視線だったのだ。


「──リリティシア、とても大きくなった。……今は、リリアと呼ばれているのだったな?」

「あ……、はい」


 消え入りそうなほど小さな声しか出せなかった。

しかし、そんなリリアに対し、男は気にしたそぶりも見せずに相好を崩す。


「リリア」

 

少し戸惑うような、だがしっかいとした声で男がリリアの名を呼んだ。


「さあ、どうぞシュティル陛下のお側へ」


 ガルロイに促され、夢の中にいるようなおぼつかない足取りでシュティルの元へと歩み寄る。


「……叔父様?」


 シュティルの数歩手前で再び立ち止まったリリアは、信じられない思いで呟いた。

彼は白を基調とした服を着ていた。その両肩に金の肩飾りがついていて、立襟には金の刺繡が施され、金のボタンが4つずつ、両脇の位置から臍へ向かって斜めに取り付けられている。煌びやかな服装がとても似合っていて、彼が放つ威厳に満ちた雰囲気に圧倒される。


「! 叔父様……。何と良い響きなのだろう。そうだよ。私は、君の叔父だ。さあ、もっと近くへ来ておくれ」


 だが、どれほど威厳に満ちていようとも、シュティルがそうせずにはいられないとでも言うかのように、リリアへ向かって手を差し出した。リリアは導かれるように、おずおずとその手を取る。

 目の覚めるような青い瞳がリリアを食い入るように見つめている。その眼差しはリリアを見つめながらどこか遠くを見ているようにも感じられた。

 リリアの不安を感じ取ったのか、まるで宥めるように強い眼差しがとても柔らかくなった。青い目が優しく細められ、そっと両手を握りしめられる。


「絶対に生きていると信じていた」


呟きはシュティルの腕の中で聞いた。いつの間にかリリアはシュティルにしっかりと抱き締められていたのだ。


「!」


酷く驚きはしたが、嫌だとは感じなかった。

それよりも、彼女を抱きしめているシュティルの腕が僅かに震えているのに気づき、リリア自身も胸の奥から熱いものが込み上げてきて目を閉じる。

しばらくの間リリアを抱きしめたシュティルは、名残惜しそうにそっと身を離した。

 

「……この絵を見てご覧。」


 シュティルの視線を追うようにリリアは見上げる。壁には大きな絵が飾られていた。蜂蜜のような黄金色の髪の美しい青年と、赤子を抱いたリリアとよく似た髪色の優しい面差しの女性がとても幸せそうに微笑んでいる。知らない人達だというのに、どこかで会ったような懐かしい思いが心を揺さぶる。


「アルフレッドとエレーネ……。君の父と母だ。そして、生まれたばかりのリリティシア、君だ」

「え? ……私の父と母?!」

「そうだよ。今の君は、同じ年の頃のエレーネに本当に良く似ている」


 絵の中の父と同じ色の瞳が、まるで長い年月を埋めるかのようにリリアを見つめている。

 父と同じ……青い瞳。

 自然と涙が溢れてきて頬を濡らしていく。


「泣かないでおくれ……」

「──私、……実は今も信じられないんです。もしかしたら、何かの間違いではないかと……。」

「間違いなどではない。……私を見て、何か感じないかい?」

「……胸が苦しいくらい、とてもどきどきしています。あなたが本当に私の叔父様ならと……。もし本当だとしたら、とても嬉しいです。でも……恐れ多いというか……やはり夢なのではないかと──」

「……戸惑うのも無理はない。君は何も知らされていなかったようだね。だが、君は私の大事な姪で、この国の王女だ。夢ではないのだよ。これは現実だ。それは、この私が保証しよう。私の言うことが信じられないかい?」


 少し悲し気に見つめられ、リリアは慌てた。


「あ、いえ、でも……」


 何か言わなければと思うのだが、うまく言葉が出てこない。もちろん、リリアは信じたくないわけではない。

 だが、この部屋もさることながら、ここに来るまでのお城の中の様子に圧倒され、自分がとても場違いなところにいるように思えて仕方がないのだ。ますます自分が王女だとは思えなくなっていた。


「どうやら、困らせてしまったようだね。……そうすぐには受け入れられないことは理解しているつもりだよ。では、まず君の部屋に案内させよう。疲れただろう? そこで、少し休むといい」

「え? 部屋?!」


 動揺するリリアからシュティルは視線を扉の近くで控えていたユーリックへ向けた。意図を酌んだユーリックは頷くと優雅に一礼し、すぐに部屋から出て行く。


「あの、部屋って、……私はここに泊まるのですか?」

「泊まる? 違うよ。君は、今日からここで暮らすのだよ」

「!」


思考が停止し茫然と立ち尽くすリリアの耳に、入室を告げる衛兵の声が聞こえてきた。


「入れ」


 シュティルの声に応えるように、「失礼します」と、静かに入ってきたのは二人の女性だった。一人は若く、もう一人の初老の女性はリリアを見るなり震え出した。そして、両手を口に当てると、そのまま崩れるように膝を付いた。女はリリアをじっと見つめながら大きく見開いた目からぼろぼろと涙を流している。


「……エレーネ様──」


 とうとう両手で顔を覆い、嗚咽をもらして泣きだした女の背を若い女が優しく撫でる。「陛下、リリティシア様、申し訳ございません」と謝罪を口にする若い女の目にも涙が溢れている。


「紹介しよう、リリア。彼女達は今日から君の身の周りの世話をしてくれるマロウとシンシアだ」

「初めまして、シンシアです。精一杯お世話をさせていただきます。……あの、マロウ夫人は以前、リリティシア様のお母様の侍女だったのです」

「じじょ……?」

「身の回りの世話をする女性の事だよ」

「──申し訳ございません。あまりにエレーネ様によく似ておいでだったので……」


 涙を拭いながら、マロウ夫人が顔を上げた。赤く染まった目元が痛々しいが、目は喜びに満ちていた。


「さあ、リリティシア様。あなた様のお部屋へ参りましょう」


 二人の女性に導かれ、リリアは茫然としたまま扉へと向かうのだった。

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