第3話 王城。

 ヴァロアに別れを告げたリリアは、ガルロイが乗る馬の前に乗せてもらい、入り組んだ裏道を進んでいた。何度目かの角を曲がった時、別の道から現れた3人の男達と出くわした。男達は突然馬が現れてかなり驚いているようだった。あまり馬に乗った人が通る道ではないのかもしれない。男達はガルロイの姿に目を止めると、すっと道を開けた。

 だが、リリアの上質な生地でできた衣装に気付いた途端、男達の顔に下卑た笑みが浮かぶ。


「おい! 待ちなよ」


 突如、男達の様子が豹変した。ガルロイとリリアが乗る馬の前を一人の男が塞ぐように立つと、すぐさまもう一人が馬の綱を掴み、三人目の男はリリアの服を掴んだ。どの男も刃物をちらつかせている。


「怪我したくなかったら、金とこの女を置いて行けよ」

「じゃないと、この女が怪我しちまうぜ」


 ガルロイの眉間に深い皺が寄る。嫌悪も露わに男達をねめつける。


「何をしている?!」


 鋭く誰何する声と共に、シャイルとルイ、そしてクロウが現れると、男達が僅かに怯んだ。


「リリア殿、しっかりと鞍に掴まっていてください!」


 リリアの背後からガルロイが叫んだ。


「あっ、はい!」


 慌ててリリアが鞍に掴まると、すぐさまガルロイは馬の腹を蹴った。馬は大きく嘶きながら、後ろ脚で立ち上がる。男達の目と鼻の先で馬の前足が空をかいた。


「うわぁ!」


 男達が驚いた拍子に腰を地面に強く打ち付けた。


きゃあぁぁぁぁぁっ!


 だが驚いたのはリリアも同じだった。悲鳴を上げ、必死の思いで鞍に縋り付く。


「リリア殿、大丈夫です! 決して貴方に怪我一つさせませんから!」


 怖がるリリアを宥めながらも、ガルロイは馬を駆けさせた。


「「リリア!」」


 クロウとシャイルの焦った声が追いかけ来る。

 だが、目を瞑ったまま鞍にしがみ付いているリリアには彼らの様子までは分からない。


「ガルロイ! 俺が──」

「心配するな、クロウ。リリア殿をこの俺が落とすとでも思うのか?」


 すぐそばからクロウの声が聞こえてきた。

 しかし、ガルロイはクロウの言葉を途中で遮ると、さらに速度を上げていく。


「ひっ……!」


 リリアの喉の奥で引きつった声が漏れる。


「ガルロイ殿! すぐに速度を落としてください! 誰も追いかけて来ていませんから!」


 切羽詰まった声でシャイルも叫んでいる。


「団長! おチビさんが、怖がっているんだよ! 体を密着させてしっかりと抱きかかえてあげてよ!」

「ば、馬鹿なことを言うな、ルイ! そんな破廉恥なことが出来るか!」

「あぁ、もう! これだから、いまだにお嫁さんがいないんだよ! 女の子の扱いがまるでなってないんだから!」

「煩いぞ、ルイ!」


 ガルロイは僅かに速度を落としてくれたが止まることはなかった。馬は駆け続ける。


「リリア! 大丈夫か?」


 蹄が石畳を蹴る音が響く中、クロウのリリアを心配する声が真横から聞こえてきた。思わず目を開けたリリアの目の端を、広場が一瞬で背後へ消え去って行った。リリアはクロウに安心してもらえるように、うんうんと頷く。それが、精一杯だった。きっと顔は引きつって変になっていたに違いない。

 今のリリアには大きな体躯のガルロイの前で小さな体をさらに小さくして、風を切って走る馬の背で鞍にただひたすらしがみ付く事しかできなかった。

 もちろん、団長がリリアを落としたりしないのは分かっている。でもやはり怖いものは怖かった。

 これまでクロウが馬を駆けさせる時、落馬するかもしれない恐怖を感じたことはなかった。それはリリアの体をクロウが必ずしっかりと抱きかかえてくれていたからだと今なら分かる。

 突然、馬の速度が急激に落ちた。

 リリアがほっとしながら顔を上げると、前方に立派な建造物が見える。


「リリア殿、あの跳ね橋を渡れば、そこから王城だと思ってください。丘はすべて王城の敷地なのです」

「え?! 丘が全部?」


 馬を歩かせながら、ガルロイが説明をしてくれる。


「普段はこのように川に橋が架かっていますが、有事の時は橋が上がり、通れなくなるようになっているのです」


 その説明に驚いたリリアだったが、さらに目を大きく見開く。橋を渡ると、景色が一変したのだ。

 目の前には建物らしきものの姿は一切無くなり、木々が生い茂っている。新緑の中、ところどころ白い花をいっぱいつけている木があるのが見える。道はまっすぐに上に向かっているのではなく、丘を大きく迂回しながら上へと続いているようだった。道の両側にある木はどうやら自生しているのはなく、人の手で植えられ、大切に手入れされているようだ。

 ふと、目線を上げたリリアはあたりに視線を彷徨わせた。町に居た時はどこからでも見えていた王城が、いつの間にか木々に隠れて見えなくなっていたのだ。


「団長さん、今どのあたりにいるのでしょうか? 木でお城が見えなくなってしまいました」


 不安そうにリリアが言えば、背後から『はっはっはっ』と大きな声でガルロイに笑われてしまった。


「──失礼いたしました。城が見えないように故意的に木を植えているのです。万が一、敵に攻め込まれても、城の位置がすぐには敵に分からないようにするためです」

「え?! わざとだったのですか……」


 驚くリリアの姿をほほえましく見つめながら、ガルロイは続ける。


「はい。さらに、この丘に植えられている木々のほとんどのものには食用の実がなります。木の皮さえ食べることができるものまであります。今、花を咲かせているのは林檎の木です。先月行われた花まつりの時には、この丘は紅や白、薄紅色の花で覆われ、その美しさを初めて目にした者は息をするのを忘れるほどです。特に今年は例年になくどの木も花を多くつけていたように思えました」

「まあ! 私も見たかったです!」


 これからはずっと見られますよと、ガルロイは感慨深げに目を細め、そのまま木々へと視線を向けた。


「この丘の木は初代国王が籠城に備えて植え始めたものですが、家臣達も真似て各々の領地でも同じように果実がなる木々をこぞって植えたそうです。さすがにこの丘と同じとまではいきませんが、どの領地でも春になると美しい景色を見ることができますよ。過去にはこの大陸全土で起こった飢饉で、この国だけが他の国に比べ餓死者がほぼいなかったと伝えきいております。もちろんそれは我が国が飢饉に備え備蓄をしっかりとしていたからなのですが」

「飢饉……餓死者──」


 リリアは顔を強張らせた。ガルロイの口調はさらに強まる。


「ベルンシュタイン国が豊かな国になったのは、それは歴代の国王となられた方々が心血を注ぎ、この国を導いてこられたからなのです。……ですが、豊かになればなるほど、我が国をまるで理想郷のようにとらえる近隣諸国がこの国を手に入れようと画策し、その度に国を守るため、ほぼすべての王達が酷い戦を何度も乗り越えてきたのです」


 熱弁するガルロイは、本当にこの国と歴代の王を敬愛しているのだと感じた。


「……怒っておられますか?」


 少しの沈黙が続いた後、団長はそう切り出した。背後から綱を握るガルロイの手に力が籠る。

 リリアは驚いて振り向くと、彼は神妙な面持ちでリリアを見ていた。


「危険を冒してまでハミール・ヴァロア殿に会いに来られたというのに、その貴重な時間を私の独断で切り上げさせてしまった。……本当に、申し訳ないと思っております」


 団長は苦しそうに眉間に深く皺を寄せ、リリアに頭を下げた。


「や、止めてください。怒ってなどいません。その、少しは残念に思いましたが、同じ王都にいるのです。国王様にお会いしたら、またすぐにヴァロア先生に会いに行けるのですから、謝る必要なんて全然ありません。それに、私も国王様にお会いできるのをとても楽しみにしているんです。だから、団長さんにはお城へ案内していただけて、とても感謝しています」


 偽りのないリリアの本心だった。

 団長は驚いたように顔を上げ、その精悍な顔を僅かに歪めた。


「私には、もったいないお言葉です」


 本当に怒ってなどいないのに、深刻な表情を崩さない団長の姿に、リリアはどうしていいか分からなくなる。

 それに、シャイルからリリアが実は王女なのだと告げられてから、団長はリリアに対してとても固い言葉を使うようになっていた。

 どうすれば普通に話してもらえるのだろうかと思い悩むうちに、ふと団長がお城の関係者なのだとシャイルが言っていたことを思い出した。


(叔父様にお会いする前にどんな方なのか聞くことが出来るかもしれない)


 リリアはガルロイの目をまっすぐに見上げる。


「あの、……団長さん、叔父──国王様はどのような方なのでしょうか?」


 問いかけが意外だったのか、ガルロイの眉間の皺が消えた。

 だが、すぐに困ったように眉尻を下げる。


「先日、国王陛下にお会いすることができたのですが、……実は国王陛下に直接お会いできたのは十四年ぶりなのですよ」


 思わぬ返答に、リリアは慌てた。


「え? ……十四年? あの、ごめんなさい。なんだが、困らせてしまいましたね」

「あ、いえ。こちらこそ申し訳ない」


 リリアが肩を落とせば、ガルロイが急いで言葉をつなぐ。


「では、リリア殿。昔の陛下のご様子と、先日、ほんのわずかの間でしたが、陛下にお会いいたしましたので、その時のことでよろしければ、お話しすることはできます」

「はい! お願いします」


 再び目を輝かせてリリアはガルロイを振り仰ぐ。その表情を見たガルロイはほっと表情を緩めた。


「……若い頃のシュティル陛下は体の線も細く、長い銀色の髪の良く似合う眉目秀麗な方でした。ですが、先日お会いした時には長い銀色の髪は短く切っておられて、驚くほど雰囲気が変わっておいででした。とても凛々しくなっておられたのです。立派な国王に……。そして、目が……元々、リリア殿のお父君であるアルフレッド陛下と同じ瞳の色だったのですが、目がとても良く似ておられた。まるで引き込まれてしまいそうな青く美しい強い光を宿す瞳でした」

「青い瞳……。父と似ているのですか?」

「あ、いえ。容姿が似ておられるわけではなかったのですが、醸し出す雰囲気がとても似ておいでなっておられました」


 もう会うことが叶わないと思っていた父とどこか似たところがある人と会えるのかと思うと、ふいに心が震えた。


「早く、早くお会いしたいです」

「──陛下も、きっと同じお気持ちでお待ちです」


 目を伏せ、感極まった様子のリリアを見つめ、一瞬声をつまらせたガルロイだったが、とても優しい声で応じてくれる。

 その二人のやり取りを、クロウ、シャイル、ルイがそれぞれ異なった表情で見守っていた。

 話をしているうちにリリア達は城門の前にたどり着いた。ガルロイは馬の歩みを止める。

 城門の大きさは、都の大門とまではいかないが、二つの尖塔を両端に据えた、立派な門だった。壁は同じ大きさに切りそろえられた石が綺麗に積み重ねられていて、入り口は綺麗なアーチ型をしている。重厚な鉄扉さえどこか優雅に見えた。

 門の前にいた衛兵達が、突然現れた長剣を携えたガルロイ達へ誰何する。

 すると、ふいに鉄扉がゆっくりと開き、一人の青年が姿を現した。鳶色の髪の年の頃は三十代半ばの穏やかな表情をした男だった。


「お待ちしておりました」

「……ユーリック・オークス殿?!」


 現れた青年の姿を見て、ガルロイは急いで馬を降りた。


「ガルロイ・ラフィット殿、十四年ぶりですね」


 青年はガルロイに親し気に声を掛けると、馬上のリリアへ薄茶色の瞳を向けた。その眼差しはまるでリリアの内側まで見通すような鋭いものだった。

 リリアはフードを外して挨拶をしようと手を頭に置いた瞬間、『そのままで』と、すぐにその青年に止められてしまった。


「あ、はい」


 慌てて手を降ろすと、青年はにっこりと笑みを見せた。その笑顔が優しかったので、リリアはほっと息を吐く。


「さあ、どうぞ。陛下がお待ちです」


 リリア達はユーリックの案内で城門をくぐった。門の内側には広場があり、正面に見えるバルコニーからその広場が見下ろせるようになっていた。

乗って来た馬達は馬番の男に預け、ユーリックはバルコニーへ続く階段へは向かわず、隣の建物の中へとリリア達を誘導した。

 そこからどれくらい歩いただろうか。入り組んだ通路をいくつも抜け、階段も何度も登ったり下ったり、そして天井が高く、幅も広くなった廊下に出た途端ユーリックが立ち止まった。


「あの扉の向こう側で陛下がお待ちになっておられます」


 彼が指し示す長い廊下の先に二人の衛兵が立っている扉が見えた。誰かがごくりと喉を鳴らす音がかすかに聞こえた。

 リリアはまだ遠くにある扉を食い入るように見つめる。


「力を抜け、そんなに強く握ったら爪が掌に食い込んでしまう」


 そっとリリアの手を包み込むようにクロウが掴んだ。無意識に掌を強く握ってしまっていたようだ。


「あ、ありがとう。クロウ」


 見上げると、黒い瞳が優しく見下ろしている。

そして、安心させるように頷く。


「さあ、参りましょう」

「はい」


 ユーリックに促され、リリアは再び一歩を踏み出したのだった。



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