第2話 手紙。
──つい、思い出ばかりを書き並べてしまった。
年のせいだろうか。昔のことをよく思い出す。今の私があるのは、君のおかげだ。
ハミール・ヴァロワよ、君に会い、若き日を共に駆け抜けて来たことを私は誇りに思い、とても感謝している。
だがあの日、私が至らぬがゆえに、君の志を理解することが出来なかった。やっと理解することができたのは今頃になってからだ。この大馬鹿者をどうか許して欲しい。今は叶わぬ願いだが、いつかこの胸の内をすべて伝えるために必ず王都へ会いに行く。その時は、私が育てた自慢の子供達も一緒に連れて行くよ。
今、この私が男の子と女の子の二人の子供を育てている。私を変えた子供達だ。君の驚く顔が──
読みとれるところはこれだけだった。
だが、読み終わると、ハミールは両手で持っていた焼き焦げた手紙の破片をとても大切そうに額に当てた。
「……彼がいなければ、私は医師にはなれなかった。感謝しても感謝しきれない。許して欲しいのは私の方だ。彼の好意を無にしてしまったのは私の方なのだから。なのに……私は、謝罪はおろか、もう礼のひとつも言わせてもらえないのだね──」
ハミールは泣いていた。
お互いこれほど心を通じ合っているのに、どちらも相手に感謝だけでなく謝罪もしたいと強く願っているなんて、二人の間に何があったというのだろうか。
リリアも、おじいさんのことをどれほど愛しているか、どれほど尊敬しているかをもっと伝えていればよかったと後悔は尽きない。
出来ない事だと分かっていても、過ぎ去ってしまった時間を戻したいと願ってしまう。
涙に濡れた顔を上げたハミールは、リリアとシャイルを眩しいものでも見るように目を細めて見つめる。
「……あなた方が、ウォルターの自慢の子供達なのだね? あの男が育てただけはある。本当に立派だ。……リリアと言ったね。この手紙を届けてくれてありがとう。ウォルターの心はちゃんと届いたよ。私の感謝と謝罪の言葉は私が死んだのち、あの世で直接伝えることにするよ。それまでウォルターには待っていてもらうとしよう」
シャイルと顔を見合わせたリリアは、くすぐったい気持ちで微笑み合う。まるでおじいさんに褒めてもらったような気がしたからだ。
「ふふふ。確かにあの男が子育てをしたのかと思うと、その姿を見てみたかったものだ。あなた方にとって、ウォルターはどんな男だったのかい?」
「本当に素晴らしい人でした。あの方のお陰で、命を救われた者は大勢います。私も救われた者の一人です」
「おじいさんはとても優しくて、何でも出来て、どんなことも知っているすごい人でした。大好きなんです。……ずっとそばに居たのに、私も何も伝えられていません──」
「……そうだね。失ってから気付くことは、とても多い」
「ヴァロア先生……」
「ハミールと呼んでおくれ。さあ、せっかくここまで来てくれたのだ。夕飯を一緒にどうだね? たいしたものは用意できないが、私が腕によりをかけて作らせてもらうよ。食事をしながら、もっとウォルターの話を聞かせてくれないかい?」
「すまないが、ヴァロア殿。今からこの者達を連れて行かねばならぬところがあるのだ」
ガルロイが本当に申し訳なさそうに、ハミールの前に進み出た。
「そうか……。とても残念だが、仕方がないね」
本当に残念そうに、ヴァロアは肩を落とす。その姿を見て、リリアはヴァロアの手の上にそっと自分の手を添えた。
「先生、また来ます。その時はハミール先生が知っているおじいさんのことをもっと聞かせてくださいね。私達もおじいさんのことが知りたいんです」
「ああ、約束するよ。あなた方が再び会いに来てくれるのを楽しみに待っていよう」
ハミールはわざわざリリア達を見送りに出てきてくれた。
「リリア殿。今からは私の馬に乗っていただきたい」
「え?」
突然のガルロイの申し出に、リリアは慌てて隣に立つクロウを見上げた。
だが、彼はまるで初めから分かっていたかのように驚いた様子はなく、小さく頷いてみせる。
リリアは寂しさと、わずかな不安と感じながら、ガルロイの馬に乗った。
「リリア殿、フードを被っていただけますか? このまま、城へ直行いたしますので」
「あ、はい。分かりました」
リリアは急いでフードを被り、改めてヴァロアに向き直った。
「ヴァロア先生、急にお邪魔してしまってすみませんでした。また来ますね」
「ああ、待っているよ」
「では、失礼します」
ガルロイもヴァロアに別れの挨拶を済ませ、リリアの後ろへ騎乗した。それを合図のように、シャイルもヴァロアへ二言三言声を掛け、急いで騎乗する。
リリアの姿を目で追っているクロウの隣に立ち、ルイが気づかわしげに声をかけてきた。
「団長は心配しているんだよ。クロウとシャイルがおチビさんを連れて逃げるかもしれないってね」
「……」
クロウはゆっくりと顔を隣へ向けた。いつも陽気でお節介な仲間の顔を凝視する。
「でも、本気でおチビさんをつれ去るつもりなら、……俺、手伝うよ」
ルイの目は笑っていたが、ささやく声は真剣だった。生半可な思い付きで言っているのではないことは、クロウには分かっていた。
なぜなら、ルイはガルロイの事を本当に慕っているからだ。
クロウは自分を気遣ってくれる優しい仲間の顔を迷いのないまっすぐな眼差しで見つめた。
「ルイ。……ありがとう。だが、叔父だという男にリリア自身が会いたがっている。その願いを叶えてやりたい」
「そうなんだ。分かった。……クロウはさ、自分に厳しすぎると思うよ。もう少し、わがままになってもいいんじゃない? とりあえず、俺に何か手伝えることがあればいつでも言ってよね」
騎乗するルイをクロウは感謝を込めて見上げる。
「ああ、その時は頼む」
「クロウは、おチビさんに出会って本当に変わったね。もちろん、いい方へだよ」
どこか楽しそうにクロウにそう告げると、ルイはガルロイの後を追い、馬を駈けさせる。その後に続こうとしたクロウをヴァロアが呼び止めた。
「クロウ、待ちなさい。顔色が悪い。また無理をしているのだね?」
「……大丈夫だ、心配ない。少し疲れているだけだ」
「クロウ、もっと自分を労わってあげないといけないよ。さあ、私が煎じた滋養強壮の薬を持って行きなさい」
有無を言わさず急いで薬を取りに建物の中へ戻ろうとするヴァロアをクロウは引き留める。
「本当に大丈夫だ、ハミール。俺も、すぐに行かなければならない」
「そうなのかい? 仕方ないんだね。絶対に無理をしてはいけないよ。急ぎの用事がすめば、必ずここへ寄るんだよ」
ハミールは馬に飛び乗るクロウの姿を心配そうに見上げていた。その恩人にクロウはまるで安心させるように笑顔を向ける。
「必ず寄るよ。ハミール、ありがとう」
走り去るクロウの後ろ姿を見送るハミール・ヴァロアの顔には驚きの表情が浮かんでいた。
「なんて優しい目をするようになったのだろうね、クロウ」
恩人の心から喜ぶ声はクロウの耳にはもう届いていなかった。
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