精霊の乙女と黒髪の騎士2
待宵月
第1話 王都シェンドラ。
騎馬の一団が、色とりどりの草花が咲き乱れる緩やかな丘を下って行く。春蒔きの麦が青々とした葉を風に揺らす様を遠くに眺めながら、黄色の絨毯を引き詰めたような菜の花畑の間を縫うように進んで行く。
この一団の団長であるがっしりとした体躯の男ガルロイを先頭に、一団の前方にいた少女は、背後から手綱を持つ黒髪の美しい若者の腕の中から美しい景色を眺めていた。
少女の名前は、リリア。
本当の名前は、リリティシア・フォン・アーレンベルグ。
この国、ベルンシュタイン国の王女だ。王女といっても、リリアはほんの数時間前に自分の出自を知ったばかりだった。
「リリア、もうすぐ前方に王城が見えてくるぞ」
背後の青年の声に、はっとしてリリアが顔を上げた。
行く手に、北から連なる山脈の一番南端となる山が見えている。一団はその山を迂回するように進んでいるようだった。
「王都は、あの山の麓にあるんだ。その都を見下ろすように、小高い丘の上に王城は建っているんだよ」
「ルイさん」
馬を寄せてきた金色の髪に青い瞳の青年ルイが、とても嬉しそうに王都について説明を始めた。王都の様子を語る彼の目は生き生きとしている。
「この国にはお城が幾つかあるけど、王城は格別だよ! 白く輝くとても綺麗な城なんだ。特に西側に広がる湖のほとりから眺める王城が、俺は一番好き。ほら、あの山の木々の上に王城の尖塔の先が見えはじめているよ。分かる?」
フードをずらし、ルイが指さす先を目で追う。
ルイが言うように、山陰から現れた小高い丘の上に頂部が尖った塔がいくつも見える。
「なんて、綺麗……」
国王が住まう城の全貌を目にした瞬間、リリアの唇から感嘆の声が漏れた。
深い青色の屋根に、輝くような白い壁の美しい建物が、晴れ渡った春の空を背にそびえ立っている。
これまでにも山の斜面に建つ城を見かけたことがあったが、堅牢なつくりの建物ばかりだった。
だが、王城は大きさも優雅さもまったく違っている。
何の言葉も出ないまま、その美しい佇まいに見惚れていると、突然土がむき出しになっていた道が、綺麗に舗装された石畳に変わった。
「見えたよ! 王都の大門だ!」
前方でガルロイと馬を並べていたルイが振り向き、弾むような声を上げた。リリアの胸は壊れないか心配になるほど高鳴っている。並木道を通り抜けた途端、目前に大きな門が現れた。大勢の人々が大門を通って行き来しているのが見える。
とうとう王都に到着したのだ。
「おじいさん、王都よ……」
喉の奥から熱いものがこみ上げて来る。声を震わせながら呟けば、ふと馬が歩みを止めた。
背後から大きな手がリリアの頭を撫でる。その手の動きはとても優しかった。振り向くと、髪と同じ黒い瞳がリリアを心配そうに見つめている。
この青年の名前は、クロウ。
縁あって二人は王都への旅で知り合い、お互いを思い合っていた。
立ち止まったリリア達の横を、背後の兵士の一団が追い越していく。
「クロウ?! どうかしたのか?」
血相を変えて、ガルロイが引き返して来た。
「何でもない」
「ごめんなさい。あまりに大勢の人がいるので、びっくりしてしまって……」
「そうでしたか」
どこか焦っているようにも見えたガルロイだったが、安堵した様子で再び馬首を大門へ向けた。
「さあ、参りましょう」
ガルロイの掛け声で、クロウは大門に向かって再び馬を歩かせ始めた。
大門と呼ばれているだけあって、アーチ型の門は天井がとても高く、馬上にいるリリアが見上げてもまだ十分に余裕があった。
奥行きの深さは、街壁の厚さだと教えられ、さらに驚かされる。
長い歴史の中で何度も敵の侵入を阻止してきたという頑丈な鉄扉を見た時などは、その重厚さに息を飲むほどだった。
そして門を通り抜けると、今度は賑やかな街並みがリリアの目に飛び込んできた。
広い石畳の道の両側にはたくさんのお店が並んでいて、人の多さだけでなく、物の豊富さにもまた圧倒される。
「……今日は、お祭りなの?」
「いいや。王都はいつもこんなものだ」
「これが、……王都」
「そうだ。ベルンシュタイン国の王都シェンドラだ」
茫然としながら呟いたリリアの問に、クロウが律儀に答えてくれる。
リリア達は人の流れのままに、街の中心にある大広場にまでやって来た。道は広場から各方面へ向かって伸びている。
一団はここで二手に分かれることとなった。リリアは城へ向かう兵士達を見送り、クロウの案内でハミール・ヴァロアのところへ向う。
ハミール・ヴァロアとは、リリアを育ててくれた元国王付きの医師だった男の親友の名だ。リリアはハミールに会うために、育った村を離れ、王都へたった一人で旅立ったのだった。
リリアとクロウの乗る青毛の美しい馬シェーンの後ろを、リリアと共に育った赤味を帯びた金髪の青年シャイルが終始無言で付いて来ていた。ガルロイとルイも一緒だ。
「これから先は、王都の中でも貧しい人々が暮らす場所だ」
クロウの説明に、シャイルの表情がわずかに曇った。
もしかするとリリア達と暮らす以前の生活を思い出していたのかもしれない。シャイルは病気のお母さんととても貧しい暮らしをしていたのだった。
だが、ハミール・ヴァロアはそのような場所で医師として暮らしているということだ。
クロウは大通りから脇道へと馬首を向ける。
「さあ、行こうか」
「はい」
リリアの返事にクロウはしっかりと頷くと、愛馬の腹を軽く蹴った。シャイル達もすぐにリリア達の後に続く。
道は途中から段々と狭くなっていく、建物の雰囲気も大通りでは白い漆喰を塗った建物ばかりだったのに対し、今は日干し煉瓦がむき出しになった質素な建物へと変わっていた。クロウはさらに馬を進め、入り組んだ狭い裏通路の先でやっと馬を止めた。
「着いた。ここだ」
少し開いた空間に一本の木が立っていて、その周りで子供が数人遊んでいる。どうやら憩いの空間になっているようだった。
突然現れたリリア達を見て、遊んでいた子供達が慌てて家の中へ逃げ込んでしまった。建物はどれも同じで、どれがおじいさんの友人の住まう家なのか分からない。
だが、クロウは慣れた様子で馬を木に繋ぐと、リリアを馬から降ろした。
「緊張しているのか?」
「……少し──」
「心配するな。俺が傍にいる」
気負った様子はなくそう言い切ると、クロウはリリアの小さな手を引き、それらの建物の一つへ迷うことなく歩いていく。
そして、扉を開けると声を上げた。
「ハミールは、いるか?」
「クロウじゃないか!」
「ジョナ」
若い男が笑顔で迎えてくれた。彼の名前はジョナというらしい。アーモンド色の髪と同じ色の瞳の好青年だ。彼はヴァロアの助手だと紹介された。
「あれ? 珍しいな。今日は一人ではないんだな。何かあったのか?」
クロウの背後にいるリリア達の姿を見て、ジョナは少し驚いているようだった。
「ハミールに会ってほしい人を連れて来たんだ」
クロウの説明を聞いたジョナは、フードを脱いだリリアに視線を止めると、『うおっ』と驚きの声をあげ、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「運がよかったな! 先生は明日から薬草を探しに遠方へ出かける予定だったんだぞ。今は診察中だけど、今日は他に患者はいないんだ。もうすぐ終わると思うから、狭いけどその辺に座って待っているといい」
「ああ、そうさせてもらう」
ジョナが上機嫌で鼻歌を歌いながら奥の扉の中へ入って行った。リリアは緊張が解けないまま室内を見回す。
建物の中は思ったほど狭くなかった。掃除が行き届いており、とても居心地が良かった。
突然来てしまったが、今は過ごしやすい季節のためか、病人が少なくて本当に良かったと、リリアは思わず胸をなでおろした。
もし病人が多い時であれば邪魔をしてしまうところだった。
「やっぱりダメね。とてもドキドキしてきたわ。……私、どこかおかしいところはない?」
「大丈夫よ。その服も良く似合っているわ」
シャイルがリリアのほつれた髪を直してくれる。服は旅の途中で身を寄せた屋敷の娘から借りたものだった。
「ありがとう」
お礼を言うリリアにシャイルがやっと笑みを浮かべた。
ギィっと音を立て、奥の扉が開いた。中から痩せた女が出て来る。
「ありがとう、先生」
「何度も言うが、無理はいけないよ」
患者らしい女は室内へ向かってお礼を言うと、リリア達の横を通り過ぎ、建物から出て行った。
程なく、女が出てきた部屋から、白髪の痩せた男が現れた。とても優しい目をしている。
「ハミール」
「やあ! クロウ、久しぶりじゃないか」
クロウが声を掛けると、とても嬉しそうにクロウの名を呼んだ。彼がおじいさんの友人で、クロウの命を救ったその人ハミール・ヴァロアだ。クロウに向けられた眼差しに、愛情が感じられる。
「おまえが私に会わせたいという人はどこにいるんだい?」
どこか浮き浮きとした様子でヴァロアはクロウに尋ねた。
クロウは背後にいたリリアに視線を向け、励ますように自分の手をリリアの背にそっと添える。リリアは澄んだ黒い瞳を見つめ返し、しっかりと頷くと一歩前に踏み出した。
「リリアです。初めまして、ヴァロワ先生」
背の高いクロウの陰から現れた小柄な少女の姿を目にした途端、ヴァロワの目が大きく見開かれた。
「おおっ!」
ヴァロアは歓喜の声を上げると、それはそれは嬉しそうに破顔した。
「クロウ! とても美しい娘さんじゃないか! この娘さんがおまえの好きな子なのだね?」
「「「「「え?!」」」」」
ヴァロワが発した言葉に、リリアとクロウだけではなく、シャイルとガルロイ、ルイまで驚愕の表情を浮かべ動きを止めた。
「おまえの大切な子を私に紹介しに来てくれたのだろう?」
クロウとリリアは思わずお互い顔を見つめる。
「あ、……いや、そうだが、そうじゃないんだ!」
「おやおやクロウ、ここまで来て、何を照れているんだい? おまえがはっきりしない態度だと、すぐに振られてしまうぞ!」
「ま、待ってくれ──」
額を押え、珍しく動揺するクロウの横で、リリアも顔を赤らめ、おろおろと慌てていた。
背後からは、ガルロイがシャイルを止める声と、ルイの爆笑している声が聞こえてくる。
「あ、あの! 私のおじいさんがずっとヴァロア先生に会いたがっていたんです! ウィルという名前を覚えておられませんか?」
「おや? ……ウィル? それがあなたのおじいさんの名前なのかい?」
首を傾げ、おじいさんの事をまったく覚えていない様子のヴァロアの姿に、リリアは衝撃を受けた。足元から崩れるように、ぐらりとゆれたリリアの体をクロウが抱き留める。背後から出てきたシャイルがヴァロアの前に立った。
「ウォルター・バーラントをご存じですよね? ウィルは彼の仮の名前です」
「え……?」
驚いたのはリリアだった。クロウの腕に摑まりながら、シャイルの背中を見た。
(ウォルター・バーラント? 仮の……名?)
リリアは本当に何も知らされていなかったのだ。
「ウォルター?! ウォルター・バーラントだと!」
リリアの悲しみはすぐに吹き消された。ハミールの反応があまりに激しかったからだ。その細い体のどこにそんな力があったのかと思うほどの強い力でシャイルの両肩で掴む。
痛かったのだろう、シャイルがわずかに呻き声を漏らした。
「うっ、あ……はい。ご存知なのですね?」
「知っているもなにも、私はウォルターをずっと探しているんだ! あなた方は、ウォルターの居所を知っているのか?」
「はい。……ですが、先月、亡くなられました」
「な、……亡くなっ……た?」
ヴァロアの顔から一瞬で血の気が失せ、シャイルの肩を掴んでいた手が力無く滑り落ちていく。ふらりとよろめいた体を、シャイルがすかさず抱き留めた。
そして、そのまま近くの椅子へ導く。
「ヴァロア先生。……おじいさんは先生にとても会いたがっていました。これを読んでいただけませんか? おじいさんが先生へ宛てて書いたものです」
項垂れるヴァロアの前に両膝を付き、リリアは燃え残った手紙の破片をそっと差し出した。
「許してください。……私のせいで、ヴァロア先生に会いに来ることが出来なかったのです。この手紙は、偶然私が暖炉の中から拾い上げたものです。おじいさんが書いたものですが、手紙さえ出せない状況だったので、せっかく書いた手紙も燃やしてしまったのです。これは燃え残ったものなので、内容は一部しか読み取ることしかできませんが、どうしてもヴァロア先生にお渡ししたいと思っていました。そして今日、やっと持ってくることができました。遅くなってしまいましたが受け取っていただけませんか?」
「ウォルターが、私に?」
ヴァロアはゆっくりと手を伸ばし、目の前に差し出されている焼け焦げた手紙の破片をそっと手に取った。そして、懐かしい筆跡をまるで縋るように読み始めたのだった。
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