第6話 王位。
クロウが再び椅子に戻る姿を見届け、国王へ視線をむければ、明らかにシュティルは今までとは違う表情を浮かべていた。今の彼からは、少しだが感情が垣間見える。
「やはり、君達にはきちんと話をしておくべきだったのだな」
シュティルはそう切り出した。
「私は明日、リリティシアをリリアとして、私の養女にすることを臣下達に公表するつもりだ」
「え?! それは、どういう……? リリアは本当の──」
酷く困惑するシャイルにシュティルは頷いて見せた。
「私の兄アルフレッドの娘のリリティシアとして戻れば、必然と王位は私からあの子へ移ることになる。そうなれば、私は彼女にとって臣下の一人でしかなくなる。あの子を支えることは出来ても、あらゆることから守ってやることは非常に難しくなる。今まで自分が王女だとさえ知らなかった娘が、突然女王となって一国を背負うことになってしまうのだ」
「……お、王位? 国を、背負う?!」
シャイルは譫言のように、シュティルの言葉を繰り返す。
「この国は、女性も王位を継ぐことができるからね」
そこまで考えが及んでいなかったシャイルは絶句する。リリアは王女として城の中で安全に守られ、華やかな生活を送れるものだと、漠然と思っていたのだ。
(リリアが、女王───)
「私の娘としてなら、女王として即位するまでにいくらか時間を与えてやれるだろう」
すでに空になった器に視線を落とし、シュティルは端正な顔に僅かに憂いを滲ませた笑みを浮かべた。
「少し長くなるが、いいかい?」
シャイル達が頷くのを見届け、シュティルはおもむろにテーブルの上で両手を組んだ。右手の中指には金色に輝く国王の証しである指輪が光っている。
「この国は大きく三つに分けることができるのだが、君達は聞いた事があるかな?」
「……王族と、貴族。そして、民ですか?」
「そうだ。ウォルターに教わったのだね?」
「はい」
「導くは王であり、仕えるは貴族であり、支えるは民である。この王城には文官武官を含め、沢山の人が働いているが、みな貴族の出身だ」
「……つまり、私達のような庶民の出は王城で働くことさえできないと?」
「そういうことだ」
「……」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「──庶民から、貴族になった者はいないのですか? 私なら、並みの貴族達より剣は使えるはずです!」
まるで挑むようにシャイルは尋ねる。
「確かに、大きな功績をあげれば、爵位を授けられて貴族として受け入れられる事はある。例えば、エルバハルがそうだ。あの者の功績がなければ、前国王亡き後の災害を乗り切ることは難しかっただろう。それほどに稀なことだ。他国であれば、剣に自信がある者が戦で武勲を挙げ、爵位を受ける場合もあるようだが、この国の兵士は全て貴族だ。かつて民が戦に借り出された事は一度も無い。つまり君のようにいくら剣術に自信があったとしても、それを活かす機会がないのだ」
「……」
思わず、シャイルは苦し気に顔を歪ませた。
(先生に教わり、剣には自信がある。なのに……!)
初めから王女となるリリアの側にいることはできないだろうとは思っていた。
だが、城で働く兵士の一人にさえなる事ができれば、いつかその剣の腕を認められ、リリアを守る護衛の一人にはなれると考えていたのだ。
「どうして、……能力がないならまだしも、貴族でないからなど──」
絞り出すような声でシャイルは呻く。
握り緊めた拳が震えた。シャイルは貴族を憎んでいる。自分と母を捨てた男が貴族だったのだ。
(あんな男が貴族だという理由で、王城で働く資格があるのに、自分にはそれさえ無いなど……)
「……ベルンシュタインというこの国は千年もの長い歴史がある」
突然、シュティルがこの国の歴史を語り始めた。
「それ以前にはこのあたりではたくさんの小国がせめぎ合っていた。血で血を洗うような戦乱の時代が長く続いたようだ。だが、ある日忽然と現れた金色の髪に青い瞳を持つ若者が、あっというまにこのあたりの小国を掌握してしまった。それが、この国の初代国王レフィナードだ」
シャイルは虚ろな目を絵に向けた。リリアの父親の姿が初代国王の容姿と重なる。
「彼にはたくさんの逸話があるが、その中で最も有名なものが、彼が精霊の乙女を妃にしたというものだ。それがきっかけとなって精霊を畏れ敬う隣国の四つの国が剣を交えることなくこぞって彼の軍門に下り、忠誠を誓った。それを機にレフィナードは国の名をベルンシュタインとし、その後一気に大国へとのし上げたのだ。ベルンシュタインとは琥珀の事だ。琥珀は別名『精霊の涙』とも言われている。この国は良質の琥珀がたくさん採れるからね」
広い室内にシュティルの声だけが響く。
「四つの国の王達はベルンシュタイン国で侯爵の地位を与えられ、レフィナード国王とその妃に嬉々として仕えた。彼らは忠誠の証として、自分達の国の一部を自ら献上しているが、残った領地は今も彼らが治めている。長兄が領地を治め、子弟達は王城や砦などで文官や武官となって国のために働いている。他の貴族達も同じようなものだ。それが今も脈々と続いている。そして、侯爵家を筆頭に精霊の乙女の末裔である王家を、つまりはこの国を守るのは貴族の役目なのだと、そのことを誇りに思っている。だからこの国では民に戦をさせることはない」
(誇り? 民であっても、この国を守りたいと思っているものはいる。その者達の想いは『貴族の誇り』という言葉で蔑ろにされるのか──)
納得などできなかった。できるはずがない。
突然、シュティルは話を途切れさせた。眼差しが硬質なものに変わる。
(おそらく本題は今からだ……)
シャイルは身構える。
「精霊の乙女を手に入れた者は国をも手に入れる」
隣でクロウが僅かに反応したのが分かった。
だが、シュティルはそのまま話を続けていく。
「そんな話がまことしやかに貴族達の間で囁かれていたのだが、リリティシアが生まれた事で、ただの言い伝えではなくなってしまった。女王になるあの子の瞳の色が精霊の乙女と同じ翡翠の色なのだからね。リリティシアと婚姻を結んだ者は女王の夫となり、名実共に国を統治することになる。生まれたばかりの時でさえ大騒ぎだったのだ。これからは貴族達の間で彼女の婿選びが熾烈を極めるだろう。もちろん、他国も王子達を送り込んでくるはずだ。もし私が強引にでも君達に爵位を与え、貴族にしたとしても、それは名ばかりだ。他の貴族達は絶対に納得しない。もちろん、婿候補にも選ばれることはまず無い。それよりも、正直に言えば、君達が傍にいれば、リリティシアの重荷になるとさえ私は思っている。悪いが、今の君達には他の貴族達を黙らせるものが何もない。それに、傍にいながら他の男のものになったリリティシアを黙って見守り続けることができるのかい?」
ガタっと音がして、クロウが立ち上がった。
見上げれば、シュティルに一礼してそのまま一言も言葉を発することなく、部屋から出て行く。
シャイルはクロウを止めなかった。自分の感情もままならないというのに、扉の向こうへ消えて行くクロウの真っ直ぐに伸びた背を見届けた途端、やるせない気持ちに襲われ、奥歯を噛みしめる。
本当は大声で叫び出したかった。クロウの胸倉を掴んで、罵ってやりたかった。
『リリアへの想いは、こんなにあっさりと諦めてしまえるようなものだったのか』と。
だが、それは単なる八つ当たりだと分かっていた。本当に愛していたならば、他の男のものになった愛しい者の姿をずっとそばで、手に触れることも出来ず、ただ見守り続けることなど出来るはずなどないのだから。
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