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「勝手に使っていいのか?」
「はい。今は私ぐらいしか使ってませんし」
「お前の準備が済んだら始めよう」
「はい」
返事をした姉杏は準備を整えに一度その場を離れ、桃太郎はコートを脱いだだけ。
そして少しして戻って来た姉杏は道着姿になっており、既に待っていた桃太郎と対峙する形で並んだ。
「準備運動しないと肉離れにでもなっちまうぞー」
そんな真獅羅のヤジを無視し桃太郎は姉杏へ僅かに鋭さを帯びた視線を向けた。
「よろしくお願いします」
その視線を受け姉杏は礼儀を重んじた丁寧なお辞儀をした。そして頭が上がると静かに身構え、いつ始まってもおかしくない雰囲気が武道場を包み込む。
先手を仕掛けたのは姉杏だった。様子を伺うように真正面から桃太郎との間合いを詰め号砲代わりの一撃が桃太郎へと伸びる。
それから始まったのは桃太郎が防戦一方の攻防戦だった。降り頻る雨粒のような姉杏の連撃に対し、桃太郎は安定した様子で全てを防いでいる。躱す事も避ける事もせず、全てを受けきっていた。
一方で姉杏は一撃の重みというより手数的でその小柄さを上手く使った戦い方。素早い動きで相手を翻弄しつつ隙を突く。時には針の穴を通すようなタイミングでの一撃を繰り出したりと、どんな素人が見ようとも彼女が戦いに慣れてないとは思わないような戦いぶりだった。
「流石は簔煒の孫って感じね」
「少なくとも孫と戯れる為にでやってた訳じゃなさそうだな」
そう言うと真獅羅は瓶ビールを、奇妓栖はウィスキーを口にした。
しかしながら桃太郎の防戦一方は最初の方だけで、すぐに反撃を開始。攻めの時と同様に守りに関しても姉杏は軽やかな動きでなるべく受けないようにしていた。体が温まって来たのかその頃になると姉杏の動きはより素早くも無駄が無く、緩急を巧みに使い分けたものへ。
桃太郎の左拳を半歩だけ身を引き、最小限で躱す姉杏は既に次なる一手を見ていた。拳を躱された桃太郎だったがそれを分かっていたかのようにすぐさま上げた右足を姉杏の脇腹へ。
それを迎え撃つように転がり躱した姉杏は流れるように地を蹴ると、お返しと言わんばかりに桃太郎の顔面へ蹴りを放った。
しかしそれは寸でのところで受け止め防がれた。
「にしても確かにアイツを思い出す」
「ただの師弟じゃなくて祖父と孫だものね」
それからも桃太郎と姉杏は息も付かせぬ戦いを繰り広げていた。
すると攻撃を躱しながら大きく間合いを空けた姉杏は、諦めたのか構えを止めた。そして視線を向けたまま桃太郎へそっと歩みを進め始める姉杏。
「なんだ?」
真獅羅の声が響く中、突然の行動に警戒を強める桃太郎。
その時――姉杏の姿は消えた。まるで最初から幻覚でそこに存在しなかったかのように。戦いの最中とは思えない静寂が辺りを包み込む。桃太郎の僅かな体重の移動による畳の小さな軋み出さえ聞こえてしまいそうな静けさ。
そんな静寂の中、警戒心を強める桃太郎は髪先を掠める風の如き違和感を察知し天井を見上げた。
しかしそこには二人の戦いを見届け続けた梁が依然とあるだけ。姉杏の姿はない。
だが次の瞬間。桃太郎の背後へ幽霊の様に現れていた姉杏はその手を彼の喉元へ。指先で触れるとそのまま肌をなぞり横へ一本の線を引いた。そして再び訪れた疾風のような静寂が戦いの終わりを告げた。
その後、姉杏の手が離れ歩き出した桃太郎はコートの方へ。床に置いていたコートを手に取ると内ポケットから写真を取り出した。
「儂らの目的はこ奴だ」
そう言って写真を姉杏へと差し出す。
「これは……鬼?」
「天酒鳳神王鬼」
その名前に姉杏は勢いよく顔を上げた。
「で、でもそれは皆さんがおじいちゃんと……」
「そうだ。だが奴は復活した」
「そんな……」
今まで祖父から聞いていたお伽噺上のような悪い存在が――しかも祖父が倒したはずの鬼が復活したという話に姉杏は信じられないといった様子で再び写真へ視線を落とした。
「あの時、儂らは若さと全盛期の力と運を限界まで使い切って奴を倒したが、二度目はどうなるか分からん。前回より敗れる可能性は高いだろう。だが儂らは最早、老い先短い身。ここで死のうが余り変わらん。二人には悪いがな」
そう言うと桃太郎は真獅羅と奇妓栖へ横目をやった。
「お前と違ってな」
桃太郎は手に持っていたコートを着ると姉杏の手から写真を引き抜き内ポケットへ。
「死ぬかもしれない。それ程の相手だ。それでも来るのか?」
姉杏は写真の無くなった手元をただじっと見つめていた。
「鬼退治の話をするおじいちゃんはいつも楽しそうでした。そんなおじいちゃんを見ながら私もいつかそんな風に旅が出来たらなって思ってて。もちろん危険だって言うのはちゃんと分かってます。ただの旅行じゃないっていうのも。でもおじいちゃんは良く言ってました。あの旅があったからこそ今の自分はあるって。とても誇りに思ってたし、そんなおじいちゃんの為に私が代わってっていうもありますけど――私自身、見てみたいんです。おじいちゃんが見て来た世界を。しかもおじいちゃんと同じ仲間の方々と一緒に行けるなんて……」
そして姉杏は真っすぐな表情で桃太郎を見上げた。
「だから危険だとしても――行かせてください。そしていつの日か、今度は私がおじいちゃんに話してあげるんです」
姉杏の覚悟を決めた双眸はその意思を表すかのように強く、迷いのないものだった。
「なら準備が終わったら出発しよう」
そう言って桃太郎は一人武道場を後にした。
「ありがとうございます」
その背中に頭を下げると姉杏も早速、準備に取り掛かるためまずは着替えへ。
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