あの日、あの木の下で
それは、リコットがまだ幼い頃のこと。
幼い蝶は母親の帰りを待って、ひっそりと姿を隠していた。
その日は穏やかな晴れで、幼い蝶は少しうとうとしていた。
そこへ少女が屋敷から出てきた。
レモン色のドレスに亜麻色の髪がぴょこんと揺れる。
その幼さとは裏腹に少女の緑の瞳は何やら真剣で、僅かに憂いを帯びているようにも見えた。
幼い蝶は眠気もあるのだろうか、深刻な眼差しの少女をぼんやりとしか眺めていなかった。
少女は幼い蝶に気付くことなく、背の高い木々を品定めするように見つめては幹を撫でていく。
やがて、少女はひときわ背の高い木の近くで歩みを止めた。
いつの間にか、幼い蝶も少女の行動に注目していた。
少女が助走をつけて、力いっぱいに跳躍する。
だが、一番下の枝まではあと少しのところで届かない。
少女は何度か跳躍を繰り返し、やがて一番下の枝へと手が届いた。
そこからは足をばたつかせながらも徐々に上へと向かう。
少女はとうとう木の頂上近くまで登り詰めた。
不安定な足取りで細い枝へと向かっていく。
誰が見たって、危ない状況だった。
幼い蝶は、正直かなり焦っていた。
このままだと少女は足を滑らせるなりして落ちてしまうことだろう。
だが、幼い蝶は人間に見付からないように隠れているのだ。
人間に見付からないように助けることは不可能に思えた。
少女はどんどん細い枝へと進む。
そして、枝の端に近い箇所でやっと足を止めた。
少女が木の香りを思い切り吸い込む。
その刹那。
少女はひらりと身を投げた。
少女を受け止めるものは真下にない。
が、少女は温かさに包まれているのを感じた。
ゆっくりと目を開けると、同年代の少年が驚いたような表情で少女を見つめていた。
輝くような空色の髪に大きな群青の瞳。
緑のローブを羽織った少年は、何故だかこの世の者ではないように少女は感じた。
「あ、ぶナイよ」
少年は言葉に慣れていない者のような、少し外れたアクセントで少女に話しかけた。
緊張なのか安堵なのか大きく肩で息をする。
少年はそっと少女を下ろすと、周囲へと視線をやる。
そのまま何も言わずに少女へ背を向けて駆け出そうとした。
「待って!」
少女が悲痛な声で叫ぶ。
少年はそこで足を止めてしまう。
だが、またすぐに歩みを進めていく。
ダメだ。
人間と一緒にいてはダメだ。
躊躇いながら、だが歩みは確実に遅くなる。
やがて、少女は少年に追いついた。
「一人に、しないで」
少女は緑の瞳から、はらはらと涙を流していた。
「母上が病気で会っちゃダメって、皆も母上のとこで、私はいても邪魔で、だからだから」
少女がしゃくり上げながら一気に話す。
少年は少し戸惑いながらも、少女に自分の境遇を重ねずにはいられなかった。
少年は、僅かに頷いた。
「ひとり、に、しナイよ」
こうして、蝶はリコットを一人にしないと誓ったのだ。
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