焼け野原にて
エニンは一人、焼野原に来ていた。
焼け野原の先に青白く輝く一帯がある。
その中で、一人の男の姿が遠くからでもはっきり見えていた。
荒野に響き渡る、狂ったような笑い声。
その笑い声にエニンは聞き覚えがあった。
やがて、エニンは男の前へと進み出る。
すると、男の方もエニンの姿を見つけて笑いをやめた。
「これは、思ってもみなかったお客さんだ」
「お元気そうで何よりです。タラバス様」
タラバスはつまらさなそうにため息を吐く。
短く切り揃えられた髪は闇にも似た藍色に染まっていた。
ハーフマントを風にたなびかせながら、気だるげにタラバスは立ち上がった。
「お前、何しに来たんだ」
「タラバス様をお迎えに上がりました」
エニンは悲しげな群青の瞳で微笑む。
「あんな手紙、どうして送ったのです?」
「お前、ここに来たってことは俺が何をしたか分かってんだろ? 変わり果てた兄の姿を見せるわけにはいかねえんだ」
そう言いつつ青白い輝きの山に手を突っ込み、輝きを口へと運ぶ。
「まさかとは思いましたよ。蝶からの報復を恐れる者はいても、根絶やしにしようなんて正気の沙汰ではありません」
今度はエニンがため息を吐く番だった。
タラバスの周辺で輝いているのは、みな傷ついた蝶である。
「軍の指令で死ぬ覚悟をしたのかもしれねえぜ? どうして俺がここにいると思ったんだ?」
「僕はタラバス様に雇われた身ですよ。タラバス様を案じて様子が窺えるようにしていました」
「あのペンダントか」
タラバスはチッと舌打ちした。
「なるほど、それで俺が軍を抜けたことを知り、可愛い妹のために何をするか予測したと。主人を監視とは、良い趣味じゃあねえなあ」
「タラバス様にお選びいただくほどの優秀なフリンデルですから」
エニンは深々と礼をした。
タラバスも腹から声を上げて笑う。
「もうちっと出来の悪いフリンデルを雇えば良かったか。まあ、今となっちゃあしょうがねえ」
タラバスは立ち上がり、月明かりをその背中に浴びる。
「で? その優秀なフリンデルさんがここに来た本当のわけは?」
「先程申し上げた通りです。蝶はもう根絶やしにしたのでしょう? 目的が果たせたのであれば、リコット様の元へ戻りましょう」
「聞いてなかったのか? 俺はこの姿をリコットに見せるわけにはいかねえんだ」
月明かりで照らされたタラバスの姿は、リコットと別れたあのときとは異なっていた。
蝶の力を多く取り入れたせいで、全身に症状が現れている。
黒かった髪は藍色に染まり、瞳の色も蝶を喰らったことの証として群青色に沈んでいる。
動く姿は気だるげで、力が体に馴染んでいない様子だ。
「俺が蝶の力を手に入れたと知れば、リコットはますます蝶に対して好意的になるだろう。俺は妹に悪い影響を与える蝶が憎かった」
「それで、蝶を滅ぼそうと?」
「そうだ。リコットに悪い虫がつかないようにな」
「ですが、蝶は滅びたのですよ。悪い影響などもたらしませんよ。リコット様はタラバス様の帰りを待っていらっしゃいます。だから――」
タラバスは指輪をエニンに向けると、閃光を放った。
ギリギリのところでかわす。
(涙を流さずに、攻撃を放った!)
「この体なあ、想像していた以上に嘆かわしくって仕方ねえんだ。全身が鉛みてえに重いし、心まで沈んじまって仕方ねえ。可愛い妹を可愛いと思うこともままならねえ。実に嘆かわしいだろ?」
「だから、帰らないとおっしゃるのです?」
タラバスは答える代わりに指輪を向けた。
今度はエニンも涙を数滴、指輪に零す。
タラバスは閃光を続けざまに放つ。
エニンは光の盾を作る。
が。
(受け止められる量じゃない!)
盾で受けずに走ってかわす。
「やるな。今のを受けてたら体中が穴だらけだったぜ」
言いながらも閃光を放つのはやめない。
エニンは走り続けるしかなかった。
と、急にエニンの姿が消える。
次の瞬間には、タラバスの背後から脇腹に剣を――刺さらない!
「残念だったな」
タラバスは至近距離から閃光を浴びせた。
エニンの右肩に大きく穴が開く。
剣が、持てない。
それに、指輪も左に嵌め直さなければ。
フリンデルの力を使うのも左手に。
早く。
「消せ」
タラバスの周りに集っていた蝶たちが、一斉にエニンへと向かう。
そして。
数瞬の後には、エニンの姿は消えていた。
タラバスは満足気に笑う。
「嘆かわしいな。優秀なフリンデルでも、戦い慣れた人間には適わない」
と、タラバスの脇腹から血が飛び散る。
「な!?」
タラバスは斬ったものの正体を見極めようとするも、何も見当たらない。
剣も、エニンの姿も。
「どうなっている?」
そうしている内に次々に斬られていく。
腕を。
足を。
だが、致命傷にはならない。
殺さないように注意しながら、動けないようにしていく。
『どうか、お許しを』
エニンの声が聞こえ、腹部に鈍い衝撃があった。
たまらず、タラバスは血を吐いた。
血の中には、タラバスが喰らったと思しき蝶の死骸が幾多も混じっていた。
さらに腹部へ衝撃が続く。
その度、何度も血と死骸を吐き続けていく。
やがてタラバスが息をするだけになると、エニンはようやく姿を現した。
「俺を、どうやって切った?」
「タラバス様は見えない蝶で全身を守っていました。そのために剣も刺さらず、涙など使わずとも指輪から攻撃を仕掛けることができました」
「ふん、すぐにお見通しだったか」
「それならば、僕が蝶に戻れば良いのです」
「戻るだと?」
エニンは優しそうな笑みを浮かべると、涙も流さずに蝶へと変わった。
「そもそも、僕はフリンデルではございません。蝶を食べて得た力ではないのです」
「なるほどね。元々お前が蝶なら、他の蝶に紛れて俺を守る機構の一部となれば、俺は無防備に等しいってことか」
エニンはまたも人間の姿に変わると、タラバスを抱えた。
「蝶を吐き出したタラバス様であれば、さぞ心も軽いことでしょう。帰ってくださいますね?」
「主人を斬りつけるわ、胃の中のモン吐き出すほど殴るわ、うちのフリンデルはとんでもない奴だな」
「恐れ入ります」
エニンは楽しそうに笑った。その瞳はフリンデルの悲しげな瞳ではなかった。
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