アイディアが出るのと大が出るのとが入れ替わった話

汐乃タツヤ

アイディアが出るのと大が出るのとが入れ替わった話

「はあ……。全然アイディアが出てこねえ……」


 水曜日の午前8時。

 用を足して、トイレから出てきた俺は愚痴ぐちと共にため息をつく。


 俺は白野しろのタツヒコというペンネームで執筆活動をしているライトノベル作家だ。

 大学の頃に趣味でライトノベルを書き始め、試しに小説投稿サイトに投稿をしたら、多くの読者から予想外の高評価を受けた。


 嬉しくなった俺は、その後もコツコツと続きを書いては投稿していき、大学4年の時に、ダメ元で応募した小説コンテストで特別賞を受賞して書籍化が決定。

 就活が上手くいっていなかった俺は、これを機に「こうなったらライトノベル作家として食っていく!!」と決意して就活をやめた。

 就職を捨てて、作家になることを両親から猛反対され、ずっとケンカを繰り返してきたが、俺は大学卒業と同時に家を飛び出して、専業ライトノベル作家としての活動を始めて今に至る。


 印税がもらえるまでのつなぎとして稼いでいたバイト代の大部分は、すでに生活費として消えてしまっている。

 そんな状況でも、俺は書籍化されたライトノベルが発売すれば一気に取り返せるさ。と始めは楽観的に考えていた。

 しかし、フタを開けてみれば、売れ行きは2巻の発行がギリギリ許される程度のもので、もらえた印税も予想を大きく下回り、俺は非情な現実を目の当たりにすることになる。


 ……大抵のライトノベルは1巻が最も多く売れて、その後の巻数はだんだんと売れ行きが減少していくものだと聞いた。


 もし2巻で打ち切りになったら……。

 今書いている作品で考えていた今後の展開が全て無駄になってしまう。

 かといって、新作を書き上げられる程の構想を今の俺は持ち合わせていないし、作品を練り上げるにしても、その間にかかる生活費をまかなうだけの金銭的余裕も無い。

 バイトをするにしても、その分だけ執筆時間が削られるわけだから、新作を書き上げるのに相当な日数がかかるだろう。そんな長い時間を編集サイドが待ってくれるだろうか。


 もはや俺にとっては、打ち切りイコール作家生命の終わりだ。

 両親に「二度と家には帰らない」とタンカを切って飛び出した手前、実家には戻れない。 就職するにしても、新卒枠でもダメだったのに、大学を卒業してしまった今では、採用される可能性はさらに低くなっているだろう。

 もし、就職にも失敗したらバイトで食いつなぐことになる。だが、バイトの期間が長くなって歳を取れば、より就職が厳しくなって、さらにバイトを続けざるをえなくなる悪循環あくじゅんかんになりかねない。

 そうなってしまえば、泥沼の人生がほぼ確定になってしまう。


 自分が置かれている状況に猛烈もうれつな危機感を抱いた俺は、これを打破するために、編集者である山本さんに頼んで時間をもらい、2巻の大幅なテコ入れを行うことを決めた。

 しかし、それから1週間が過ぎても、良いアイディアが全然出てこない。


「トイレで大は毎日出るのによう……」


 これが逆であれば、どれほど良いだろうか。

 精神的に追い込まれて、そんな不毛な考えに浸っていると、俺以外に誰もいないはずなのに、部屋から声が聞こえてきた。


「お困りの様じゃな。お若いの」


 声をした方に目を向けると、白いローブを羽織り、ファンタジー世界の魔法使いが使いそうな、全長で1メートルを超える長さの杖を持ったじいさんが立っていた。


 どう考えてもこの現代世界にいるような存在じゃない。と、いうことは……。

 

「とうとう俺は精神的に追い詰められて、幻覚と幻聴を知覚ちかくするようになったのか!?」

「コラコラ、断じて幻ではないぞ。ついでに言っておくが夢でもないからな。ワシは入れ替えの神じゃ」

「入れ替えの神……?」

「さよう。とはいえワシができるのは、その名の通り、選んだ者が持っている特性を入れ替えるぐらいだがの」

「はあ……?」

「例えば……今のお主は小説のアイディアが出てこなくて悩んでおったろう。トイレで大は毎日出てくるのに、ともばげいておったが。ワシならそれを入れ替えることができるぞ」

「……具体的にはどんな風になるんです?」


 入れ替えの神と名乗るじいさんの話はとても正気とは思えないが、後が無い状況にいる俺は、わらをもつかむ思いで耳を傾けていた。


「お主がもよおす便意は作品のアイディアへと変わる。逆にお主自身で作品のアイディアを出せば、それは便意へと変わる。つまり、毎朝決まって大を出しているお主は、便意の代わりに毎朝アイディアが思いつくようになるわけじゃ」

「……マジですか!?」


 それが本当なら、俺が作品を書くのに一番時間が必要なアイディア出しに困らなくなる。 そうすれば俺の執筆スピードが劇的げきてきに速くなるぞ!!


「大マジじゃ。逆に大を出したい場合はお主自身でアイディアを思いつく必要があるわけじゃがの」

「分かりました!! 今すぐ入れ替えてください!!」

「それは良いが……もう少し考えなくてもよいのか?」

「構いません! やってください!!」


 このままアイディアを出せなかったら高確率で作家生命が終わるんだ。それを考えれば、大の出が悪くなることなんて気にしていられるか!!


「分かった分かった。では……いくぞ」


 入れ替えの神が持っている杖を俺に突き出す。すると杖の先端から光が飛び出て、俺の身体を包み込んだ。


「えーっと、もう入れ替わったんですか? 特にアイディアが出てこないんですけど」


 今のところ特に変わった様子は見られない。


「今日はすでに用を足しておったからの、それも仕方あるまい。明日の朝にはアイディアが出てくるじゃろう。それではな」


 それだけ言い終えると、入れ替えの神はフッと姿を消した。

 

 結局その日は作品のアイディアは出てこず、便意をもよおすことも無かった。

 しかし、次の日の朝に変化が訪れる。


「来た来た来た!!」


 本当に作品のアイディアが浮かんできた!! しかも相当面白い展開になりそうだ!!

 俺は急いで愛用しているノートパソコンを起動させると、夢中になって文章を打ち込んでいく。

 その代償として今日はトイレで大が出なかったが、これほど良いアイディアが出てきて、止まっていた原稿が一気に進んだのだから、その程度は些細ささいなことだ。


 こうして執筆は快調に進み、1週間が過ぎた。


「白野先生、送って頂いた原稿ですが、凄く面白かったですよ!!」

「本当ですか! ありがとうございます!!」


 大幅に改定したストーリーの大まかな流れと、全体の半分ほどを書き上げた原稿を山本さんにメールで送ったら、普段はメールのやり取りなのに、わざわざ俺の携帯に電話を掛けて、作品を絶賛してくれた。


「それで、残りの原稿はどのくらいで完成しそうですか?」

「ハイ、1週間後には書き上がると思います」

「分かりました! 楽しみにしていますね」


 俺は通話を終えると、嬉しさからガッツポーズを取る。

 原稿を書いていて自分でも手ごたえはあったけど、山本さんからあれだけの反応をもらえたことは大きなはげみとなった。

 

 これなら売れる! 売れるぞ!!

 俺は自信を持って、さらに執筆を進めていく。


 ただ、原稿の件は本当に良かったが、それとは別に不安なことがある。

 

 ……あれから1度も大を出せていない。

 今まで生きていて、こんなに長く便秘になったのは初めての経験だった。

 腹がなんとなく重くて、少し落ち着かない。

 

 これがアイディアが出るのと大が出るのとを入れ替えてもらう前だったら、全然アイディアが出てこないで、原稿が全く進まなかったってことになる。

 それに比べればなんてことはないのだが。


「明日はきっと大が出るよな……?」

 

 湧き上がってくる不安を押し殺すように俺はポツリとつぶやいた。


 それからさらに1週間後。

 残り半分の原稿を書き上げ、山本さんに送ったところ、「これは間違いなく売れますよ!!」と大喜びされた。

 

 これなら2巻が出れば盛り返せるな。ひょっとしたら1巻も売れて重版がかかるかもしれない。

 それは喜ばしい、喜ばしいのだが……。

 

 2週間ずっと、大が出せていない。


 そのせいで腹が張って不快だし、時々痛みも走る。おまけに普段よりも呼吸がしづらくて、なかなか寝付けないし、眠りも浅くなっているのか、寝てる途中で目を覚ますことが多くなってきた。

 そのせいで、明らかに身体がダルくて、調子が悪くなっている。


 不快感に耐えかねて下剤を飲んでみたが、便意はやってくることは無く、代わりに作品のアイディアが普段以上に湧き上がってくるだけだった。


 今出したいのは大の方だ!! アイディアじゃないんだよ!!

 俺は布団の上でゴロゴロと転がって悶絶もんぜつする。


 そうだ、せっかく小説の執筆に一区切りが着いたんだ。息抜きにドラマでも見てみよう。

 そういや前も原稿に詰まって、気分転換にドラマを見ていたら、ふと小説のアイディアが思いついたことがあったんだよな。……今回も同じようになって、便意に置き換わってくれたらありがたいんだが。


 登録しているアマゾネスプライムビデオを開き、以前小耳に挟んだ『南部警察』というドラマを見てみることにする。

 ずいぶん昔のドラマだけど、とんでもなく派手で凄いって聞いたがどんなもんなんだ?


 ……えっ! この爆発はCGじゃなくて本当に爆破してんの!?

 車がひっくり返っただけじゃなくて、盛大に転がってるんですけど!!

 ちょっと待て、あの煙突をマジで倒したの!?

 っていうか、これドラマだよな!? そうなると、こんな凄まじい内容を毎週放送してたのか!?

 

 ……いや、予想をはるかに超えて凄かったわ。今じゃ絶対、こんなことできねえ。

 それにしても、あのド派手な演出は見てて気持ち良かった。

 俺の作品にも上手い感じに入れられないかな……。


 そう考えていると、俺の腹からギュルルと音が鳴る。

 こ、この感じは……。2週間ぶりの強い便意が来た!!

 急いでトイレへと駆け込んだ。


「良かった……。ようやく大が出た……」


 腹だけでなく心までもがスッキリした俺は、トイレから出ると安堵あんど感からほっと息をはく。


 便秘って長く続くと、こんなに辛いものだったとは知らなかった。

 毎日大を出せていたって、凄いありがたいことだったんだな……。

 

「2週間ぶりじゃの、調子はどうじゃ?」


 いつの間にか入れ替えの神が俺の前に姿を現していた。


「おかげさまで原稿は順調に進んで、編集の山本さんから、これは売れると太鼓判を押されました」

「それは良かったの」


 便秘に大いに苦しめられたのは事実だが、原稿が全く進まないのと2週間続けて大が出ないのと、どっちが良いと聞かれたら、間違いなく大が出ない方がマシだ。

 だから、入れ替えの神に感謝はしても、恨むのは筋違いだろう。


「ところで、この状態っていつまで続くんですか?」


 今はまだ作品のアイディアが毎日出てくれる方が良い。

 とはいえ、もし一生遊んで暮らせるだけの金を稼ぐことができたのなら、元の状態に戻った方が絶対に良いだろう。


「一生じゃな。ちなみに元に戻すことはワシにもできん」

「い、一生……?」


 俺の顔から一気に血の気が引いた。

 2週間程、大が出なかったのでさえ、あんなに苦しかったんだ。もしこれが1か月、2か月と続いたら……最悪、命に関わるんじゃないか。


「そうそう、言い忘れておったが、物理的な手段で大を出そうとしても無駄じゃ。お主自身でアイディアを出さないと、大は決して出せん」

「えっ!! じゃあ、俺は大を出すために、自分で一生アイディアを出し続けなきゃいけないってことですか!?」

「何を言っておる。作家として生きていくなら、これから何十年もアイディアを出し続ける必要があるのだから、さして変わらんじゃろう。今の状態なら作家生命が尽きることはないじゃろうから、金には困らぬぞ?」

「作家生命の前に、俺自身の命が危ないんですけどおおおお!?」


 アイディアが出なくて、3か月以上小説の更新が止まった時だってあるんだぞ!? もし、大が3か月以上全く出なかったら、流石に死ぬんじゃないのか!?

 

「それならば、さっきやったように、他の作品にも色々と触れてみてみることじゃな。アイディアが思い浮かぶ手助けになるじゃろう」

「それはそうですけど、毎日大を出すためには、毎日アイディアを出さなきゃいけないってことじゃないですか!!」

「ああ、1度大を出したその日に、さらにアイディアを出せれば、便意は次の日に持ち越せて貯金が作れるから、そこは安心してよいぞ。それから、パロディとオマージュはOKじゃが、丸パクリはアイディアとしては当然認められぬから、そのつもりでな。要は既に出ている題材であっても、お主なりの個性が加われば良いということじゃ」


 入れ替えの神が言ってることはもっともだと、頭では分かる。

 しかし、最悪の場合は命に関わるのだから、できれば便意の持ち越し以外の救済措置きゅうさいそちが欲しかった。


「伝え忘れたことも伝えたし、おいとまするかの。では、さらばじゃ」

「あっ、待って……」


 俺の制止には構わずに、入れ替えの神が姿を消す。

 その後も何度となく呼びかけてみるが、入れ替えの神が姿を現すことは2度と無かった。


 あれから半年が経ち、俺の小説はとても評判になっている。

 本の売上も大きく伸びて、打ち切りの危機は完全に去った。

 今でも原稿はスラスラと書けていて何の問題も無いが、大を出せない不安だけは無くなっていない。


 大を出すために、俺は少しでも興味を持ったドラマや映画を片っ端から見ていくことにした。

 そのかいあって、1か月以上大が出なくなることはなかったが、1度だけ3週間も大が出なかったことがある。

 その時の俺はこのまま大が出なくなる恐怖におびえ、徹夜で映画をぶっ通しで見続けていた。

 今の俺は執筆よりも、他の作品に触れる時間の方が圧倒的に多くなっている。

 全ては大を出すために……。


 アイディアが出るのと、大が出るのとが入れ替わってから2年が過ぎた。

 小説の売り上げは相変わらす好調だ。

 コミックス化もされ、ドラマCDも発売になっただけではなく、なんとアニメ化の打診さえ受けている。

 収入も大幅に増えたし、貯金も大分できたおかげで、食べていくのに不安は全くない。

 ライトノベル作家としては大いに喜ぶべきことなのだろう。

 しかし……。


 かれこれ1週間もトイレで大が出せていない。

 しかも、最近は興味のあるドラマや映画を見ても、便意をもよおす回数が激減している。

 このままではいつか大を出せなくなるじゃないかと不安が押し寄せてくる。

 

 そうだ! 今まで興味を持っていなかった、全く違うジャンルに触れたらどうだろうか。 例えば少女漫画を読んでみれば新たな刺激になるかもしれない。

 だが、そうしても再び便意が来なくなったら、今度はどうすればいいんだ。


 ああ、俺は数十年後もトイレで大を出し続けることができるのだろうか……。

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