3-17
片付けが終わり、ミコトとサヴェリエフは学園内の用務員室に向かった。以前勤めていた用務員の男性は七〇代ほどの元教員で、数週間前に体調を崩したことを理由に退職していたことをミコトは思い出した。
「まさかこのような場所で大尉と再会できるとは思いませんでした」
「最後に会ったのはお前が一〇歳ほどの時か。……あの時はすまなかった。捨て身の作戦を決行させ、結果的にお前たちだけ残して、私は無様に生き残ってしまった」
備え付けられている小さなキッチンで、やかんに火をかけながらサヴェリエフは視線を合わせず、言った。
「大尉、俺が」
「今の私は大尉ではない。ただのいち用務員だ。座っていなさい」
「は……」
ミコトはそう返して、畳に正座した。かつての上官が、自分に茶を淹れるという状況は、どうにも落ち着かない。
少しして、ミコトは再び口を開いた。
「あれは大尉のせいではありません。あの状況では、その選択以外は選びようのなかったことです。……しかし大尉、どうしてここに?」
少年兵たちを率いて、数多の戦場を渡り歩いていたあの根っからの軍人であるサヴェリエフが、どうして戦いとは無縁の日本の学校などに居るのか。ミコトはそれが不思議でならなかった。
「……?ミコト、お前にまだ知らせが行っていなかったか?」
「……?報告……!」
そういえば、昨日片瀬と別れた後から、日課にしていた調査報告や情報確認をしていなかった。
その事をすっかり忘れていたミコトは、さっと顔を青ざめさせる。
「その様子だと、忘れていたようだな。端末を確認すればわかる事だが、協力者としてF.H.A.Tヨーロッパ支部から私が派遣され、学園の用務員として潜入する事になった」
苦笑交じりに、サヴェリエフ。ミコトの記憶の中の彼であれば、無慈悲な罰則と冷酷な叱責が飛び出しているはずだが、その様子はない。――それよりも。
「……大尉もF.H.A.Tに所属を?」
ミコトは目を見開いて、そう問うた。
「私はすでに退役している、大尉呼びは辞め給え――今の私は、F.H.A.Tのいち構成員であるイヴァン・タラソヴィチ・サヴェリエフだ。場所は違えどお前とまた共に戦えることを、私は嬉しく思うよ。――ミコト」
そう言って、サヴェリエフは湯気だったコーヒーをちゃぶ台に置いてから、ミコトの前に手を差し出した。元、とは言え上官と気さくに握手をする、などという行為はミコトにとって、恐縮でしかなかったが、
(今は、学園の一生徒と、職員の間柄――握手を拒む方が、不自然だ)
そう思って、サヴェリエフの傷跡だらけの手を握った。
「よろしくお願いいたします」
それを聞くや、サヴェリエフは満足そうにうなずいて、手を離した。
「今朝起こした騒動は、お前が火元のようだが……何があった。いつも冷静で、ミッションの失敗もめったになかったお前が、あのような」
渋い顔をして、サヴェリエフ。に対してミコトはサヴェリエフにも負けぬほど、表情を渋くした。
「お恥ずかしい話です。……実は、友人だと思っていた男に、突然拒絶されて、かなり動揺していたようです」
「……ほう。お前にも友人が」
サヴェリエフは意外そうに、そう呟いた。
「いえ……友人と呼べるかどうかもわかりませんが……俺が一方的にそう思っていた可能性もあります。口先だけの関係性であった可能性も、大いにあり……」
ミコトは額に汗を流しながら、苦々しく続けた。
「彼は、学園生活に慣れない俺をサポートし、優しい言葉をかけ続け、あらゆる局面で助けてくれました……そうして、任務外のことではありますが、いつしか、俺も彼を助けたいと、力に成りたいと思うようになりました」
言いながら、いつも笑顔を振りまき、学園に慣れないミコトを気遣い、何よりもはじめて『友達』になってくれた片瀬への友情が、ミコトにとっても大きなものに膨らんだのだと、彼は自覚した。
「……彼は自分の胸の内を話さない男でしたが、どことなく、俺と似た部分があったような気がしていました。だから、傲慢にも俺は彼を理解した気でいたのかもしれません……その結果、無神経な発言を続け、彼の怒りを買い、拒絶されてしまいました」
ミコトは俯いて、懺悔のようにそうサヴェリエフに言った。サヴェリエフは別に、聖職者でもなければ深い信仰心も持ち合わせていない。だから、救いのような言葉を求めているわけでは無かった。むしろミコトは、元上官として、元部下である自分に叱咤や断罪をしてほしかったのだ。
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