第8話 エルフさんと契りを交わそう

「家族……だって?」

「そう。俺にとってロゼは家族だ。それだけ俺の中で、お前という存在がデッカくなったことにさっき気付いた。……あぁ、もう。こんなの計画外だ」


 手のひらで顔を抑えながらあ、テオが答える。


 指の隙間から覗くテオの顔はロゼ同様に紅潮しており、珍しい姿──少なくともロゼはこんな姿を見たことがなかった。


 それよりも……無論テオが滅多に見せない姿も興味を引くが、今ボソッと呟いた言葉の中で気になる言葉があった。


 計画。テオは計画といった。ロゼはこのことが気になって仕方がなかった。


「計画……? いったい何のことなんだ……?」

「まぁ……もう隠すのもやめるか」


 そう言ってテオはすべてを語り始めた。ロゼを引き取った本当の理由を。


「俺が魔王を倒した英雄だって言うのは知ってるな?」

「……あぁ、前に聞いた」

「魔王を倒した俺とその仲間には地位や名誉、財産……いろんなものを手に入れた。この家を見ればわかる通り、一生遊んでいける金を手に入れ、俺が王に頼めば、王族にだってなれるだろう。……それだけの偉業を成し遂げたんだ、俺たちは」

「……世界の危機を救ったんだ。それも当然と言えば当然だろ」

「それでだ、当時は俺も調子に乗って豪遊していたんだけどな、少しして俺に足りないものを見つけたんだ」

「……それは?」


 ロゼが問う。その問いに少しの躊躇を見せながらも、テオは答えた。


「恋人だ。俺は恋人が欲しかったんだ」

「……は?」

「そんなとき、あのゴミ共の討伐依頼が出て、奴隷たちを解放した時におまえとであった。そして……闇夜に佇むお前を見て思った。「そうだ、この奴隷を惚れさせて恋人にしよう」ってな」

「……はぁぁぁぁ!?」


 叫んだ。ロゼは叫んだ。


 あまりにも予想外すぎた。何か裏があるのでは、とは思っていたが、まさかこんな裏があるだなんて思ってもいなかったのだ。


「い、いや自分でもゴミクズだと思う……ホントにすんませんでした……」


 そう言いながら頭を下げようとするテオを必死で止めながら、話を元に戻した。


「……それで、計画外というのは?」

「……惚れさせる前に、俺が惚れてしまったことです」

「は、はぁぁぁぁ!?」


 再度、ロゼは叫んだ。


 惚れた? テオのような英雄が、自分に惚れただと?


 いいや、有り得ない! そんなことあり得るはずがない! 自分は元奴隷だ! 身も心も、あの忌まわしき商会に汚された醜い存在だ!


 だというのに、表の世界で輝くテオのような人間が自分に惚れた!? 


 有り得ない! 有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない!


 ロゼの精神が盛大にかき乱される。


 冷静な思考は失われ、脳内は「テオがロゼに恋愛感情を抱く」という事実を否定する言葉ばかりで埋め尽くされる。


 ──沈黙がその場を支配する。


 お互い顔を羞恥で紅く染めながら、ただひたすらに黙し、二人は見つめ合っていた。


 時間にして約10分程度だろうか。


 体感で数時間はあったであろう沈黙を裂いたのは、テオだった。


「……ロゼ」

「……なんだ」

「……クズみたいなことをした俺だけど、もしこんな俺でよければ」


 そう言って手を差し出したテオが、最後の言葉を紡ぐ。


「──俺と、恋人になってくれないか?」


 再度の沈黙。


 しばらくロゼに手を差し出したテオだったが、差し出した手を引っ込めるとロゼに背を向ける。


「……ま、流石に無理よな。わかってた」

「…………」

「自分でも結構クズいことしたんだ。そしてそれを本人にばらした。……軽蔑されても仕方がないことだ」

「…………」

「安心しろ。もうここに住めなんて言わない。お前が過ごしやすい住み場所を探すよ。腐っても勇者だ、ツテならたくさんある」


 無残に切り裂かれ、今はもう意味をなさなくなった扉へ向けて歩き出す。


 しかし──ロゼがそれを許さなかった。去りゆくテオの腕を掴み、テオの進行を阻んだのだ。


「誰が……誰が離れたいと言った!?」


 声が枯れんばかりに、力の限り叫ぶ。


「私を惚れさせるだって!? よかったな、お前の目論見は見事成功している!」

「それってどういう──」

「奴隷だった私の運命を変え、行く当てのない私を引き取って、新しい人生を始めるきっかけを与えた! そんな相手に惚れないと思うのか!?」

「ロゼ……お前……」

「そうだ! 私は……テオ=フリードリヒに恋をしている! お前と離れるのは嫌だ! 他の女に渡したくない! 私だけのものにしたい! ……もし離れるのであれば、もう生きる意味すら感じない!」


 そんな愛の告白から、ロゼは言葉を続ける。


 そこから語られたのは、テオへの愛。ロゼ=シュトルムという人間がテオ=フリードリヒという男のどのようなところに心奪われたのか、恋をしたのか。


 先ほどの意趣返し……というわけではないのだが。

 

 自分だけあれほど精神をかき乱されたのが癪に障ったロゼは、長々とテオへの愛情を語り続けた。


 その間、時間にして30分。二人が沈黙していた時間の、実に3倍の時間だ。


「……これでもまだ、私と離れるというのか?」


 その問いにテオは沈黙する。


 戸惑っていた。困惑していた。


 あんな最悪な、長い奴隷を続け、時には奴隷商会の者に凌辱されていたこともあったであろうロゼに「自分は下心ありで引き取りました」と言ったのだ。嫌悪されるのは当然のことだと思っていた。


 しかし、今のロゼの言葉からは自身への嫌悪を感じない。


「……ロゼ。ホントにいいのか?」

「……いいと言っているんだ」


 その言葉を聞いたテオは深呼吸を一つ。


 そして意を決して告げる。先程、ロゼへと告げたあの言葉を。




「ロゼ。俺と、恋人になってくれないか?」


 その言葉を聞いた瞬間、ロゼは──勢い良くテオに抱き着いた。


 勇者と呼ばれた男と、元奴隷の女。


 生まれも育ちも、境遇も……何もかもが違う二人だったが、運命的な出会いを果たした二人はこの瞬間、結ばれるのだった──。


 *****


 晴れて結ばれたテオとロゼだったが、それからの生活に大差はない。


 一日をのんびりと気ままに過ごし、時折テオが仕事に行くとそれの手伝いにとついていき……唯一変わったことといえば、スキンシップが増えたくらいだった。


 一日の始まりは口づけから始まり、日中は身体を寄せ合いながら読書に興じたり、手をつないでどこか出かけたりする。たまの仕事が終われば「褒めて」と言わんばかりに頭を差し出したり、夜は身体を重ねた後に口づけをして、同じベッドで眠る。


 ──そんなある日のこと。


「行きたい場所がある、だって?」

「あぁ。今日のデートはそこにしたいんだ」


 普段二人がデートをするときのプランはテオが決めている。


 というのも、ロゼがここらの土地に明るくなく、5年も俗世間から離れていたこともあり、何をすればいいのかがわからなかったからだ。


 そんなロゼが、デートプランを決めたいと進言してきた。


「いいけど、いったいどうしたんだ? それほどまでにそこへ行きたいのか?」

「あぁ。……無論、無理にとは言わないが」


 断る理由もない。

 

 テオはロゼの提案を快く呑み、今日のデートプランを全て一任した。


 少々の不安を覚えながらも、テオは期待に胸を膨らませてくれていた。ロゼがどんなデートプランを立てるのかを。


 俗世から離れたロゼだ。あまり勝手がわからないだろう。だから今日のデートプランも一般的に見ればあまり良いものではないかもしれない。


 しかし、テオはどんなデートプランだろうと満足できる自身があった。


 というよりも……ロゼが自分のために、自分を楽しませようとしてくれている。それだけでもう胸がいっぱいになり、嬉しく思う以外の選択肢は用意されていない。


 デートというのはどんなことをしたかではない。誰と過ごしたかによって楽しい楽しくないは変わる。


 どんな綿密に練られたプランであろうが、カップルに人気のスポットに足を運ぼうが、それが対して好きでもない相手であれば楽しさは半減……それどころか、楽しさの「た」の字も感じないものとなり得る。


 しかし相手が心から好きと断言できる相手であった場合は逆──近所の散歩だろうが、何かをするでもなく家でダラダラするというだけでも満ち足りた時間となるのだ。


 仮に今日のデートが墓地を散策するという内容のものでも、テオは心より楽しむことができるだろうと確信を持っている。

 

 ──かくして、ロゼ主導によるデートが始まる。


「……なぁ、ロゼ」

「どうしたんだ?」

「俺たち、なんで森の中を歩いているんだ?」


 そう、テオとロゼは今、人の手が行き届いていない森の中を歩いていた。


 草が生い茂り、そこらで小動物の姿が見られ、時折魔獣との戦闘も挟みながら森の中を進んでいった。

 

 奥へと進むにつれ、徐々に日の光も届きにくくなり、段々と辺りは薄暗くなっていく。


 どんな場所であろうと、ロゼとのデートを楽しむ確信がある。テオのその言葉に噓偽りはない。現にテオはロゼと他愛のない話をしながら森の中を進むことに関して、確かな喜びを感じていた。


 しかし、不安がないと言えば噓になる。


 歩を進めるたびに暗くなっていく森を見て、テオはわずかながら、しかし確かな不安感を募らせていた。


 闇というのは本能的に人の心へ不安であったり恐怖を感じさせるという。


 それはテオとて例外ではない。


 いくら魔王を倒した勇者であろうとも、驚異的な戦闘力を持っていようともテオは人間。先天的に身についている本能に抗うことはできない。


 例えば──三大欲求。どのような鍛錬を積もうとこれらの本能は克服不可能だ。疲れたら眠くなるし、腹も減る。ロゼに誘惑されれば、何の躊躇いもなく互いの身体を貪る。これらは至極当然のことだ。


 それと同じこと。暗闇の中での不安感は当然のことなのだ。


 しかしだ。そんなことを考えていると──ふと、急に辺りが明るくなり始めた。


 暗いところから急に明るい場所へと出たことにより、唐突に飛び込んできた強い光で目が眩む。


 徐々に目が明るさに慣れ、ようやく開けるようになったときテオの視界いっぱいに映ったのは……。 

 

「これは……集落か? 随分と寂れてはいるが、人が住んだあとがあるな」


 ボロボロになった住居や、使われなくなった畑、井戸──生活の跡が見られた。


 そして何よりも目を引いたのが、いくつも見られる屍。随分と長い間、放置されていたことがすぐに分かった、


 こんな森の奥地に人が住んでいたなんて、話を聞いたことがなかったが、次のロゼの言葉によって全て察した。


「──皆、ただいま。待たせて悪かったな」

「ロゼ……もしかしてここって──」

「あぁ、そうだ。私の故郷だ。私はこの場所で生まれ育った。皆を随分と待たせてしまったが、ようやく帰ってこれた」


 奴隷になってから、5年ぶりの帰郷。


 故郷の土を踏んだロゼはその瞳に涙を滲ませながら、懐かしげに笑った。


「今日ここに来たのは皆を弔ってやりたくてな。……テオも良ければ、一緒に弔ってやってくれないか?」

「あぁ、もちろんだ」


 そう言うとテオたちは彼らの墓を作り始め、寂れたロゼの故郷を整備し始めた。


 如何せん数が多く、屍になってしまった以上誰が誰だということは分からない。だから共同で一つの大きな墓を作るしかなかった。


 とはいえ、地面に曝したままよりは幾分かマシというもの。テオたちは材料をかき集めて、墓を作り始める。



 ──時間にして3時間といったところだろうか。


 あの寂れた集落は綺麗に片づけられ、その中心にはロゼの同胞の名が刻まれた、石造りの大きな墓が出来上がっていた。


 墓の前にいくつかの花束を置くと、テオとロゼはその前で手を合わせ、故人を偲ぶ。


 テオにとっては顔も見たことのない他人だ。しかし、他でもない恋人の同胞。テオはまるで身内を想うかのような心境で、ロゼの同胞を偲んでいた。


「……ありがとう、テオ。きっと皆も喜んでいる」

「俺なんかで良かったのか? エルフって仲間意識が強いって聞くけど?」

「あぁ、私の恋人だ。文句は言わないさ」


 ロゼが少々照れながらも答える。


「それに……今この場で、私たちは家族になるのだしな」

「……家族?」


 ロゼの言葉に、テオが首をかしげる。


「なぁ、テオ。一つ質問をしたいのだが……お、お前はこの先も、ずっと私といてくれるか……?」

 

 そうテオに尋ねたロゼの表情からは羞恥心を感じ、その中にも並々ならぬ不安が感じ取れた。


「何言ってんだ。そうに決まってるだろ?」


 しかし、ロゼの懸念は杞憂に終わり、テオはさも当然のように「これからもずっと一緒にいる」と一切の恥じらいを見せずに答えたのだ。


 そんな様子のテオを見たロゼは一瞬の沈黙の後にクスッと笑う。


「その言葉が聞けて良かった。……最後に、もう一つお願いをしていいか?」

「お願い? 俺に聞けることなら何でも言ってくれ」

「……それじゃあ、遠慮なく」


 ロゼは持ってきたカバンの中をまさぐり、中から白く透き通った布を取り出した。


 そしてその布を頭にかぶり……テオへと向き直る。


「人間の結婚式ではこのようなものをつけるのだろうか?」

「……この場で結婚式でもおっぱじめようってことか?」

「皆がいるこの場で、お前との結婚式をしたい。……嫌、だったか?」

「まさか。ロマンチックじゃん? こういうの、嫌いじゃない」


 2人が手を取り合い、墓の前へと向き直る。


 そして互いに誓う。病めるときも、健やかなるときも、互いを永遠に愛し続けることを。


 森の奥地で行われた、二人だけの結婚式。──否、参列者は新婦の同胞たるエルフたちの魂。


 人知れず、ひっそりと誕生した新たな夫婦を祝福するかのように……誓いの言葉を言い終え、二人が唇を重ねた瞬間──柔らかな一陣の風が吹いたのだった。

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