第7話 エルフさんを解き放とう
あのデートから数週間。
テオとロゼは何一つ変わりない、平凡な生活を送っていた。
デートから帰ったロゼが「仕事を教えて欲しい」というものだから、テオの屋敷の管理──即ち家事から始まり、テオ唯一の仕事と言ってもいい週に2回の騎士団への剣術指南……そのアシスタントなど、無理のない範囲で多くの仕事を教えた。
ロゼは元々の要領がいいのだろう。すぐに仕事を覚え、即戦力となった
元々は一人で全て担っていたことだ。そこに要領のいいロゼが加わるものだから、テオの負担が格段に減っていた。
今日も今日とて、ロゼは仕事に付いていきテオの手助けをしていた。
「──ということで今日はここまで。また来週!」
「「「ありがとうございました!!」」」
テオが訓練の終わりを宣言すると、およそ30名の騎士が帯剣して敬礼をする。テオも騎士たちに敬礼を返すと、隣のロゼもそれに倣って敬礼をした。
訓練用の剣を握り、滝の如く汗を流しながら訓練に励む騎士たち。
そんな中のロゼの姿は酷く浮いて見えたが、そんなことを忘れるほどロゼの働きは素晴らしいものだった。
計3時間の訓練のうち何度か休憩を取ったが、そのタイミングを指摘したのは全てロゼだ。騎士の疲れを的確に見抜いたこれ以上ない、最高のタイミングだ。
また、休憩の時に渡されたドリンクも騎士たちから好評で、騎士たちは「まるで疲れが一気に吹き飛ぶ」とのことだ。これにはテオも驚いた。
「あのドリンク、何を入れたんだ?」
「色々と疲労回復効果のある薬草を。そのままだと飲みにくいだろうから、甘味も少々加えた」
「なるほど、昨日森で大量に薬草を取ってきたのは今日のためだったのか」
「そういうことだ。……ちなみに、今日の夕食の献立にも入れる予定だ」
「へぇ……それは楽しみだな」
そう言いながらテオたちは帰路につく。
夕陽で照らされながら並んで歩く姿は、まるで長年連れ添った恋人や夫婦のよう。
これまで何の関わりもなく、ましてや片方は奴隷だったなんて誰も思わないだろう。
それほどまでに、ロゼは新たな環境に順調に適応していったのだ。
……あまりにも順調すぎたのだ。
ロゼを家に迎えたとき、テオはそれなりの覚悟をして迎えた。
元奴隷なのだ。奴隷生活で荒んだ心は非常にもろく、コミュニケーション一つ取ることも困難であり、細心の注意を払う必要があるはずだ。
しかし、ロゼにそんなことはなかった。
コミュニケーションは良好で、連れて来た夜こそ精神が乱れたが、あれ以来精神状態が大きく揺らぐことがない。
あまりにも順調に事が進むものだから呆気に取られると同時に、テオの心には一抹の不安があった。
東方の国の言葉で「嵐の前の静けさ」や「虫の知らせ」とでも言うべきか。
何かこれから良からぬことが起こるのではないか──? そんな予感がテオの脳裏をよぎっていたのだ。
隣で歩くロゼの顔を見ると、そんな様子など微塵も感じられないが……。
(ま、思い過ごしか)
自分の考えすぎ。その時のテオはそんな結論を出したが──その夜、テオの予感は見事に的中するのだった。
夜の0時。
ちょうど日が変わり、人々が寝静まる夜。まるで奴隷商会を壊滅させた日のような静かな静かな夜のことだった。
あの夜──ロゼをいずれ恋人にする計画を立てたあの夜のように。バルコニーへ出たテオは夜風を浴びながら、ご大層にワイングラスへ注がれたミネラルウォーターを飲んでいた。
「風呂で温まった身体を夜風で冷ます……最高の贅沢だな」
ここでワインではなくミネラルウォーターを選んだのは敢えてのこと。決して買い忘れたとか、歯磨きが面倒だからとかいう理由ではない。
そんなときのことだった。
「ああああああぁぁっ──!!」
何かが壊れる音と共に、テオの耳には若い女性の声が届く。
距離は近い。発生源は恐らくこの家。そしてこの家に住む若い女性──それどころか、テオ以外に住む者など一人しかいない。
そうロゼだ。
そこからのテオの行動は素早かった。手に持っていたワイングラスを投げ捨て、今この場で自身の出せる最高速度を以て、ロゼの眠っているはずの寝室へと向かう。
その間、僅か約3秒。
1階にあるロゼの寝室から3階にあるバルコニー間の数百メートル。それも直線ではなく、入り組んだ廊下をものの数秒で走り抜ける。
「ロゼッッッ!!」
勢い良く扉を開ける。
開かれた扉の先に映った光景は、凄惨と呼ぶにふさわしいもの。
虚ろな目をして佇むロゼを中心に、部屋の壁や家具は斬り刻まれていた。言うまでもなく、この状況を作り出したのはロゼ自身に他ならない。
「ロゼ……お前何があった……?」
まるで出会った時のような、昏い瞳のロゼにゆっくりと近づく。
「来るなッッッ!!」
しかし、そう叫んで腕を振るうと共に、ロゼの腕から放たれた風によって、テオの身体が斬り刻まれた。
咄嗟のことで思わず足を止めたテオは、ロゼの放った一撃で出血した腕を見つめる。
(……魔術か。それも風属性の上位魔術。今までそんな素振り見せなかったから忘れてたが、そうだったな。エルフは元々戦闘のエリート。おかしなことではないか)
風属性の魔術は、エルフが最も得意とする魔術だ。
思わず驚いてしまったが……エルフの郷で育ち、狩人として生活していたロゼが使えたとしても何らおかしなことではない。
そんなことよりも、ロゼの身に何が起こったか。そちらの方が重要だった。
「違う……違う違う違う違う!! 私は……貴様ら人間の言いなりになる奴隷ではない……! 誇り高き、エルフ……! もう貴様らに奪わせてたまるかァ!!」
そう叫んだロゼが手を振るうと共に真空の刃が飛び、再度テオの身体を斬りつける。
「落ち着けロゼ! もうここにはお前を縛る
「せっかく、手に入れた幸福を……また、奪おうというのか、貴様らは!」
「ロゼッ! 頼むから落ち着いてくれ! 聞こえるか!? 俺だ、テオだ!」
「消えろ! 消え失せろ──ッッッ!!」
テオの必死の呼びかけも虚しく、ロゼの攻撃は止まない。それどころか、徐々に苛烈になっていく。
今のロゼにテオの姿は映っていなかった。否──テオの姿自体は見えているのだが、それをテオと認識できていないといった方が正しい。
映るのは悲痛な表情でロゼの名を呼ぶテオではなく、下卑た笑みを浮かべながら近付く奴隷商会のトップ──ダリオだった。
そもそもの話、だ。ロゼがなぜこのような不安定な状態になったのか。その理由を一言で説明するのならば『フラッシュバック』という現象が背景にあった。
フラッシュバック。
それは激しい心的外傷──いわゆるトラウマ体験を受けた後になって、その時の記憶が呼び起こされる現象だ。
この日の夜……原因こそ不明ではあるが、フラッシュバックを起こしたロゼは夢と現実との境界が曖昧になっている。
一種の夢遊病に近い。今のロゼは夢の世界から醒めておらず、現実世界のテオがダリオに見えており、夢の中で迫るダリオを攻撃しているに過ぎないのだ。
ロゼの風の魔術で斬りつけられる中──そのことをテオは察した。
しかし、テオは医者ではない。フラッシュバックの適切な対処法なんて知るはずもなかった。
「くそ……幻に囚われてるんなら、こっちがどれだけ声をかけても届かねぇか。どうすれば──」
──瞬間、テオに天啓来る。
「幻……幻、か」
テオが脳裏に思い浮かべたのは、かつての旅路での記憶。魔王軍の戦士である幻術使いと対峙した際の記憶だ。
まだ旅を始めたばかりの頃──未熟であり、まだ今の仲間と出会っていないテオは敵の幻術に囚われ、絶体絶命の窮地に陥った。
それを窮地を救ったのはアルベールだ。どこからともなく現れたアルベールは、敵の幻術に苦しむテオを救い出し、そしてテオと共に幻術使いを打ち破ったのだった
肝心の『幻術の解除方法』、それは──
「──強い衝撃を与える、だな。やってみる価値はあるだろう」
強い衝撃。それは物理的でも、心理的でも何でもいい。とにかく、幻に囚われる者の心を激しく揺さぶるのであれば何でもよかった。
早速実行に移るテオ。
何をするにしても、ロゼの放つ魔術を何らかの策で潜り抜ける必要があるだろう。
しかし、テオは違った。何の策も労せず、身体が傷つくも厭わず、真っ直ぐ歩いて行ったのだ。
散歩道を歩くかのように……ロゼと家路につくように飽くまで軽い足取りで、ロゼへと歩み寄っていったのだ。
一歩足を踏み出せば、腕が斬られる。もう一歩踏み出せば、脇腹が抉れる。
痛みは感じているはずなのに……テオは一切足を止めず、眉一つ動かさない。先程の悲痛な表情とは打って変わり、ただただ穏やかな笑みを浮かべながら歩いて行った。
そして──ついにロゼまであと一歩の距離まで接近することに成功したのだった。
「来るな……来るなァァ!!」
「ロゼ、お前はよく頑張った。もう十分ってくらい頑張った」
一歩踏み出したテオが、ロゼの両肩に手を置く。
「やめろ……やめろォォォォォ!!」
「夢はいつか覚めるものだからな。──そろそろ、現実に戻ろうぜ」
テオは一呼吸置き……覚悟を決める。
そして──一思いに抱き寄せながら、己とロゼの唇を合わせるのだった。
◇ ◇ ◇
──長い夢を見ていた。あの忌まわしき頃の記憶だ。
そんな最悪な気分で目を覚ましたロゼの視界はテオの顔で埋め尽くされ、さらには唇には柔らかな感触があった。
(……え、えぇ!? どうしてだ!? なんで、私がテオと……く、口付けをしているんだ!?)
自分がテオと
それと同時に、身体の奥底からポカポカとした暖かな感覚を覚えた。
まるで、干したての布団に包まれているような……陽光の刺す草原で、日向ぼっこをしているような……今までに味わったことのない感覚だった。
唇が離れ、一呼吸ついたロゼは、しどろもどろになりながらテオに聞く。
「テオ……? どうしていきなり口付けを……? もっと、こう……ムードとかをな……」
「……あぁ、すまん。ああするしかなかった」
「ああするしかなかったって、いったい──っ!?」
そのとき、ロゼは気付いた。テオの身体が傷だらけになっていたことを。
よく見れば周りの家具や壁も無残な姿となり、その傷跡はロゼが見覚えのあるものだった。
「ま、まさかそれは──!!」
ロゼの顔が青ざめる。
理解してしまった。詳しい理由は知らないが、自分がテオを傷つけてしまったことを。恩人であるテオに対し、恩を仇で返してしまったことを。
「わ、私はなんてことを──あ、あぁ……」
「あぁもう……せっかく元に戻したのに、どうしてこうなるかね……」
やれやれ……と溜息をついたテオは、再びロゼの肩を抱く。
「へ?」
ロゼがそんな間の抜けた声を出した瞬間、再度テオは口付けをする。それも先程したような小鳥が啄むようなものとは比べものにならない、深く……且つ濃厚な、恋人が交わすような口付けを、だ。
──断っておくが、決して舌は入れていない。
「……っぷはぁ。で、落ち着いた?」
「落ち着くかバカ!!」
羞恥で顔を真っ赤にしたロゼが声を荒げる。
その様子を見たテオは「憎まれ口叩く余裕あるなら大丈夫だな」と言って笑う。
「……それで、どうしてそんなにボロボロになってまで、私を助けた?」
「いや……答えるまでもねぇだろうよ」
ロゼの質問に対し、テオは首をかしげる。
テオにはわからなかったのだ。なぜロゼがそんな質問をするか、全く理解ができなかった。
「だってよ、家族がヤバいことになってるんだぜ? 助けないわけがないだろう」
「──へ?」
家族。その言葉を耳にしたロゼは、本日二度目の間抜けな声を出すのだった。
○あとがき○
お久しぶりです。藍田です。実に1ヶ月ぶりでしょうか?
遅くなって申し訳ありません。実はリアルの方で色々忙しくて……。
次回の投稿もまた遅くなるとは思いますが、ゆっくりと更新を待っていただけると嬉しいです。
さて、今作もそろそろ終わりを迎えてきました。
予定では10話か11話で終わりにしようと思っていますので、最後までよろしくお願いします
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