第6話 エルフさんとデートへ行こう その2

 大道芸が終わり、近場の飲食店で昼食を取った俺たちは、今日一番の目的であった花鳥園へ訪れた。


 先程までのロゼは大道芸を見ていたときの熱気が冷めなかったのか、昼食の間もずっと興奮した様子だった。


 ──あの演目がすごかった、どうやっているのか分からなかった。


 嬉々として感想を語るロゼ。


 テオはそんな楽しそうなロゼを見て、今日連れてきた甲斐があったと感じた。


 さて、そんなロゼだが。


「…………」

 

 先程まで打って変わり、今は一切声を上げることなく花を眺めていた。


(もしかして、ここはお気に召さなかったか?)


 そう危惧するテオだったが、ロゼの瞳を見てそのような懸念は吹き飛んだ。


 花を見つめるロゼの瞳は、大道芸を見ていた時と同様に好奇に満ちており、単にその場の雰囲気に合わせて静かにしていただけのことだった。


 テオも隣へと立ち、ロゼが執心となる花を眺める。


「お、これは……」


 視界へ映ったのは、青色の花弁をつける小さな花だ。


 花の名前は『オオイヌノフグリ』。今の時期であれば路傍に多く咲いている雑草の一種だ。


 他の植物が育たない冬に育ち、早春に多数の花を咲かせ、ハート型の果実を実らせる何とも可愛らしい花だ。基本どこにでも咲くため、テオ自身も子どもの頃に幾度となく目にしている。


 余談だが……このオオイヌノフグリは『イヌノフグリ』という別種の花に似ており、それよりも大きいことから名づけられたのだが……。


 このイヌノフグリの由来は、オオイヌノフグリがハート型の実をつけるのに対し、オス犬の陰嚢に似た形の果実をつけることから──という説がある。


 ふと、頭の中にそんな雑学が思い浮かんだが、決してロゼには語ることがないだろう。記憶の隅へと押し返した。


「これが気になるのか?」

「この花、私が狩りに行く時によく見かけたんだ。狩りがない時も、花が好きな友人と探しに行ったものだ」

「……そうだったのか」

「お、あの花もそうだ。あの花もよく見かけたな」


 その近くに咲いていた別の花を見つけると、その花にまつわる思い出を語り出す。


 今は亡き、かつての友人──。


 過去の友人との記憶に思い馳せテオに語るロゼの表情は楽しげであったが……その奥には哀愁が漂っていた。


 その後も見覚えの花を見つけては思い出を語り、見たことのない花を見つければ「どのような花なのか」、と近くに置いてあった看板の説明文に釘付けになっていた。


 テオも半年ほど前から通っている花鳥園だが、やはりいつ来ても心が洗われるような感覚に陥る。


 だが、今日はいつものような爽快感だけではなく、あのロゼの見せた哀愁の混じった表情が頭の中に残るのだった。




 満足した顔で花鳥園を出たのは、既に日が傾いた夕暮れ時。


 このお出掛けデートの最終段階として、テオはロゼを丘の上にある公園へと連れてきた。


 この場所はルーヴェ王国の中でも名所の一つであり、夕暮れ時にこの場所で想いを告げた恋人は永遠に結ばれる──というありきたりなジンクスまで存在する。


 ちょうど今は夕暮れ時。

 

 美しい夕陽が王国を照らし、告白を行うのに絶好のタイミング。。しかし、テオにその気はなかった。


 いずれは実行するつもりだ。だが、今日はそのタイミングではない──そう考えていた。


 それは、テオはまだロゼに恋をしていないからではない。仮に恋をしていたとしても、想いを告げる気はない。


 想いを告げない理由──それは、まだロゼのことをほとんど知らないからだ。


 今日ロゼをお出掛けに連れ出した理由。


 それは5年間の奴隷生活で溜まりに溜まった、負の感情を吐き出させる──とでも言おうか。いわば「ガス抜き」を行い、少しでも精神を落ち着けること。あとは少しでも早く奴隷時代を忘れさせることだった。


 それらの目論見は概ね成功といってよいだろう。


 今日一日のロゼを見る限り、大いに羽を伸ばすことが出来、奴隷時代のことなんて忘れたかのように楽しめていた。テオはそのように感じた。


 今日だけで奴隷時代の全てを忘れることができ、新たな生活に適応できるとは思っていない。多少なりとも時間を要するだろう。


 それでも、それでもだ。


 今日の出来事はロゼの心へ何らかの影響を与え、新たな生活への一歩を踏み出せたのではないだろうか? 


 夕焼けを眺めるロゼを見て、テオはそう感じるのだった。


「世界というのは、こんなにも良いものだったのだな」

 

 ふと、ロゼがそう呟いた。 


「……どうした急に」

「奴隷として5年過ごしてた私はこう考えていたんだ。『あぁ、世界ってこんなにも醜く、薄汚れているのだな』……とな」

「…………」

「でも、それは違う。醜いのはアイツらだけだ。今日様々な場所を巡って、視界に入る人々の顔を見ていると、アイツらと同じ種族ということを忘れるほど、輝いて見えた」


 ロゼはエルフの郷出身だ。ただでさえ人間には疎い。


 そんな中、初めて郷から出て出会った人間は奴隷商会の連中社会のゴミ共だ。初めて出会った人間がそのような性根まで腐りきった存在であれば、人間という種族がさぞかし醜く思えるだろう。


 しかし、今のロゼの発言。


 そこからは、多少なりともその概念は払拭されたといって良いのでないだろうか。


「正直……今でも人間を手放しで信用はできない。お前のことだって、信用しきれてはいない。私を連れ出してくれたことには感謝しているが、な」

「それも仕方ないだろう。奴隷時代があまりにも長すぎた」

「あぁ。……でも、今日で人間がアイツらと違うことを知れた。だから私も少しずつ、人間を信じたい」


 その発言を聞いたテオは微笑み、ロゼへと告げる。


「だったら信用してもらえるよう頑張らないとな。俺がロゼに近しい人間なんだし」

「ふふっ……」


 街を照らす夕焼けの下で、二人が笑う。

 

 ロゼの心の傷は深い。


 まだ、奴隷でなくなってから僅か一日だ。簡単に治るはずもなく、これからの生活にも多くの困難が待ち受けているであろう。


 だが──ロゼ自身から人間へと歩み寄ろうとし、テオもその思いに報いるべく手を差し伸べている。


 互いが共に近づいているのだ。


 時間はかかるかもしれないが……いずれは手を取り合うことができるだろう。


 しかし、忘れてはいけない。


 ロゼは元は奴隷だ。繰り返すが、心の傷は深い。──テオが予想しているよりも、ずっとずっと。


 いつ、どんなことがきっかけでかつての記憶が蘇り、精神が崩壊することだっておかしなことではないのだ。


 テオとロゼの生活──。


 動機はどうあれ、テオの取った行動は称賛されるすばらしいことに変わりはない。

 

 しかしそれは決して、二人を照らす夕焼けのように、輝かしいものばかりではないのだ……。

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