第2話 紫乃の恋愛事情

「そういやさ、紫乃って彼氏か彼女いる?」


 不意に双葉が訊ねる。

 ビニール傘越しに二人の視線が重なった。


「な、なによ急に?」


 突拍子もない質問に紫乃は少し動揺する。

 というのも、双葉から恋人の有無を突然聞かれたから。

 それと、あえて「彼女」も恋人の中に入れてきたから。


(バ、バレて……る?)


 胸を針で刺されたように、一度ズキッと痛んだ。

 いつも双葉と接する時はそう言った雰囲気は極力出さないようにしてきたつもりだった。

 しかし、双葉はたまに聡いところがあるのを紫乃は思い出した。

 もしかしたら、紫乃の気持ちを分かっているのかもしれない。

 だが紫乃の心配をよそに、双葉は悪戯っぽい笑みを作ると、


「紫乃ってさ、よくモテるから。………そういう人の一人や二人いないのかな~と思って」


 教えてよ、とハートを飛ばすようにウインクを放った。

 あざとい仕草、パート2。


「二人はダメでしょ」


「えー、やっぱり?」


 紫乃がツッコむと、双葉はえへへ~と舌を出しておどけて見せる。


(……これはバレてないかな)


 そんな双葉の様子を見て、紫乃は安堵した。

 今の彼女は楽しそうにおどけていて、紫乃の心配とは全く無縁に見えた。

 紫乃の恋愛事情を聞こうと生き生きとした表情で詰め寄ってくる。


「じゃあ、一人はいるってこと?」


「いる訳ないじゃん。……逆に聞くけど、私がそういう人と一緒にいる所、双葉は見たことあるの?」


 日頃からほとんど双葉と一緒に過ごしている。

 なのに双葉以上に親しい人なんている訳がない。


「いや、ないけどさ~」


「じゃあ、いないってことでしょ」


 分かった? と念押しする。

 私は恋人がいない、ということをしっかりアピールしておく。

 すると双葉は再びおどけて見せると、


「……まぁいないのは、聞かなくても分かってたけどね」


 てへぺろっ、と昔流行ったポーズを取って見せる。

 紫乃は思わず額に手を当てると、失望した瞳で双葉を見た。


「そ、そんな死んだ目で私を見ないでよ、紫乃ぉ!」


「いや……てへぺろって」


 何度か彼女が言った言葉を反芻する。

 双葉もだんだん恥ずかしくなってきたようで、最後には頬を淡く染めながら「もう、やめてよぉ」と懇願してきた。


「……あとさ、私に彼女ってどゆこと?」


 紫乃が何気に一番ドキッとしたことも訊ねてみる。

 彼氏ならわかるが、彼女とは。


「え……ジェンダーフリーの時代だから、彼女もいれるのは当然じゃん……」


 そんなことも分からなかったの、と言わんばかりに口に手を当てる。

 まさにス〇カの例のポーズ。


「嘘でしょ……」


 ついでに台詞まで言ってくれた。

 明らかに笑いを取ろうとしている。


「いや、そっちの方が嘘でしょ?」


 紫乃が指摘すると、双葉はくすっと笑った。


「ごめんごめん。……でも、心当たりない?」


「な、何のこと?」


 心当たりなど紫乃にはなかった。

 彼女ができる心当たりなど。

 首を傾げる紫乃に対し、双葉は意味深な笑みを浮かべると。


「……紫乃って女子人気ヤバいんだよ」


 知らなかった? と小首を傾げた。


「は、はぁ? ……そんな女子人気高いの、私?」


 自分を指さしながら、戸惑う紫乃。

 冗談ではなく、本気で知らない様だった。

 それを見て、双葉は再び口元を押さえる。


「う、嘘でしょ……」


 今度は紫乃も否定できなかった。

 本当に知らない。


「紫乃って、しっかりしてるせいかそういう所は鈍感だよね~」


 しみじみといった風に一人頷く双葉。


「私、鈍感じゃないと思うけど」


 少しムスッとした口調で紫乃が言い返す。

 紫乃はあまり自分を鈍感とは思っていないし、周りにも鈍感呼ばわりされたことはない。言ってくるのは、双葉だけだ。

 それも意味が分からないタイミングでいつも「鈍感」と言ってくる。

 双葉は軽く肩をすくめて見せた。


「―――じゃあ、早く気づいてよ」


 彼女の声が小雨に吸い込まれていく。

 紫乃には、今彼女が何を言ったのか聞き取れなかった。

 怪訝な表情をする紫乃に、双葉はすぐに何事もなかったような笑顔を作る。


「まぁ、とにかく紫乃はめちゃくちゃ女子からモテてるんだよ」


 分かりましたか? と人差し指を立てる双葉。


 しかし紫乃としてはやはりを傾げざるを得なかった。

 話を聞いても、自分の事を言われている気がしなかったから。

 というのも。


「今まで私のところに告白とか、しに来た女子はいないんだけど……」


 おかしくない? と正直な感想を漏らした。

 人気がある、と双葉には言われた割に紫乃は女子から告白されたことは一度もなかった。男子から告白をされたことは何度かあったが、女子からの告白のようなことをされた記憶は一度もない。

 ましてや、ラブレターさえもらった事がなかった。

 そんなに人気があるなら、告白してきたり手紙を送ってくれていてもいいと思うのだが。かと言って双葉が嘘を言っているようにも見えなかった。

 その問いかけに、双葉は胸を張って理由を説明する。


「そりゃ、毎回そういう話は私が仲介してるもん」


 ドヤ、と誇らしげな顔で告白する。

 紫乃はそれを聞いて目をパチクリさせた。

 今、双葉に言われたことをすぐには理解できなかった。


「え……もう一度言ってくれる?」


「だから、私って紫乃といつも一緒にいるでしょ? ……だから、「紫乃を紹介して」とかめっちゃ私に回ってくる訳」


 色々大変なんだよね~、と吐息を吐く双葉。


(あー……そういう)


 紫乃は合点した。

 双葉が自分自身に来ていたそういう話を全て断っていたのだ。

だから今まで自分の耳に女子人気という話が入ってきていなかった。

なるほどそういうことか、と納得する傍ら。

 紫乃は「自分頑張ってる!」風を見せる彼女に対して半眼を向けた。


「私、そんなこと双葉に頼んだ覚え……ないけど?」


 何勝手なことしてくれてんの、と彼女を睨む。

 すると双葉は細い肩をビクッと縮こまらせた。


「し、紫乃……?」


 ジト―と双葉を見詰める紫乃に、双葉はやっと自分が余計なことを言ってしまったことに気づいたようだった。


「い、いやっ、やっぱり幼馴染の務めと言いますか。紫乃に変な虫が付いちゃいけないし………」


 わざとらしく言い訳する。

 やっちまった……とでも言いたげな表情だ。


「それで、私に言うことは?」


 仁王のように双葉の前に立ち尽くす。

 それを見て、双葉も自分が今言うべき言葉を理解したようだった。

 プルプルと子犬みたいに体を震わせ。

 そして、ゆっくりと紫乃に向かって口を開いた。

 小さな唇から、作った声色で響く謝罪。


「……ごめんなのだ…………許してなのだ」


 まったく反省の色を見せてない。

 甘えれば許してくれるとでも思っているのだろう。


(……この、甘ったれめ)


 紫乃は先ほど以上に凄みのある瞳を向けると。

 一喝するべくゆっくりと息を吸い込んだ

 そして。


「――このたわけっ‼」


 そう言って双葉の頭に粛清のチョップを食らわせたのだった。

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