第6話 最後の一口
(今日の琉衣はなかなか粘るな)
環は、ジーッと神秘的な瞳を琉衣に向け続けていた。
いつもならすぐに照れてしまう彼女ではあるのだが、今回に関してはその例に当てはまっていない。
頬を紅潮させながらも、真っすぐに環を離さない。
相変わらず膠着状態が続いている。
環自身、辛抱するのはやぶさかではないのだが、ブランケットをかけていても少し肌寒くなってきた。
すりすりと手をこすり合わせる。
「膠着状態のままだが、これからどうするんだ?」
「ルールはさっきも言った通りだ。棄権するんなら、ポッキー折ってもいいんだぜ?」
ニヤッと口角を上げて、環を牽制する。
一日このままでも俺は大丈夫だけどな!などと強がっている彼女をよそに、環は次の作戦を考える。
(少し攻めてみるのもありかもしれない)
再び静寂が二人の間を包み込み、少し気まずいような時間が続いていた。
その時。
「ちょっ……⁉」
「すまない、寒いから少し温まらせてくれ」
突然、環はギュッと琉衣の手を掴んだ。
素っ頓狂な声を出す彼女をなだめつつ、細く長い指を握りしめる。そして執拗に、彼女の指を愛おしそうに触っていった。
「お、おまっ……ちょっ……」
「おっと、視線を外したら負けだぞ?」
赤面する琉衣にルールを再認識させる。
このまま彼女が視線を逸らしても良かったのだが、それだともったいないような感じがした。今までにないくらい琉衣と近い距離――環はこの時間をもっと味わっていたかった。
悔しそうにしつつも耐える琉衣。
その苦しげな表情に環は、ここぞとばかりに畳みかけることにした。
「ねぇ、琉衣?」
「な、何だよ……」
「さっきの話だが、もし私が「瑠衣と付き合ってる」って本当は答えてたら……どう思う?」
「は、はぁ?」
突然なんだよ……、と動揺したように返事する琉衣。
琉衣の手が微かに震えたような気がした。
「……どう、思う?」
「どうって……」
その震えを止めるようにギュッと握る強さを強める。
そして言葉に詰まる彼女を見つめながら。
「君がどう思うのか、教えてほしい」
今にも視線を逸らしてしまいそうな琉衣にもう一度尋ねた。
環を落とす、と威勢よく勝負を申し込んだ琉衣であるが、これでは全く逆の立場になってしまっている。
琉衣は震える声で。
「……まぁ、俺はどうとも思わねえよ」
赤面度合いを増しつつ答える。
その回答に、環は「ほう」と喉を鳴らした。
「では、女子同士の恋愛にも嫌悪感などはない、ということか?」
「ある訳ないだろっ!」
思いのほか食い気味で否定する琉衣に、環は驚いたように目を見開いた。まさかこんなに真っ向から否定するとは思っていなかったから。
彼女の答えを咀嚼した環は満足したように口端を上げる。
「そんな、怒ることでもないだろう?」
「……怒ってねぇよ。ただ俺が、女は無理な小せぇやつだと思われたくなかっただけだ」
通常ならばそう言って顔を背ける所なのだが、ポッキーゲームの最中ということもあり、環をじっと見つめたままそう宣言する。そのせいか、頬の紅潮具合は頂点に達しようとしていた。
「やはり、初心だな琉衣は」
そう言うと、環はそっと握っていた手を離す。
少し含みのあるその笑みに、琉衣は彼女の手中に入ってしまったような感覚を覚えた。これまでもそうだったように、今回も負けてしまうという予感が。
そんな不安を打ち消すように環に噛みつく。
「う、うるせぇ!お前も彼氏いたこと無いくせに!」
「いないよ。しかし、勘違いしてほしくないのは敢えて彼氏を作らなかったんだ」
睨む琉衣に環は凄みを帯びた瞳を向ける。
その眼力に気圧された琉衣の肩がビクッと跳ねた。
「そ、そうなのか……?」
「そうだよ。ずっと一人の事だけを想って――」
驚いたように瞠目する琉衣に。
環は何かを言いたげな、含みを持った笑みを向けたのだった。
+ + +
甘い息が琉衣に当たる。
思わず琉衣は生唾を飲み込んだ。
物思いにも似たその吐息はとても色っぽくて。
今すぐ襲ってしまいたくなるくらい、環が魅力的だったから。
呼吸することも忘れて、見入ってしまう。
だがそれと同時に淋しさも感じた。
――数センチ。
あと数センチしかないはずの彼女との距離がとめどなく長く感じたから。抱き寄せればすぐに触れてしまうくらい、近くにいるのに――届かない。
自分でも甲斐性なしと自覚している。いつもは自らグイグイ行くような言動をしているくせにここ一番というところでは一歩も足が踏み出せない。そんな自分がもどかしくもあり悔しかった。
「……誰か気になるかい?」
唐突に環が微笑む。
瞳は琉衣の全てを見透かしたような色を帯びていた。
その視線と自身の瞳が絡み合う。
琉衣は思わず背のあたりがゾクゾクしてしまった。
目の前にいる彼女が綺麗すぎたから――。
しかし。
「そ、そんなのどうでもいいっ」
本心に反して口から飛び出たのは投げやりな答えだった。
本当は気になって仕方がない。環が誰の事を好きなのか、自分が知らないことが気に入らない。彼女には自分だけを見ていてほしいから。
ただ、そんなことは言えない。
言えるわけがない。
だからこれまでもこうやって回りくどく勝負してきたのだ。
不意に環は琉衣の顎に手を添えた。
「な、何だよっ⁉」
「もう一度聞かせてほしい。……女子同士の恋愛について、君がどう思うか」
そう言う環は、まるで王子様のように華やかでたおやかだった。
細く冷たい指が顎を優しく持ち上げる。しかし、その仕草の裏に何かを決心したような独特の落ち着きと緊張感を孕んでいた。
「は、はぁ⁉そ、そんなの、さっき言ったじゃねぇか!」
威勢とは裏腹に震える声。
しかし揺れる瞳は真っすぐに環を見つめて離さなかった。ジッと見つめられた真っ黒な瞳の奥。そこにはまごうこと無く、自分だけが映し出されている。
「私は聞きたいんだ。……女子が女子に恋することの是非について、真剣に」
声は落ち着き払っている。
しかし、環の指先からは微かな振動が伝わってきた。
(……こ、これって)
一見すると普段と変わらなく見える環であるが、琉衣はすぐに分かった。
その奥に見え隠れしている彼女の気持ちを。
そして琉衣は確信する。
環が今から何をしようとしているのか。
自分がこれから何をされるのか。
だけどそれを理解した琉衣に恐怖はなかった。それよりも彼女と今を共有していることが嬉しくて堪らなかった。
自分と同じように、彼女が緊張していることも。
昔から思っていた。
環の瞳は黒く深く美しい。
今、その瞳の奥には嬉しさと恥ずかしさで赤面した自分が映っている。
「……あ、アリなんじゃ……ねぇの」
そう言って琉衣は視線を逸らす。
この時点で勝負あり。
長かったポッキーゲームに終止符が打たれた瞬間だった。
しかし、環も琉衣もここで止めようとはしなかった。
琉衣の顎を上げたままタイミングを見計らっている。
今の琉衣の中にあるのは、安堵感と幸福感。
勝負に負けたこと自体は悔しいが、それ以上に先へと進んでみたかった。たとえ自分が環に落とされたとしても。
ゆっくりと瞼を閉じる琉衣。
そんな彼女の意志を汲み取ったように、環はゆっくりとポッキーを食べ進める。そして、後一口で唇が触れるくらい近づいたところで。
「君からそう言う言葉が聞けて良かったよ――」
そう言って微笑んだ環は、最後の一口を食べたのだった。
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