第20話 大切な未来であるほど

 リファが案内してくれたのは、またまた路地裏の妙な立地で開業しているお店だった。入り口のドアに小さな看板めいたものがかかっていたものの、リファに案内されなかったら、見つけることすらできなかっただろう。


「さぁ、中へどうぞ!」


 リファがドアを開けてくれて、俺たちを中へと促す。俺とトーチカが入ると、リファも続いた。

 店内をさっと見てみるが、内装は一般家庭の一室に見えた。お店という雰囲気はないな。


「いらっしゃい。待ってたよ」


 魔法使いのローブ姿のおばあさんが、三人分の紅茶を用意しながら声をかけてきた。年齢は六十代くらいだろうか。艶のある白髪に、ピンと伸びた背筋が綺麗だった。


「えっと……俺たちが来るの、わかってたんですか?」


 人数分の紅茶を見て、何かを予見したのかと思ったが。


「あっはっは。まさかね。いつも、こうして机の上にいくつかカップを用意しておくんだよ。あとは、ここに近づいてくる足音で人数を予測して、それっぽく振る舞うの。あんたは素直な子だねぇ」


 おばあさんが無邪気にニマニマする。とんだ悪戯好きな魔女だよ。


「……なるほどね」

「ふふん? 本当に、素直な子だねぇ」

「え、どういうことですか?」


 俺が首を傾げていると、トーチカが言う。


「今の発言こそが、それっぽい嘘だってことですよ」

「……ん? じゃあ、本当は、俺たちが来るのがわかってたってこと?」

「でしょうね。わたしたちが来ることを知らなければ、そもそも店の前に看板は出ていなかったのでしょうし、いかにも魔法使いらしいローブも来ていなかったことでしょう」

「……ほぅ?」

「あらあら。トーチカちゃんはとても鋭いのね。そんなに不自然なところがあったかしら?」


 名乗ってもないのに、ごく自然にトーチカの名前を呼ぶのか。なるほど、ただ者ではなさそうだ。


「不自然と言うほどではありません。最後に入ってきたリファが、さりげなくドアにかけてあった看板を回収しているようだったので、普段は出していないものなのだなと思ったくらいです」

「あらあら。リファ、ちょっとへましたわね」

「……すみません」


 リファが苦笑しながら頭を下げる。


「……俺が知らない間に駆け引きがあってたわけね」

「レイリスは危険以外に対しては概ね鈍感ですからね。気づかないのも仕方ありません」


 このおばあさんに敵意があれば、俺も何かしら気づいたかもしれないな。負け惜しみかもしれないが。


「ふふ。年寄りのちょっとしたお遊びに付き合ってくれてありがとう。さ、席に座ってちょうだい。訊きたいのは明後日の試合の結果? それとも、二人の将来について?」


 その問いに、トーチカが答える。


「試合の結果は訊かなくてもわかっています。レイリスが優勝しますよ。わたしたちの将来については、まぁだいたい予想はできますし、何も知らない方がわくわくするので、訊く必要はありません」


 おばあさんが、とても嬉しそうに頬を緩めた。


「そうね。大切な未来であるほど、何も知らない方がいいわ。あなたたちがいつどのタイミングで身も心も結ばれるかなんて、私が教えてしまうのは野暮すぎるもの」

「……気にはなりますが、今知りたいことではありませんね」

「では、何をお話すればいいかしら? 占いに来たのだから、何か知りたいことがあったのでしょう?」


 トーチカは首を横に振った。


「いいえ。未来については、何も知りたいことはありません」

「あら、そう? なら、どうしてわざわざここまで?」

「もっといい加減な占い師が出てくると思っていましたから。あなたほどの予見の力などなく、なんとなく直感で恋人同士の相性を見る相手なら、もっと色々訊いていましたよ」

「なるほどね。じゃあ、レイリス君は、私に何か訊きたいことはある?」


 俺の名前も当然のごとく把握済みか。

 トーチカは何も訊かないらしいし、となれば、訊くべきは一つ。


「……そろそろ、あなたのお名前を訊いてもいいですか?」


 おぼあさんが愉快そうに声を上げて笑う。さて、何か面白いことを言ったかな?


「普段は偽名を名乗るのだけれど、あなたたちには特別に教えてあげる。私の名前は、ルーニル・メーゼフ」

「え? ルーニル・メーゼフ……? 本物……?」

「……かつて、希代の予見者として名を馳せた、あのルーニル・メーゼフですか? 二十年前、その力を駆使し、西のシビナ帝国の侵攻を食い止めたという……?」

「そのルーニル・メーゼフで間違いないわ」


 ルーニルは、特に過去の偉業を誇るでもなく、穏やかに微笑んでいる。


「……権力者闘争に巻き込まれるのが嫌で失踪したと聞いていましたが、こんなところにいたんですね」

「びっくりしました」

「ふふ。ま、そんな昔の話はもう忘れましょう。

 そんなことより、あなたたちのように、未来を知ろうとしない人は特に好きよ。出会えて良かったわ。

 そして、リファも、この二人を連れてきてくれてありがとう」

「いえいえ、お礼を言われるほどのことではありませんよ。紹介料だけいただければ十分です」

「あなたも随分と大人びたことを言うようになったものね」

「もう十五歳、一応は成人ですから」

「そうだったわね。

 それじゃ、未来の話なんてもう忘れて、お茶をどうぞ。それと、お菓子でも食べる? お安くしておくわよ?」

「いただきますー、って、お友達に振る舞う雰囲気なのに、有料ですか?」

「あら、知らなかった? お茶もお菓子もタダでは手に入らないのよ?」

「……確かにそうですね。じゃあ、三人分のお茶とお菓子をお願いします」

「三人分、ね。わかったわ。……トーチカちゃん。良い人を捕まえたわね。逃がしちゃだめよ?」

「もちろんです。逃げたところで、地の果てまでも追いかけます」

「おいおい、それはちょっと怖いぞ? もうちょっと言い方があるだろ?」


 ルーニルがまた声を上げて笑う。

 素敵な女性だな、と思う。予見の力とやらがどれほどのものかは不明だが、きっと苦労もたくさんあっただろうことは想像に難くない。

 それでも、今はこんな風に朗らかに笑っていられるのだから、素敵な歳の取り方をしてきたのだろう。


「レイリス、何をそんなにルーニルさんに見とれているんですか? 見とれるならわたしにしてください」

「……あのなぁ、相手はもうおばあさんだぞ?」

「つまり、女性ですね」

「……うん、まぁ」

「おばあさんになったら女性ではないと言いたいのですか?」

「微妙なことを訊くんじゃない。俺はただ、将来、トーチカがこんな風に笑う人になってくれたらいいなと思っただけだよ」

「……やっぱり浮気じゃないですか」

「浮気かなぁ……?」


 首を傾げる俺に、悪戯っぽく笑うトーチカ。

 そして。


「残念だったわね、リファ。それに、あなたたちには、恋占いなんて全く必要ないわね。

 ……はぁ。私もあと四十年若ければ、ね。妬けちゃうわ」


 ルーニルが柔らかな微笑を称えつつ、クッキーを俺たちに振る舞ってくれる。

 トギロスとのやりとりで少々気持ちがささくれていたが、ここに来て一気に気持ちが穏やかになった。

 占いにも興味はあったが、占いなどなくても、ここに来て良かったと思う。


「……世の中には、いい人もいれば、そうでもないやつもいる。それだけのことだよな」

「何をぶつくさと言ってるんですか? ほら、レイリス。あーん」

「え、何? 食事の度にそれやらないといけないの?」

「安心してください。わたしが飽きるまでです。つまりはずっと続きます」

「おいおい。何を安心すればいいんだ。……むぐ」


 トーチカがクッキーを俺の口に押し込む。

 まぁ、美味しいよ。うん。けどまぁ、こんなところを強制的に見せられるリファとルーニルが気の毒だとも思う。

 申し訳ないと思いながら……トーチカが指まで俺の口に押し込むので、指先をちょろっとだけ舐めることになってしまった。

 ……本当に、ごめんね? こんな恥知らずな二人組で。

 生温かい視線を浴びながら、俺はにっこり笑顔のトーチカを眺めつつ、黙々とクッキーを味わった。

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