第19話 一億

「おお、これはこれは、白雪の姫。また会えるとは、私とお前は固い絆で結ばれていると見える!」


 トギロスが言うと、トーチカが控えめながら嫌そうな顔をする。


「……わたしのような一市民、トギロス様との絆など滅相もございません」

「お前はただの一市民などではない! どんな貴族令嬢よりも美しく、私に相応しい女だ!」

「お褒めに与り光栄です」


 トーチカが慇懃いんぎんに頭を下げる。お前を視界に入れたくない、という密かな思惑は、トギロスには伝わらなかったようで。


「面を上げよ。お前は美しい」


 トーチカが仕方なく顔を上げ、冷えた視線をトギロスに向ける。

 ……後のフォローが大変そうだから、あまり怒らせないでほしいんだけどな。

 まぁ、ここは俺が間に入るべきだろう。トギロスは嫌がるだろうが。

 トーチカの前に進み出て、できるだけ穏やかに話しかける。


「トギロス様、随分と立派な剣をご準備されたようですね」

「お前には話しかけていない」

「そうおっしゃらずに。トーチカをかけて戦う仲ではありませんか」

「ふん。自惚れるな。私はお前をライバルなどとは思っていない。私が参戦する以上、私が大会で優勝するのはもはや決定事項なのだ。お前は早く新しい女でも見つけるといい。そこのみすぼらしい女など丁度良いではないか」


 トギロスが指しているのが、リファだというのはわかる。

 こいつが貴族じゃなかったらぶん殴ってやりたいくらい苛つくのだが、ここは我慢するしかない。不敬罪だとかでお尋ね者になるのは困る。

 ……直接戦うこともあるはずだから、そのときに思い切り鬱憤を晴らさせてもらうさ。


「……明後日の結果次第では、リファとの関係も考えさせていただきますよ。それより、私たちは急ぎますので、ここは失礼させていただきます」

「待て。勝手に話を終わらせるな。いや、お前とそこの小娘はどうでもいい。さっさと去れ」

「……トーチカを残してはいけません。ああ、そういえば、私は最愛のトーチカをかけるというのに、大会で優勝したとしても改めて得るものがございません。これは不公平ではありませんか?」

「ふん。そんなものを決める必要はない。万一にも、お前が私に勝つことはないのだから」

「では、億に一つ、私が大会に優勝したとしたら……トギロス様が最も大切にしているものを一つ、私にください」

「大切にしているもの? ふん、どうせお前が欲しいのは金だろう。大会の報奨金は一千万リルだったか? ならば、私から一億リルを追加でお前に渡そう。これで良いな?」

「……承知致しました」


 間接的に、トーチカの価値は一億リルと言っているようなもんだが、それでいいのかね? 俺からすれば、トーチカは金銭的な価値に変えられるものではないのだけれど。

 改めて証文を作成し、サインする。

 別に金なんていらないが、もらえるものはもらっておこうかね。

 交渉が終わったところで……不意にトギロスがぼうっと虚空を見る。

 原因はわかっていて、トーチカがトギロスに自失の魔法をかけたのだ。

 こんなことして大丈夫か? と思ったが。


「……行ってください。あとは私が対応致します」


 小声で告げたのは、メイドのビアンカ。


「……あ、おう」

「失礼な発言ばかり、申し訳ありません。主に変わって謝罪致します」

「いえ、まぁ……」

「もう行ってください」

「ああ……」


 ビアンカに促されて、トーチカとリファの二人と共に歩いていく。ちなみに、武器屋の大男は無視した。


「……トーチカ、あんなことして大丈夫だったのか?」

「わたしが魔法を使う気配を見せたとき、ビアンカさんが頷きました。大丈夫でしょう」

「ふぅん……。メイドの方は、主と違ってまともみたいだな」

「そのようですね。……色々とわけありではあるのでしょうが」

「わけあり、か。例えば?」

「さぁ、なんでしょうね?」


 何かをわかっていそうな笑みのトーチカ。

 尋ねても答えてはくれなさそうだ。


「ま、とにかく急いでここを離れよう。大会まで、あいつとは二度と会わないといいな」

「ですね」

「あ、そうだ、リファ。リファはみすぼらしくなんかないし、とても素敵な女の子だ。あんなアホの言うこと真に受けるなよ?」

「……はい。わかっています」


 はにかむリファが可愛い。あのアホ貴族は、どうしてこんな可愛い子の良さを理解できないのかね?


「……わたしは?」


 トーチカが不満そうに尋ねてくる。俺が他の女の子を褒めるのがそんなに不満か? そんな顔しなくても……。


「トーチカが世界で一番可愛いくて、一番素敵だよ」


 褒めてやると、トーチカが頬をうっすらと赤く染めて、にんまり。


「ちょっとよく聞こえませんでした。もう一回言ってください」

「思いっきり聞こえてる風じゃないか。また後でな」

「むぅ。恋人の可愛いお願いくらい聞いてください。わたしは今、あの勘違い貴族に絡まれて気分を害しているんですよ? もっと積極的にわたしを可愛がって、機嫌をとってください。お礼に今夜、なんでもしてさしあげますよ?」


 な、なんでも、ね。

 トーチカが何を想定しているのかはわかる。

 別に、今はそういうのを望んでいるわけではないのだが、思わずドゥキドゥキしちゃうねっ。


「……まぁ、心中お察しだが、とにかく二人きりのときにな。ってか、そういうの、他人の前で言ってて恥ずかしくないか? リファの姿、ちゃんと視界に入ってる?」

「見えてますよ。だからこそ、むしろ積極的にいちゃつく必要があります」

「なんだそりゃ……」


 俺たちのやりとりに何を思ったか、リファが苦笑しながら言う。


「あの……大丈夫ですよ? わたくしはただの道先案内人で、お二人はお客様。ちゃんとわきまえていますから」

「……そうですね。わたしたちが数日後にこの町を出れば、リファさんとはお別れですもんね……」

「そうですよ。まさか、わたくしを旅に同行させてくださいなどとは申しません。わたくしにはわたくしの生きる道があります」

「……今後、わたしが一番レイリスの側にいることは確かでしょうし、いちいち細かいことを気にするべきではありませんね。

 レイリスには宿でたっぷり可愛がってもらうとして、占いとやらに行ってみましょうか」


 トーチカの発言に、リファが赤面する。何を想像したかは察するが、指摘しないのが真摯と言うものだと思う。想像しているようなことはしないよー、などとあえては言うまい。


「……本当に、早くわたしを可愛がってくれないものですかね?」


 トーチカの最後の一言は、おそらくリファには届いていない。

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