第15話 食事

 トギロスから解放されてから、しばらくはトーチカの機嫌が悪かった。見た目だけで女性を選ぶ男なんぞろくなもんじゃないとか、レイリス以外と結婚するつもりなどないとか、惚れた女性を景品扱いするなとか。


「イライラするので後ろからそっと抱きしめてください」


 とか言われたときに困ったものだが、リファが「どうぞどうぞ、お構いなく」なんて言うものだから、一旦人目に付かない路地裏に行き、トーチカの要望に応えてやった。

 はふぅ……と一息吐いて、ぐりぐりと後頭部を俺の胸に押しつけてきたのは、とって可愛らしかったよ。

 さておき。

 正午近かったので、リファにお勧めの料理店へ連れて行ってもらうことにした。

 案内されたのは、大通りから外れたところにあるこじんまりとしたお店だ。不穏な雰囲気はないが、あえて案内されないとたどり着けない場所だと思う。

 ただ、常連さんが多いのが、四つあるテーブル席のうち三つは既に埋まっていた。

 残りの一つに三人で座り、これまたリファのお勧めに従って、一食千五百リルの定食を注文。なお、リファは一番安い料理を頼もうとしたが、俺たちが奢るということで、同じものを食べてもらうことにした。実に綺麗な営業スマイルを浮かべていたから、おそらくリファの思惑通りなのだろう。


「ここの店主は、遙か東の島国からやってきたんです! 余所ではなかなか食べられない、独特で美味しい料理を食べられるんですよ!」


 リファの言う通り、王都では見ない食事が並んだ。米、焼き魚、天ぷら、刺身……などなど。

 トーチカからすると初めて見るものばかりのようで、もの珍しそうに眺めている。

 一方、俺は懐かしい気持ちになっていて。


「もしかして、店主さんってシン国から来たのか?」

「え? よくわかりましたね。料理を見ただけでわかるなんて……」

「俺の母親、シン国出身なんだよ。それで、故郷を出る前はシン国の料理をよく作ってくれたんだ」


 昔はこういう料理もよく食べていた。それが珍しいものだというのは、故郷を飛び出してから知った。


「あらら、それは失礼しました。余所では食べられないものをと思っていたんですが……」

「いや、いいよ。トーチカは初めてだろうし」

「ええ、そうですね。……にしても、これは生魚ですか? 魚肉を生で食べるんですか?」


 刺身をフォークでつんつん。フローラ王国では、基本的に肉も魚も生で食べることはないから、本当に食べられるのか気になっているのだろう。


「魚全部が生で食べられるわけじゃないが、ものによっては生でもいけるんだ。処理の仕方も関係してるかな。とにかく美味いぞ」

「ふむ。……この黒い液体は?」

「それは俺も知らないな。これ、何だ?」

「おや、醤油はご存じないですか? まぁ、醤油作りは難しいらしいですからね。お母様も作り方はご存じなかったのでしょう。口で説明するのは難しいですが、とても美味しいですよ? あ、かといって醤油だけを飲むのは味が濃すぎるので、味付けとして利用してくださいね?」


 ふむふむ、とトーチカが頷きつつ、フォークで刺身を食べる。

 なんだか複雑そうな顔をしたので、思わず笑ってしまった。リファも失礼じゃない程度に笑っている。

 美味しそうではなかったけれど、トーチカは刺身を飲み下す。


「……どちらかというと美味しいの部類なのですが、もちゃっとした触感とかぬめっとした舌触りは少し奇妙に感じますね」

「それがいいんだけどなぁ。口に合わないなら俺がもらうよ」

「……いえ、せっかくなので食べます。新しいもの、未知のものに触れるのが、この旅の目的なんですから」

「だな。じゃ、味わおうぜ」


 俺が箸を持つと、トーチカがまた首を傾げる。


「それは、フォークの代わりに使う食器なのですか?」

「ああ、そうだよ」


 箸を使って、俺も刺身を食べる。ふむ、故郷では塩で食べていたが、醤油も美味いな。


「へぇ……。文字も書けなかったのに、そんな独特な食器は扱えるんですね……」

「文字とは全く別の話だよ」


 俺が食事を進めていると、リファが苦笑しながら言う。


「あーあ、そんなに器用に箸を使いこなされては、わたくしのお仕事が減ってしまいますね」

「いや、トーチカは全く知らないことだから、教えてやってくれよ」

「いいんですか? わたくしより、むしろレイリス様から教えて上げた方が、トーチカ様は喜びそうですよ?」


 トーチカが見よう見まねで箸を持ち、俺に視線を寄越す。まぁ、いっか。一万リル分の仕事を、リファにしてほしかったところなのだがな。


「えっとだな、持ち方としては……」


 トーチカの手を取り、箸の使い方を教えてやる。

 が、予想通り、すぐには上手く扱えず、だんだん苛立っているのもわかった。


「何故、シン国の方はこんな扱いにくい食器を開発したのでしょうか……」

「使い慣れたら便利なんだよ。ま、箸の使い方を学ぶのもいいが、せっかくの料理が冷めちまう。扱い慣れた食器で早く食べようぜ」

「……そうしましょう。箸はやめて、レイリスがわたしに食べさせてください。わたしは口を開けているので、あとは頼みます」

「……なんでそうなる」

「ちょっとイラッときたので、レイリスに癒してもらおうかと思いまして」

「その癒し方はおかしいだろ……。少なくとも人前でやるものじゃない」

「口移しがいいと言うことですか? 確かにその方が癒し効果は絶大です」

「そんな話もしてない! 人前でそんなことやらねぇよ!」

「では、人前じゃなかったら良いということですね? 今度二人きりで食事をするときにやってください」

「本気かよ……」

「わたしが冗談を言っているように見えますか?」

「見えないな。気まずいことに……」

「では、そのときは頼みます」


 にやつくトーチカが箸を置き、口を俺に差し出す。この場で口移しは求めていないにしても、食べさせてもらおうというのは本気らしい。

 リファ、並びに店内の人たちの様子を確認。リファは苦笑しているだけだが、男性二人くらいから殺気の籠もった視線が……。

 ええい、とにかくやってやれ!

 やけくそ気味に、トーチカの口元に刺身を運んでやる。可愛らしい唇が開き、パクリと肉片を咥える姿が艶めかしい……。

 何度か続けてみたが、流石に気恥ずかしさが募りすぎた。


「……そろそろ、普通に食べよう」

「仕方ないですね。まぁ、レイリスの気まずそうな顔を堪能できたので満足です」

「嫌な性格……」

「けど、そこがいいでしょう?」

「……さてね」


 にんまり顔のトーチカがフォークを手に取る。今度はスムーズに食事を進めることができて、新鮮な味を存分に楽しんでいた。「これ、すごく美味しいですよ!」なんて破顔して、いちいち俺に報告する姿が愛おしいね。


「……素敵なお二人ですねぇ。見ているだけでお腹一杯になってしまいますよ」


 リファが苦笑混じりに呟くので、また気恥ずかしくなる。

 そして、リファが少し心配そうに続ける。


「……レイリス様、大会ではちゃんと優勝してくださいね?」

「ああ、わかってる。トーチカは誰にも渡さないよ」

「そうしてください。万一のことがあれば、わたくしの方が泣いてしまいます」

「まぁ、大丈夫さ。俺は、トーチカのためになら無敵の剣士になれるんだ」

「本当に、そんな気がします」

「本当だからな」


 たぶん、きっと、本当に。

 ともあれ、リファの案内のおかげでとても良い食事をすることができた。

 あの横暴なトギロスの件がなければ、もっと心おきなく楽しむことができたのにな。全く、迷惑な話だよ。

 こっちを本気にさせたこと、後悔させてやるからなっ。

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