第8話 未来

 商店の立ち並ぶ南区に到着したところで。


「んにゃ? 一晩で随分と仲良しになったみたいだにゃぁ。ふむふむ。昨夜はお楽しみだったのかにゃ?」


 露店で買い食いしていたロギルスに遭遇。俺とトーチカが手を繋いでいるのを見て、にやにやと意味深な笑みを浮かべた。

 昨夜の言動から察するに、ロギルスはトーチカの気持ちについては知っていたのだろう。今の状況を見れば、昨夜何が起きたのかは想像に難くない、と思っているに違いない。

 しかし。


「……別に、ロギルスが想像するようなことは起きてない」

「本当かにゃー? あたしに嘘は吐けないにゃよー? 二人がどんな夜を過ごしたかくらい、匂いだけで全部わかるにゃー」


 ロギルスが俺に近づき、すんすんと匂いを嗅ぎ始める。トーチカに引き続き、最近はよく匂いを嗅がれるな……。

 嫌ではないが、気恥ずかしさはある。俺が離れようとする前に。


「ロギルス、やめてください。レイリスの匂いを間近で嗅いでいいのはわたしだけです」


 どんな主張だ。そんなこと言う女性は初めて見たぞ。

 トーチカが間に入り、ロギルスが大人しく離れた。


「にゃははっ。トーチカは独占欲が強いにゃぁ。心配しなくても、あたしはレイリスを盗ったりしないにゃぁ。……だから、昨日もちゃんとすぐに退散したんにゃよ?」

「……そうですね。盗られるとかは心配していません。単にわたしの独占欲が強いだけです」

「トーチカは案外束縛の厳しい女かもしれないにゃぁ。レイリスも大変にゃぁ」


 ロギルスが俺に向かってにやにや。何がそんなに面白いのやら。


「べ、別にわたしはレイリスを束縛するつもりはありません。わたし以外の女性と仲良くしてほしくないだけです」

「それを束縛と言うんだにゃぁー。あんまりガチガチに他の女を遠ざけようとすると、面倒だと思われてレイリスに嫌われちゃうにゃ。我慢を覚えるんだにゃ」

「わたしはっ、本当に束縛をするつもりは、なくてですね……っ。わたしだけを見ていてほしいという気持ちがあるくらいで……っ」

「……だから、それを束縛と言うんだにゃぁ。男が他の女と多少仲良くするとか、興味を持つことくらい、いちいち気にしちゃダメにゃー」

「……多少ならいいのです。多少なら」

「トーチカの基準は厳しそうだにゃ。ま、その辺は夫婦二人で上手くすり合わせていけばいいにゃ」

「ま、まだ夫婦じゃありません! そのうちなりますけど!」

「にゃははっ。結婚式の時には呼んでくれにゃー。なるべく居場所はわかるようにしとくからにゃー」

「そのときには真っ先にお知らせしますよ」


 ところで、俺はまだトーチカと結婚すると決めたわけではなかったはずなのだが、そんなことを言うのは野暮だろうか?


「んん? レイリス、なんとなーくつまらんことを考えてる気配がするにゃー。そんな男はあたしが成敗してやるかにゃ?」


 ロギルスが右手を上げて、ひっかくような動作をする。獣人の爪は丈夫で鋭いから普通に怖いぞ?


「や、やめてくれ。俺は別につまらんことは考えてない」

「ふぅん? ならいいけどにゃ。未来の夫として、トーチカを幸せにしてやるんにゃよ?」

「……俺は逆に、幸せにされる方だという予感がするけどな」

「にゃははっ。わかってるにゃ!

 あ、ところで、二人はこれからどうするにゃ? 王都に残るにゃ? それとも、旅に出るにゃ?」

「俺たちも旅に出ることにしたんだ。だから、王都にいるのもあとせいぜい十日くらい」

「にゃるにゃる。あたしもそれくらいで出ようかと思ってたところにゃ。じゃあ、夕方にでも、ガーグのところに集まって旅に出ることを話すにゃ?」

「ああ、いいと思う。ちょうどそうしようと思ってたところ」

「気が合うにゃー。四年も一緒に活動してると、思考パターンも似てくるもんにゃ」


 にゃははっ、と快活に笑う姿が、ふと眩しく見えた。

 四年ほど毎日のように見てきたこの笑顔も、今後はあまり見る機会がなくなってしまうのか。

 それはなんだかとても寂しいことに思えて、急に、胸がきゅっと絞られるような感覚を覚えた。


「……レイリス、そんな寂しそうな顔するなにゃー」

「……そんな顔してた?」

「してたにゃー。レイリスには似合わない表情にゃ。

 そりゃー、あたしだって、お互いに背中預けて戦った戦友との別れは辛いにゃ。でも、あたしたちならまたどっかで会えるにゃ。道は違えるけど、あたしたちの絆は一生続くのにゃ!」

「……すっげーいいこと言ってくれて正直感動ものだけど、それはたぶんガーグさんのセリフだな」

「にゃはは! 確かににゃ! 先取りしちゃったのを後で謝らないとにゃ!」

「いや、むしろ、ガーグさんが同じことをいったときロギルスが、「それさっきもう言った」とか指摘するのが美味しいぞ」

「うわっ、この男、性格悪すぎにゃ! ドン引きだにゃ!」


 ドン引きしながらも、その笑顔に全くかげりはない。

 出会った当初は俺を嫌っていたらしいロギルス。それが、あんなクサいセリフも言ってくれるくらいには、良い関係が結べたらしい。

 嬉しいね。本当に。胸が熱くなるよ。

 と、ここでロギルスがふと笑みの質を変える。意地悪そうに目を細めて。


「そう言えば、トーチカにも一つ言っておくけどにゃ?」


 ロギルスはトーチカの耳に口を寄せ、俺には聞こえない小声で何かを囁く。

 トーチカはそれを聞いてむすっとした顔になった。


「……言われなくても、それくらいわかってますよ」

「にゃはは! だったらいいのにゃ。昨夜は本当になーんにもなかったみたいだけど、状況はお察ししたにゃ。次会ったときにもまだそうだったら、そのときは……」

「ありえません。わたしも多少は待つつもりでいますけど、何年も悠長に構えているつもりはありません」

「そっかそっか! わかったにゃ。そういうことならいいのにゃ。それじゃ、二人のデートの邪魔をするのも悪いし、この辺で退散するにゃ! また後で、ガーグの家で会おうにゃ!」


 ロギルスが尻尾を振りながら上機嫌に去っていく。トーチカと一体なんの話をしていたのかが気になるが……。


「余計な質問は禁止です」

「さよか。ま、あえて秘密を聞き出すつもりはねーよ」

「そうしてください。それより、わたしたちもお店を回りましょう! 何かアクセサリーの一つでも買ってください!」

「お、おお。まぁ、いいぞ? でも、俺に選ばせるとかはやめてくれよ? アクセサリーとか全然わからないんだから」

「心配無用です! そんな無謀なことはしません!」

「それなら良かった」

「……無謀なこと、と言われても一切動じないのですね」

「事実だろ? 俺はファッションには疎いんだ。そのことを気にしたこともねーよ」

「……全く。いつまでもそんなことでは困りますよ? わたしたちの子供が女の子だったらどうするつもりですか? ちゃんとおしゃれさせてあげられますか?」

「……それは気が早いような……」


 結婚飛び越えて子供の話になっちまった。

 トーチカ、ちょっと落ち着け。


「そんなことありませんよ。あっという間です。さ、とにかくお店を回りましょう!」


 トーチカがきらきらした瞳で俺の手を引くものだから、トーチカの思い描く未来は確かに確定事項に思えたし、俺もぐだぐだ言ってられないかな、とも思えた。

 幸せな時間はあっという間に過ぎると言うから、俺も気を引き締めないとかな。

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