第6話 話し合い

 その夜は眠れなかった。

 トーチカとたくさんおしゃべりしているうちに、だんだんと気分もリラックスしてきたはずなのだけれど、同時に高揚している部分もあって、結局眠気も訪れなかった。

 トーチカは時折誘ってくるそぶりを見せたが、俺がまだその気になれていないのを察し、それも控えるようになっていった。

 そして、翌朝。

 カーテンの隙間からほんのりと陽光が差し込む頃になって、トーチカがうとうとし始めた。


「……昼夜が逆転してるなぁ」

「すみません……。レイリスも、疲れていたはずなのに……付き合わせてしまって……」

「いいよ。トーチカ、しばらく寝てな」

「……レイリス、どこにも、行きません、か?」

「行かないよ。大丈夫」

「……どこにも、行っちゃ、ダメです、よ……」


 トーチカが俺にしがみつきながら、安らかな寝息を立て始める。

 俺もかなりの眠気があるはずなのだが、妙に冴えた感覚でもある。とても妙な気分だ。長時間、強力なモンスターと戦った後の高揚感に似ているかもしれない。……と言うのは失礼か? トーチカはモンスターじゃないぞ?

 空いている手でトーチカの頭を撫でる。滑らかな銀髪が心地よい。この子、本当に俺の恋人なの?


「……夢でも見てるみたいだ」


 いっそ、これは本当に夢で、目が覚めたら俺は一人で自宅のベッドにいるのかもしれない。そうなっても俺は驚かない。

 そんなことを考えながら、少しだけ姿勢を変え……トーチカを抱きしめる形になる。

 一晩中トーチカから抱きしめられていたけれど、俺から抱きしめるのは初めて。

 小さな体がとても愛おしくて……満ち足りた気分になっているうちに、だんだんと俺も眠くなってきた。


「おやすみ……トーチカ」


 一言述べて、俺も眠りに落ちていく。

 今までで一番、安らかな気分だったように思う。


 再び目が覚めたのは、もうとっくに太陽が天頂を通り過ぎた頃。

 なんとなくくすぐったいなぁということで目が覚めたのだが、トーチカが俺の鎖骨辺りをぺろぺろと舐めていた。


「な、何をしてるんだ?」

「……起きてしまいましたか。目が覚めたらとてもよいポジションだったので、思わずレイリスの鎖骨を舐めてしまいました」

「……何を言っているのか全然わからないよ」

「レイリスも舐めますか? わたしの鎖骨」

「……遠慮しておくよ」

「遠慮しなくていいんですよ? 恋人同士なんですから」

「……夢じゃなかった」

「ええ、夢じゃありません。わたしも安心しました。目が覚めてもちゃんとレイリスが側にいてくれて、わたしはとても幸せです」

「……デレデレは継続中か」

「たぶん、これからずっと続きます」

「さよか」

「さようです。……これからどうしますか? その気になってくれたなら、わたしは構いませんよ?」


 ススス、とトーチカの太股が俺の下腹部辺りを撫でる。

 いやもう本当に、この誘惑に抗うのは古代竜に立ち向かうくらいの精神力がいる。


「……その気にはなってない。つか、その、あれだ、お腹空いたな」

「色気より食い気ですか。食事の誘惑に負けるわたしの身にもなってください」

「いや、すまん。そういうわけじゃ……」

「ふふ。ちょっと意地悪しただけです。わたしもお腹空きましたし、食事にしましょう。準備しますね?」


 トーチカがのそりとベッドから起きあがり、俺も続いて半身を起こす。

 そして、トーチカが俺の顔を見て破顔。


「あははっ。レイリス、寝癖ついてますよっ」


 ああ、もう! なんだその無防備な笑顔は! そんな笑顔、この四年間で初めて見るんだけど!?


「……そ、そういうトーチカも、髪がいつもよりぼさぼさだぞ」

「むむ? そこは見て見ぬふりをするのが紳士と言うものです」

「あいにく俺は紳士じゃねぇ。しがない剣士だ」

「ふん。じゃ、紳士じゃなくていいですから、これからはわたしのナイト様になってくださいね?」

「それは……まぁ、うん」

「もうちょっと気合いを入れてほしいものですが、今はいいでしょう。それじゃ、一緒に降りましょうか」

「おう」


 トーチカが手を引くので、大人しく従う。……家の中で手を繋ぐ必要はないと思うがね。口には出さないけど。気分は良いからな。

 一階に降りたら、トーチカが朝食兼昼食を作ってくれた。

 買い置きのパンと、そして、トーチカの氷魔法で保存されていた鶏肉を使用したスープ。定番の食事だな。

 定番だけれど、恋人たるトーチカの手料理だと思うと、普段食べているものより美味しく感じられた。恋人効果ってすごいね。……空腹のせいかもしれないが、それは考えないでおく。

 食事を終えたら、二人で今後の予定について話し合った。


「トーチカが旅をしたいっていうなら、俺、一緒に旅に出るよ」


 宣言すると、隣に座るトーチカが心配そうに見上げてきた。


「……わたしの希望を叶えてくれるのは嬉しいです。でも、レイリスは、もっと強くなって冒険者として活躍したいのではありませんか?

 旅をしてても冒険者は続けられますが、どこかに拠点を置き、なるべく多くのクエストをこなした方が、レイリスの望みは叶いますよ? 特に王都には難易度の高いクエスト情報も集まりますから、ここに残った方が……」

「ま、冒険者として大成するだけを考えるならそうなんだけどさ。

 でも、夜にトーチカが話してたろ? 世界には、俺たちの知らない、面白いものや綺麗なものがたくさん溢れてるって。トーチカがあんまり楽しそうに話すもんだからさ、俺もそういうのを見てみたくなったんだよ」

「……そうですか」

「冒険者として活躍するとか、上のランクを目指すこととかを諦めるつもりはない。それでも、目標を達成した先で俺は何をしたいんだろう? って昨日は考えちゃって……別に、その先なんてないなっていうのも気づいた。

 世界最強になっても、最高の冒険者になっても、なんとなく達成感があるだけで、別に世界で一番幸せな人間になれるわけでもない。

 それなら、ちょっと寄り道をしたっていいように思うんだ。

 正直言って、自分が本当は何をしたいのか、よくわからなくなった。だから、トーチカの夢に便乗させてもらって、世界を旅しながら、ちょっと考える時間が欲しいと思ってる。

 ……というのが、俺の今の考え。どうかな?」


 思えば、俺はド田舎の故郷を飛び出して、わけもわからず強くなることを目指していた。

 昨日までは、それでいいと思っていた。

 でも、今はその考えに疑問を抱くようになった。

 トーチカと過ごした夜は、あまりにも心地良かった。冒険者として成り上がりたいという気持ちを、一時でも忘れるくらいに。

 それに、ガーグさんとアーリアさんは、冒険者として大成すること以外で、心底幸せな笑顔を見せてくれた。この事実も、俺の心にかなり影響を与えた。

 ただ強くなるだけが俺の人生じゃないと、思ってしまったのだ。


「……レイリスの気持ち、わたしはわかりますよ。元からわたしは、強くなることだけを目標にはしていませんでしたからね。

 冒険者として成功することも幸せの一つ。でも、わたしはわたし個人としての幸せも求めています。

 ……愛する人と共に過ごすことも、わたしにとってはかけがえのない幸せの一つです。

 レイリスがわたしの夢に便乗してくださるなら、一緒に旅をしましょう。そして、まだ見たことのない美しいものや、面白いものを見て回りましょう。

 二人でいれば、この時間を過ごすために生まれてきたのだと思えるくらい、幸せになれる自信があります。少なくとも、わたしは」


 トーチカの柔らかな微笑みが眩しすぎる。直視を続けると赤面してしまいそうなので、とっさに視線を逸らしてしまった。


「……じゃあ、旅に出ることは決まりだ。いつからにする?」

「準備を整えたら、すぐにでも出発したいです。家を引き払ったり、旅の荷物を揃えたり、知り合いに挨拶をしたりするのを考えて……十日後を目処、というところでしょうか」

「ん。わかった」

「……ふふ。レイリスとの二人旅……。今から楽しみですっ」


 トーチカが腕を絡めつつ、体をすり寄せてくる。

 動作のいちいちが可愛くて、今まで女性として意識してこなかったのを心底不思議に思う。

 本人に告げるのは気恥ずかしいが、俺はすっかりトーチカの魅力に参ってしまっているようだ。

 トーチカとの二人旅……俺も、本当に楽しみだよ。

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