第21話 川上合戦(四) 意地

 川上の東、都渡城ととき原を落とされ、中央、大門南も苦戦中という、苦境に陥った神代勢。その中で本陣にいた勝利は、次男種長や将兵を救うべく、援軍を率いて大門南へと向かう。

 だが、龍造寺の速攻を前に、その判断は遅きに失していた。南と東から挟撃された大門南の神代勢は、もはや壊滅寸前にまで追い詰められていたのである。


 勝利は大きな決断を迫られた。

 僅かな望みに賭け、種長を救出しに大門南へ向かうか。

 それとも、今なら確実に救える嫡男長良の元、宮原口に向かうか。


 引き連れてきた将兵が固唾かたずを飲んで見守る中、やがて彼はその向かうべき所を口にする──



※ ※ ※ 



 それから、しばらく後の宮原口。

 隆信本隊としのぎを削っていた長良は、味方を鼓舞するべく出撃し、乱戦の中に身を投じていた。


 川上一帯における戦の形勢は、龍造寺優位に傾いていたものの、ここ宮原口だけは、一進一退の攻防が未だに続いていた。

 勿論、都渡城原が落とされた事は、そこにいた神代将兵達も周知の事実である。  

 だが、悲報に動じることなく、彼らは勝利の采配を信じて奮戦を続けていたのだった。


「うん、何奴?」


 そんな中、舞う土埃に目を細めながら、長良は前方を窺っていた。

 数人の騎馬隊がここへ向かってくる姿を捕えたのである。

 彼等は乱戦の中をものともせず、ただひたすら駆け抜けてゆく。それは、己の危険を省みず、愚直に長良の首だけを狙っている様に見受けられた。


「これ、長良様をお守り致すぞ!」


 家臣一人の下知に、その郎党達が応え、長良の元に集まって壁を作る。

 そして、長良自身も太刀を構えると、固唾を飲んで様子を窺った。


 ところが、騎馬隊は長良の手前まで近づくと、徐々に馬の速度を落とし、やがて携えていた槍を下ろしてしまった。

 神代将兵達は思わず訝しむ。あれはもしかして味方ではないのかと。

 すると、騎馬隊の中心にいた、立派な具足を身に着けた武者が、声を大にして呼び掛けてくる。


「長良、長良はおるか!」

「伯父上……⁉」


 騎馬隊を率いていたのは、勝利の異母兄、福島周防守利元だった。

 すぐに長良は手を上げ返事をする。それを見て、利元は安堵の表情を見せると、馬を近づけてゆく。


 対して、迎える長良は、変わらずじっと身構えたまま。

 これまで利元は、龍造寺旗本衆に包囲された石見守を救うなど、主に前線に出向いていた。その彼がわざわざ長良の元まで戻ってきたのだ。良からぬ報せを携えてきたのだろう。そう長良は察していたのである。


「逃亡してきた大門南の兵達から聞いた。種長が──」

「…………」

「御手洗橋にて見事な最期を遂げたそうだ」

「左様でございましたか……」


「無念だが、戦の趨勢はもはや決まった。そなたは今すぐここから退け」

「趨勢が、決まった……?」

「そうであろう。南から隆信本隊、東から都渡城、大門南の兵達に挟撃されてしまえば、我が軍の瓦解は避けられまい。そうなる前に──」


「父上は如何なされました?」

「うん?」

「父上と本陣の兵、千二百はまだ健在にございます! ここで我らが踏ん張れば、今一度逆転の芽も出て参りましょう!」


「判断を誤ってはならん! 今なら退路は確保できておる。勝利が援軍に来ても、龍造寺の勢いに飲み込まれてしまうだけだ!」

「伯父上の御心配、心に留めますが、この宮原口を任されたのはそれがしにござる! 向かうべき所はそれがしが判断させて頂く!」

「長良、そなた……!」


 苛立つ長良は、そこで一方的に話を打ち切ると馬を返す。

 そして、居合わせた将兵達に向け太刀を掲げると、高らかに下知するのだった。


「皆の者聞いたか! 東からも龍造寺の兵が押し寄せて来るそうだ! わしは今より駆逐に向かう! 我こそはと思う者はついて参れ!」

「長良!」


 利元の諫める声にはっきりとした怒気が籠る。

 それを長良は聞き流すと、響き渡る陣太鼓の中、将兵を引き連れ駆け出してゆく。 

 その顔つきは、普段の穏やかさを失い、鬼気迫るもの。

 もしかすると、長良は討死覚悟で赴くつもりではないか。

 彼の心中を察した利元は、後を慌てて追い掛けてゆく。種長、周利亡き今、神代家の次代は長良の双肩に掛かっており、討ち取られる訳にはいかなかったのだ。


 

※ ※ ※ 



 そして、半刻も経たないうちに、宮原口にいた神代将兵達は、利元の諫言が正しかったことを思い知っていた。


(しまった……)


 龍造寺勢は不意を突くつもりで押し寄せて来るはず。

 ならば迎撃するより、出向いて反攻し、思惑を粉砕してやろう。それが長良の判断だった。


 ところが、思惑が打ち砕かれたのは長良の方だった。

 秋風に吹かれ、舞い上がる土埃の向こうに、想定より早く、自軍を圧倒する数の龍造寺勢と出くわしてしまったのである。 


「まだだ、このまま潰されてたまるかっ!」


 長良の焦燥が、瞬く間に空へと吸い込まれてゆく。

 すぐに家臣達に命じて、引き連れてきた兵達に迎撃の体制を敷かせようとするが、到底間に合いそうもない。

 そもそも龍造寺勢の速さは、経験豊富な勝利ですら読み誤るほどなのだ。長良が正しく推し測れるはずがなかった。

 

 だが、それでも退こうとしない。

 彼の厳つい表情は物語っていた。すでに味方将兵に宣言したのだ。ここで戦うと。

 敵を眼前に迎えた今になって、刃を交えないまま退くなど、己の面子が許さないと。


「来るぞ、構えよ!」


 龍造寺前線から、矢をつがえようとする兵達と、鉄砲を構える兵達の姿が長良の目に止まる。それを受けて、長良も弓兵を前に送り出し、番える様命じた。

 両勢による矢合わせ。だが、威勢の差は歴然だった。

 飛翔した数十の神代勢の矢を掻き消すかの様に、空にはその数倍に達した龍造寺勢の矢の雨が降り注ぐ。


 加えて響き渡る無数の轟音。その中の一撃が長良の命を狙っていた。


「がはぁっ……!」

「び、備後殿!」


 狙撃を受け、馬上よりもんどり打って倒れゆく神代備後守。

 その背後にいた長良は、彼の体を支えようと、思わず救いの手を伸ばしていた。彼は長良の盾となって斃れたのだ。


「備後殿、備後殿、しっかりなされよ!」


 長良は馬から降り駆け寄ると、備後守の上半身を抱え、懸命に呼びかける。

 だが即死であった。喉元の鎧の継ぎ目に銃弾を喰らい、それが貫通してしまっていたのだ。


「おのれ、おのれぇ……!」


 備後を両手で介抱しながら、長良は龍造寺勢を睨みつける。

 しかし、その顔は青ざめ、憤りと憂いの表情が入り混じった、複雑なものと化していた。

 

 交戦直前に先陣を任せられる程の器量を持つ将が、呆気なく討死してしまうとは、想定外としか言い様がない。

 もしかして自分も同様に、呆気なく討ち取られてしまうのか。

 死の恐怖が長良の戦意をしぼませてゆく。いや、長良だけではなく、その場にいた神代勢将兵全員、同様の思いを抱かざるを得なかった。


「退くな、退くな! ここが死地と心得よ!」


 それでも、両勢がぶつかると、長良は奮起し味方を叱咤してゆく。

 退かねばならない。理性はそう訴えていたのだが、口を衝いて出た言葉は裏腹。意地だけが彼をこの場に止まらせ、刃を振るわせる。


 対して龍造寺の攻勢は容赦がなかった。

 都渡城原の軍勢に、大門南を制圧した納富信景の軍勢も合流し、大きなうねりと化した彼らは、まるで小舟を飲み込もうとする大波の如し。長良の軍勢をあっという間に包囲していったのだ。



※ ※ ※ 



 ところが、そこへ一人の将が、長良の窮地を救いに駆けつけてきた。

 

「おおっ!」


 長良は思わず声を上げ刮目していた。

 僅か数十の小勢が、背後から長良を追い抜くと、敵に斬り込んでゆく。

 そして周囲にいた敵兵を掃討すると、守りを固めるべく敵の前に立ちはだかったのだ。


 己の武功に走った挙動ではない。それは、誰かがはっきりと命を下さないと出来ないことだ。

 では、誰が率いているのか。長良は咄嗟に後方を振り向く。

 すると、そこに駆け寄って来る将を見つけ、彼は思わず声を弾ませていた。


「石見ではないか! そなた無事であったか⁉」

「はぐれてしまい申し訳ございませぬ。さあ、早くお立ち退きを! この石見が御供つかまつる!」

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