第20話 川上合戦(三) 葛藤
乱戦の中、突如斬り込んできた一隊。
しかし、それは周利(勝利三男)刺殺に向けての合図であった。
隆信は戦前に神代勢の一部を調略し、戦場での裏切りを約束させていたのである。
裏切り者達は合図を見て動き出す。
後詰が動けば、神代勢は陣周辺に待機させている将兵を、前線に送らざるを得ない。すると周利の周囲は手薄になるはず。その推測を頼りに、彼らは束の間の隙を突いて周利を葬ってしまったのだ。
※ ※ ※
周利刺殺。
突然本陣にもたらされた悲報に、勝利や家臣達は耳を疑った。
総じて優勢である中で、その様な兆候は何一つ窺えなかったのだ。俄かに信じられなくても無理はないだろう。
しかし続報が彼等を青ざめさせていった。
混乱の極致に達した都渡城原の軍勢は、統制を失い壊滅してしまったこと。
山内豪族の一つ、廣瀬氏の当主である三河守が討死したこと。
やがて、現実を受け入れられる様になった家臣達は、次々に非難を口にするのだった。
「何たること! 全ては龍造寺の目論見通りだったのか!」
「姑息な仕打ちじゃ! これでは死んでいった将兵が浮かばれますまい」
「それにしても崩れるのが早過ぎる! やはり都渡城原は新参者たちの寄せ集め。期待してはならんかったのだ!」
失態が起これば、原因と犯人探しをしたくなるのが人と言うもの。家臣達は各々が思うがまま憤る。
そして、その目は勝利から背いていた。主君のいる手前、遠慮が働いていたものの、彼等の思いは一様だったのだ。この事態を招いたのは、まず周利の落ち度ではないかと。
武士の心掛けは常在戦場である。平時から、いつ敵に襲われても対応出来る様、臨戦態勢を意識した作法を、幼少時から叩き込まれている。
より危険な戦時において、しかも一方面を預かる将ならば、なおさら慎重にならねばならない。この事態は防げたはずなのだ。怠慢だと非難されても仕方ないだろう。
勝利も床几に座ったまま、俯いて歯ぎしりするしかない。
亡くなった我が子に対する親としての情愛。
そして、周利を一方面の大将として任命してしまった、己の差配に対する後悔。
それらの想いが入り混じるが、すでに後の祭り。今は一刻も早く、崩れ始めた軍勢を立て直す他なかった。
「馬を引いて参れ! 今より我らは援護に向かう!」
「ははっ!」
即断だった。
おそらく都渡城原を抑えた龍造寺勢は、この後大門南を狙うはず。
勝利はそう推し測り、大門南の守りを固めるべく、兵千二百を率い本陣を後にする。
本陣を置いていたのは、山内を下ってすぐの所にある、
傍には山内から佐嘉へと通じる街道。そして道の両脇には、神社関係者の屋敷や、民家が点在していた。その中を勝利と将兵達は足早に進んでゆく。
すると道中に、小さな旗指物を背にした早馬が、大門南の方向から駆け寄ってきた。
「御注進! 御注進!」
使者の表情はただただ暗く、固かった。
そして乱戦の中を潜り抜けてきたことを物語る様に、具足のあちこちが返り血と土埃にまみれている。
そして背中の旗指物が折れ曲がっていた。僅かな者しか背負う事が出来ない、御家の家紋が印された名誉ある物だ。それを傷つけられたまま、主の前に
「申し上げます! 我らの軍勢苦戦中! これ以上は持ち堪えられそうもないゆえ、ぜひ御加勢賜りたいと、種長様(勝利次男)の御言葉にございます!」
「持ち堪えられそうにない⁉ どういう事だ?」
「東から押し寄せて来た龍造寺勢は、すでに我らの陣近く、御手洗橋にまで迫っております!」
「何だと!」
苦々しい表情が、使者から勝利主従へと伝染してゆく。
そして静まり返っていた。雲高い秋晴れの空の下、長閑に草木が騒めいていたものの、それは彼らの耳に残らない。一瞬の静寂は、まるで時が止まったかの様に感じられていた。
勝利は手綱を握り締めたまま、拳を震わせていた。
都渡城原の龍造寺勢は、激戦を終えたばかりで、すぐに大門南には向かえない。今援軍に向かえば間に合うはずだと、彼は踏んでいたのだ。
だが、龍造寺勢の速さは、勝利の想定を上回っていた。
大門南に向かう途中にある嘉瀬川を、彼らは躊躇なく渡ると、都渡城原を落とした勢いそのままに押し寄せる。
異変に気付き、立ちはだかる兵もいただろうが、多勢に無勢。防ぎきれるはずがなかった。
周利を刺殺し、都渡城原を落としたら、間髪入れず大門南に向かえ。
都渡城原の龍造寺勢は、おそらく戦前に隆信から指示されていたはずだ。でないと、ここまで迅速に、周到に動ける訳がない。
「殿⁉」
「…………」
「如何なされました、殿⁉ 早く救援に向かいましょうぞ!」
「間に合わぬ」
「えっ?」
「もはや間に合うまい……」
背後より進み出た一人の家臣が、馬上から催促する。
それに対し、勝利は唇を噛んで項垂れたまま、力なく呟いてしまっていた。
東と南から挟撃されている今、大門南の壊滅はもはや時間の問題。種長や重臣達も無事退却できるか分からない。
それでもなお一縷の望みに賭け、駆けつける事も出来るが、その場合、勝利自身も龍造寺の勢いに飲み込まれてしまう危険があった。
「申し上げます! 馬場四郎左衛門様、御手洗橋にて御討死!」
都合の悪い事に、そこへもたらされる悲報。
四郎左衛門は、孤児であったところを勝利が助けて養育し、近習として重用していた者である。
いずれは長良を支える重臣の一人となるだろう。その器量を見込んで養育していたのだ。焦りと落胆が入り混じり、勝利の表情は一層暗くなってゆく。
だが、感傷に浸っている余裕は無い。
将兵達は、すでに御手洗橋を遠目で確認できる所まで迫っていた。
そこには、未だに居残って奮戦を続ける神代将兵が、懸命に堪えている様子が窺えた。
そして複数の馬印も。おそらく種長もあそこに加わり、自ら敵に当たっているのだろう。しかし劣勢は誰の目にも明らかだった。
「では、如何なさるのすか? 宮原口に向かうおつもりですか?」
「それは……」
「殿の救援を頼りに、種長様はあそこでまだ踏ん張っておられるのですぞ!」
「分かっておる」
「分かっていて、なお見殺しになさるのですか⁉」
「やかましい‼」
詰め寄る家臣の声に苛立ち、勝利は思わず一喝していた。
頭ではすでに答えが出ていたのだ。我らが向かうべきは宮原口だと。
宮原口には、石見守や長良の他に、福島周防守利元(異母兄)、神代備後守など、家中で重きを成す者達が未だ健在である。
大門南を制圧した後には、龍造寺勢は続けてそこを襲うだろう。
敗北は必至だ。だが、今から救援に向かえば、退路を確保出来る。彼らを救って、死傷兵も軽微で済むだろう。
だが、その下知が出来ない。
彼は目の当たりにしてしまった。長年苦楽を共にしてきた者達が、御手洗橋にて次々に散華してゆく様を。
己は誰のための盟主なのか。誰の支えがあって、幾多の苦難を乗り越えてきたのか。盟主としての存在意義を、改めて問わずにはいられなかった。
僅かな望みに賭け、種長を救出しに大門南へ向かうか。
それとも、今なら確実に救える嫡男長良の元、宮原口に向かうか。
戦が大詰めを迎える中、勝利は大きな選択を迫られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます