第19話 川上合戦(二) 急変
兵
その手薄な状況を突いた石見守は、猛然と隆信の首に迫ってゆく。
だが、隆信の姿がくっきり見えてきた途端、彼の体には戦慄が走っていた。
用心深く、策謀を好む隆信が、手招きして
※ ※ ※
(まさか、我々はすでに隆信の術中に──!)
石見守は馬上にて思わず手綱を引いていた。
これは罠ではないのか。
別動隊を回り込ませ、我らの挟撃を狙っているとか。
はたまた、陣のどこかに矢鉄砲が潜んでいて、狙撃を狙っているとか。
敵を切り崩してきた高揚感は霧散し、疑心が膨らんでゆく。
しかし、彼はかぶりを振った。虎穴に入らずんば虎子を得ず。敵大将を目の前にして、討ち取りに向かわない訳にはいかないと。
彼は己を叱咤するべく、腹の据わった雄叫びを上げると、再び陣に迫ろうとする。
そして、その警戒が的中した事を知るのだった。
「おおっ!」
突如東から飛来した一矢が、石見守の兜を掠める。
驚いて彼が振り向くと、そこには鬨の声を上げ迫って来る軍勢の姿があった。
取るに足らない小勢である。だが、横を突いたその斬り込みは、本陣へ深入りしていた神代勢を崩すには、威力充分だった。
「おのれ、あと一歩のところを!」
石見守の表情がたちまち強張ってゆく。
彼は馬首を返し、斬り込んできた者達の応戦に向かうものの、押され次第に本陣から遠ざかっていった。
さらに援軍到来を知った本陣の龍造寺兵も、息を吹き返し反転、攻勢へ。
挟撃された状況は石見守に促していた。このまま本陣近くに留まり続ければ、いずれ討ち取られてしまうぞと。
「やむを得ん! 皆の者、離脱するぞ!」
時代を問わず、歴戦の将の判断は素早いもの。
石見守は辛くも本陣周辺から脱出すると、後続の神代勢と合流するべく、やって来た道を引き返していった。
駆けつけた援軍は、大門南で交戦中の納富信景からのものだった。
本陣が危機に陥る様なら、一隊を割いて神代勢の横を突け。
戦前に隆信は、万が一に備え、信景にそう命じていたのである。
※ ※ ※
それから半刻後──
石見守の姿は、宮原口の西にある、小さな雑木林の中にあった。
「はあ、はあ……」
「殿、ゆっくり下ろしますぞ」
従っていた者達の多くと離散してしまい、その時、石見守の傍にいたのは家臣二人のみ。彼等に肩を預けていた石見守は、背丈の高い草むらの中に、身を伏せる様に腰を下ろしていた。
敵先陣から本陣まで切り崩し、別動隊とも激しく火花を散らした結果、すでに彼の体は悲鳴を上げていた。
蓄積された疲労ばかりではなく、肩と太腿の裏に槍一突きを喰らってしまい、すでに満足な武働きは出来なくなっていたのだ。
そんな中、訪れた僅かな憩いの時。
ようやく呼吸を整える事が出来た彼は、己の姿に気付いて自虐を口にする。
「無様な戦をしたものだ。見よ、動きが鈍くなったゆえ、具足のあちこちが傷だらけだ。年は取りたくないものよ」
「気になされますな。あの乱戦の中、無事逃れられたのは、殿の早急な御判断の賜物。年の功に他なりますまい」
「気遣いなどいらん。そもそも手薄な本陣を目の当たりにした時点で、突入を思い止まらねばならなかったのだ。わしもまだまだ未熟と言うことよ」
「なんのなんの、戦はまだ半ばにございます。龍造寺もこれ以上、援軍を回す余裕はございますまい。もう一度、奴らに一泡吹かせに参りましょうぞ!」
家臣の一人は水の入った竹筒を取り出すと、激励の言葉と共に石見守に手渡す。
それを受け取って飲み干した石見守の顔には、再び気力が漲っていた。
「そうだな。そなたの申すとおり、龍造寺には援軍を回す余裕など、もう──」
「…………殿?」
「…………」
「如何なされました、殿⁉」
尋ねた家臣の一人は首を傾げ、きょとんとしている。
眼前の石見守が呟いていた最中、俯き小さく口を開けたまま、固まってしまったのだ。
それまで彼は、大粒の汗を流し、激しく息を切らしていた。もしかすると、何か身体に異変が生じたのではないのか。案じた家来は、彼の顔を正面から覗き込む。
すると、石見守は顔を上げ、家臣を直視するとぽつりと呟いた。
「後詰は?」
「はっ?」
「敵の後詰だ。確か物見の報告では、本陣近くには数百の後詰が控えていたはずだ。本陣陥落の危機を近くで見ていながら、そやつらは一体何をしていたのだ?」
「た、確かに」
「まさか……!」
石見守は、龍造寺本陣の方向をキッと睨んでいた。
膨らんでいく疑惑。隆信は意図的に本陣を手薄にしたのではないかと。
その推測が正しければ、隆信は後詰を動かし、どこかで奇襲を虎視眈々と狙っているに違いない。
「こうしてはおられん!」
「お待ちくだされ、殿、殿ぉ!」
不安を覚えた石見守は、傷の痛みをいつの間にか忘れていた。
よろめきながらも立ち上がると、木に繋がれた愛馬の方へ、足を引きずりながら歩き出す。
心配して追いかける家臣達も何のその。彼はそのまま馬に跨ると、宮原口の後方で指揮を執る、長良の元へと駆け出すのだった。
※ ※ ※
一方、戦の激しさは、戦場の東、
他と同様に、神代勢がじりじりと押しつつ、龍造寺が堪える展開で膠着していたのである。
しかし、ここは宮原口や大門南とは異なる事情を抱えていた。
嘉瀬川を挟んでいた上、両勢の主力がぶつかっていた宮原口とは、最も遠いところに位置する。重要度は低かった。
そのため、両勢将兵の編成も、他とはやや格落ちと言わざるを得なかった。
龍造寺の場合、率いる将は隆信長信の弟で、まだ若輩の信周。
そして隆信の義兄(妻の兄)鑑兼。龍造寺家中で御家騒動が起きた際、反隆信派の旗頭として担がれた人物である。結果、赦されたものの、政権の中枢からはすでに外れた立場にあった。
また神代勢を預かる将も、勝利三男で若輩の周利。
加えて、龍造寺と戦って敗れ、勝利を頼り落ち延びてきた
そんな中にあって、周利の陣に早馬が駆け込んで来た。
「報告! 突如龍造寺の一隊が前線に斬り込んで来て、味方を押し返しつつあります!」
「何?」
「どうやら敵の後詰の模様! 前線は浮足立っております!」
「小癪な、よし分かった。わし自ら討って出てやる!」
目を見開き、敵意をむき出しにした周利は、すぐに床几から立ち上がる。
そして近臣に馬を引く様命じたが、その前に立ちはだかった者がいた。八戸宗暘である。
「いや、お待ちあれ。こたびは
「ううむ、しかしだな──」
「幸いにも、ここには西川伊予守殿も控えておりますれば、共に参ると致しましょう。良いであろう、西川殿?」
そう告げた宗暘は、向かいに座っている西川伊予守に視線を送る。
西川伊予守とは、山内の豪族の一つで、
だが、心積もりが全く出来ていない中での勧誘に、彼の顔はたちまち強張ってゆく。そして口を尖らせるのだった。
「八戸殿はおかしなことを仰せられる。それがしの手勢は、すでに乱戦の中にござる」
「兵ではない。貴殿に申しておるのだ。すでに山内の将の殆どが、戦場にその身を投じておる。貴殿のみがここに座っておる訳にはいくまい」
「結構にござる。それがしは我が手勢の要ゆえ、みだりに動くつもりはござらん」
「ふん、そう偽りを申されるな。貴殿の顔にははっきりと書いてあるぞ。怖気づいてとても戦えぬとな」
「ぶ、無礼な! ならばそれがしの戦ぶり、しかとご覧になるがよい!」
顔を紅潮させた伊予守はすっと立ちあがり、宗暘より先に陣を後にする。
その様子を見た宗暘もほくそ笑むと、周利に軽く一礼して、後を追っていった。
周利はその意気を買って、止めようとしなかった。
と言うより、止められなかった。一翼を担う軍を指揮をした経験に乏しく、外様で年長の宗暘に対し、遠慮が働いてしまったのだ。
こうして、都渡城原の神代陣は静けさを取り戻していった。
陣周辺は
そのため、空高い秋晴れの下にいれば、聞こえてくるのは睦まじい鳥たちの
一つ違うのは今が戦時だということ。
だが、それを思わせる物音も、遠方から僅かに聞こえて来る喊声だけ。
周利とその近くで侍っていた者達は、とにかく暇を持て余していた。もし、その中に無関係の者が混じっていたら、緊張の糸はとっくに切れ、居眠りを始めていてもおかしくは無いだろう。
そう、おかしくは無いのだ。
おかしい事など起こるはずが無いのだ。
昼下がりに突如、陣幕が切り裂かれる事など。
その裂き目から、続々と兵達が忍び入る事など。
そして不審に気付き、警備に向かった兵が斬り倒される事など。
周利の頭の中には、そんな危急に対する警戒が、おかしい程に無かったのだ。
「貴様ら、そこで何をしておる⁉」
陣が手薄になった束の間、事は起こった。
周利の大喝。やや間があって、剣戟が交わる音が複数陣中に響き渡ってゆく。
その中に突如混じる雄叫びと怒号。遅れて悲鳴や呻き声が、喧騒の苛烈さを引き立ててゆく。
だが、喧騒はすぐに収束していった。
替わって聞こえてきたのは、切り裂かれた陣幕と倒された旗指物が、秋風に煽られて翻り、小さく立てる音ばかり。
それらの音は語らない。喧騒が戦の転換点であったことを。
そして、この些事を防げていたら、神代の隆盛が訪れていたはずと言うことを。
陣の外では相変わらず木々が穏やかに騒めいている。その長閑さと相まって、人の気配が消えた陣とその周辺は、寂寥感で満ちてゆくのだった。
※ ※ ※
一方、戦場の中央、大門南。
ここの神代勢に加わっていた、勝利近習の馬場四郎左衛門は奮戦を続けていた。
未だ若輩とは言え、勝利に対し、人一倍篤い忠義心を持っている彼は、先頭に立って、懸命に龍造寺勢の構えを斬り崩そうと試みる。
しかし、この方面の龍造寺の将、納富信景の指揮もあって、地の利を有していながらも、神代勢は一進一退を繰り返すに留まっていた。
そんな中にあって、四郎左衛門を呼び止める声が、東から響き渡って来る。
「四郎──門、────ろ!」
「うん……?」
「四郎左衛門、──げろ、敵しゅ……」
叫び声につられて振り向いた四郎左衛門は、思わず目を見開いていた。
眼前にいたのは、同僚、都渡城原で戦っていた勝利近習の一人である。
だが彼は、叫んでいた途中に突如吐血すると、馬上からもんどりうって落ちてしまったのだ。
「い、如何したのだ⁉ しっかりせい!」
四郎左衛門は慌てて下馬すると、駆け寄ってゆく。
そして抱きかかえてみると、彼の籠手は真っ赤に染まっていた。近臣の背には二本の矢が刺さっていたのだ。
「た、種長様に伝え……ひ、がしから」
「東⁉ 東がどうしたのだ!」
「あ、あそこ……を……」
そう口にしたのが最期、東を指差した近臣の手は地に落ちていた。
動揺した四郎左衛門は顔を上げる。すると、視線の先には日足十二紋が描かれた無数の旗指物。嘉瀬川を渡り、怒涛の如く押し寄せる龍造寺勢の姿があったのだ。
(そんな馬鹿な……!)
四郎左衛門の表情はみるみる青ざめてゆく。
都渡城原には未だ神代勢が健在であり、龍造寺勢が攻めてくる余裕はないはず。
しかし、眼前の光景はその想定を打ち砕いていた。龍造寺勢は数百に止まらない。そして、都渡城原の神代陣があった所からも、続々と押し寄せて来る。
それはつまり──
(いかん、至急本陣に向かわないと!)
事態を悟った彼はすぐに決断した。
ここは奴らに立ちはだかるよりも、いち早く現状を勝利に告げるべきだと。
彼は放置する心苦しさを押し殺し、近習の遺体をその場に残すと、再び愛馬に跨り駆け出そうとする。
だが無情にも、彼が勝利の元に赴く事は叶わなかった。
「敵将がいたぞ! 遠矢にて仕留めよ!」
狙いすました龍造寺兵の矢。それを頬に受けた彼は、あえなく落馬し、以後起き上がる事は無かったのだ。
「と、殿……お退きを…… この方面は、もう……」
四郎左衛門の懇願は勝利には届かない。
替わりに響き渡ったのは、触れ散らす龍造寺兵の
それは大門南における神代勢の、絶望の始まりを告げていた。
「神代周利は刺殺した! 都渡城原はすでに龍造寺の手に落ちたぞ!」
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