第18話 川上合戦(一) 石見躍動
それは、若い頃誓い合った大望を果たすため。
片や父祖や家臣達の仇を取り、苦渋を飲まされた恨みを晴らすため。
龍造寺、神代両勢は、長年の抗争に決着をつけるべく、佐嘉郡の北に広がる扇状地、川上にて対峙していた。
まず、総勢八千に及ぶ龍造寺勢が川上の南へと着陣。
これを隆信は三つの隊に分けた。
戦場の西、宮原口には、隆信率いる本隊三千五百。
先陣は広橋一遊軒、二陣に福地信重、三陣は旗本、本陣を挟んで後詰は長信である。
中央、大門南(
そして南北に流れる嘉瀬川(川上川)を挟んで、東側、
これに対し、神代勢は龍造寺に向かい合う様に、川上の北に着陣。
宮原口には、嫡男、神代長良率いる三千。
先陣は江原石見守と神代備後守の二人。他に福島周防守(勝利異母兄)、福島豊前守(周防守の子)など。
大門南には勝利次男、種長率いる一千三百。
他に松瀬能登守(重臣)、
都渡城原には勝利三男、周利率いる一千五百。
他に
そして勝利自身は、一千二百の兵を率い、息子達より奥地にある、
※ ※ ※
「放て!」
永禄四年(1561)九月十三日、辰の刻(午前八時ごろ)。
東肥前の命運を賭けた、龍造寺、神代の一大会戦は、宮原口、神代長良勢の矢鉄砲から始まった。
対して、龍造寺先陣の広橋一遊軒も、矢鉄砲で負けじと応戦する。
そして両勢は押し出すと、激しいぶつかり合いへ。
やがて大門南や都渡城原においても、戦が始まったため、川上一帯は両勢の兵で埋め尽くされていった。
(あれは、確か……)
そんな中、宮原口にて先陣を務めていた石見守は、目を凝らしていた。
立派な鎧兜を身に着けた敵の騎馬武者が、数十の兵を従えて迫り来る姿を見つけたのだ。
騎馬武者は神代兵を目の当たりにした途端、突っかかってゆく。
右に雑兵の一団を見れば、早駆けにて崩しに掛かり、左に将たる者を見かけたら、雑兵を捨てて討ち掛かろうとする。
徒歩で従っている彼の側近や兵達は、たまったものではない。ついてゆくのがやっとの様子は、石見守の目にも同情を誘うほど哀れに映っていた。
間違いない。敵先陣を務めているのは広橋一遊軒だ。
かつて筑紫討伐の際に見聞きした話を思い出し、石見守は確信した。
そして悟る。これ程楽な相手はないと。
彼は馬首を返し、先陣を務めていたもう一人の将、神代備後守の元に向かうと、近づいて声を掛けた。
「備後殿、敵先陣の将は猪にござる」
「猪?」
「
石見守はニヤリとしてみせる。
余程自信があるのだろう。そう察した備後守は彼の誘いに乗ると、言われたとおり先陣の兵を幾らか残し、その場に待機させた。
やがて、戦塵の中から視認できるほど、一遊軒がこちらに距離を詰めて来る。
すると備後守は矢を
「ぬうっ、何奴!」
一矢が兜をかすめてゆく。
目を丸くし、思わず叫ぶ一遊軒。そして放たれた方向を睨むと、そこには神代備後守が嘲笑っていた。
「ちっ、運の良い奴め!」
備後守は一遊軒に聞こえる様にそう叫ぶと、再び矢を番えて放つ。
それが一遊軒に弾かれたのを見て、彼は手招きをしてみせた。
たったこれだけ、安い挑発である。しかし効果はてき面だった。
「一軍の将が不意打ちとは姑息な! その首、置いていけ!」
怒り心頭の一遊軒は、たちまち馬を走らせ襲い掛かる。
あまりに急な事で、従う兵はたちまち離され、付き従えたのは彼の側近数名のみ。これこそ石見守が狙っていた展開だった。
「獲物が来たぞ、仕留めよ!」
響き渡る石見守の下知。
そして後退してくる備後守と入れ替わり、待機していた兵達はどっと押し出すと、一遊軒を包囲しに掛かった。
その意図に一遊軒は気付くが、すでに時遅し。逃れようと懸命に槍を振るうものの、退路を塞がれてしまう。
「殿、殿はどこにおられる⁉」
龍造寺先陣の兵達に、次第に動揺が広がってゆく。
もしかして戦死してしまったのではないか。一遊軒の姿を見失った彼らは、そう憶測を抱き始めた。
統率する者を失った軍は脆いもの。遮二無二攻め寄せる神代勢にあっという間に崩され、二陣への突破を許してしまうのだった。
「どうじゃ、石見、上手くいったであろう!」
してやったりの備後守。
誇らし気に笑みを浮かべた彼は、声を弾ませ石見守と出会った所まで戻って来た。
後は勢いに乗り、共に斬り込んでゆこうではないか。
そう彼は誘おうとしたのだが、当てが外れた。石見守の姿は、すでにそこには無かったのだ。
※ ※ ※
一方、龍造寺の本陣。
味方先陣が崩れた事は、早くも隆信の耳に届いていた。
(やはり、まだ一遊軒には重荷だったのか……)
隆信は言葉を失い唇を噛むしかない。
一遊軒を抜擢したのは自分自身。反対する家臣達がいる中での抜擢であり、その責を痛感せざるを得なかったのだ。
だが戦は続いている。頭をすぐに切り替えなければならない。
「そなた、二陣の(福地)信重の元に向かえ! 先陣の敗は二陣の不覚! しかと形勢を立て直して参れとな!」
隆信は陣中にいた
だが、使番が去ると、入れ替わる様に早馬の使者が中へと入って来る。
そして、もたらされた悲報に、隆信はまた言葉を失ったのだった。
「報告! 神代勢の攻勢止まらず! 我ら二陣も突破され、ここに迫りつつあります!」
※ ※ ※
ただひたすら前へ──
石見守と彼が率いる先陣将兵達は、すでに龍造寺三陣、旗本衆と激突していた。
「者共気張れ! ここを突破すれば敵本陣だぞ!」
石見守は息を切らしながらも、声を張り上げ懸命に叱咤する。
龍造寺がどんな小細工を弄しようとも、隆信を討ち取ってしまえば終わり。
討ち漏らしたとしても、ここ宮原口を制圧してしまえば、他の大門南や都渡城原は崩れるしかないのだ。
しかし──
(流石に勢いだけでは押し込めぬか……!)
石見守の表情に焦りの色が浮かんでゆく。
ここまで一気呵成に突破してきたものの、旗本衆は別格だった。家中の名だたる武士達で構成されたその一隊は、本陣に近づけさせまいと、石見守達の前に俄然と立ちはだかったのだ。
「ぐっ……」
「と、殿!」
「構うな、かすり傷だ! 各々突破に注力せい!」
腕を振り上げた、ほんの一瞬のこと。
石見守は右肩近くに出来た、甲冑の僅かな隙間に、槍一突きを喰らっていた。
思わず漏れる苦悶の声。だが彼は、案じて駆け寄って来ようとする兵達を声を荒げて制止した。
かすり傷とは咄嗟に口走った嘘である。
敵を甘く見積もり、突出し過ぎたため、彼と共に斬り込んでいた者達は、次々に討たれていた。傷を気にする余裕が無くなっていたのだ。
経験の乏しい青二才ならいざ知らず、四十の坂を越えた者が、功を焦るとは不覚も良いところ。石見守は内心で自虐的に省みるが、すでに時遅し。
今はただただ踏ん張るしかない。でないと、一転して押し返されてしまうかもしれないのだ。
「殿、武藤左近将監様が討たれました! ここはもはや死地にござる! お退き下され!」
「黙れ!」
側近の制止に思わず一喝。
右腕はもはや満足に動かせない。傷の
だが、彼は一向に退こうとはしない。信じていたのだ、己の武と兵達の力量を。
それこそが、勝利と己の大望を果たす唯一の道であると。
──そんな彼を天は見捨てなかった。
「攻めよ、攻めよ! 龍造寺に態勢を立て直させるな!」
突如、石見守の背後から聞こえてきた大音声。
続いて、一隊がどっと旗本衆に斬り込んでゆく。
何が起こったのか。石見守はそれを唖然として見ていた。
石見守を包囲しつつあった敵旗本衆が、あっという間に崩れ、算を乱し逃げ出して行く。先程までの苦戦は幻であったかの様に、その場は鎮圧されていったのだ。
「石見、大事ないか!」
「利元様!」
「ここは我らに任せて、早う退け!」
石見守に促したのは、勝利の異母兄、福島周防守利元だった。
幼い頃から目を悪くしていたため、当主の座を弟の勝利に譲り、母方の姓を名乗っていたものの、家中に重きをなした人物である。
彼が率いていた一隊は、神代勢の二陣以降の将兵達。先行していた石見守に追いついてきたのだ。
それは神代勢の中でも、一族や側近達で固められた、精強で忠義心の強い一隊だった。勝利はこの宮原口を重視し、その編成を手厚くしていたのである。
※ ※ ※
形勢は再び優位へ。
神代勢は崩れた龍造寺勢を追い撃ち、本陣へと向かってゆく。
その中で石見守は、生き残っていた己の側近や郎党と合流を果たすと、再び下知するのだった。
「よし、今より我らも敵本陣へ向かう! 雑魚に構うな、狙うは隆信の首ただ一つ!」
無論、彼は認識していた。
檄を飛ばすべく、隆信の首を狙うと口にしたが、実際はそう容易いものではない。
龍造寺にはまだ数百の後詰が控えている上、直属の精鋭である馬廻りの者達も本陣を固めているはず。弓矢や鉄砲を構え、狙撃してくる者もいるだろう。
さらにその身に危険が迫れば、隆信はさっさと本陣から離脱してしまうかもしれない。戦場で大将が討たれてしまうというのは、本来稀な事なのだ。
しかし──
「殿、あそこに敵本陣の旗印が!」
傍にいた側近の一人が叫びながら前方を指差す。
石見守が凝視すると、そこには確かに陣の周りを固めた敵兵達の姿と、奥に旗印がひと際高く翻っていた。
彼の懸念は杞憂に終わっていた。旗本衆が崩れた所から本陣までの間、見えてきたのは、散乱した龍造寺のへし折られた軍旗や、兵馬の屍ばかり。すでに手を打ち尽くしたのか、龍造寺の守りは薄かったのだ。
(しめた! 隆信はまだ本陣に残っている!)
旗印を見た途端、石見守の顔が喜色満面に変わってゆく。
本陣前から苦し紛れに放たれる、わずかな矢鉄砲。それを彼は身を屈めて避けると、向かってくる小勢に対し、雄叫びを上げ斬り込んでいった。
その鋭さを取り戻した槍裁きに、雑兵が食い止められる訳がない。
いつの間にか石見守は、他の神代将兵を追い抜き、軍勢の先頭に追いついていた。
ところが──
(なぜ旗を下ろさない⁉)
次第に大きく見えて来る龍造寺の旗印。
それを見て石見守の心には、疑念が芽生え始めていた。
通常、軍陣の旗印は、将兵の目に留まりやすくするため、威儀を整えるため、他の旗差よりも大きく作られている。そのため本陣に危機が迫れば、敵に突き止められない様、早々と下ろす必要があるのだ。
だが、旗印は緩やかに翻ったまま。旗の隣には、大将がいる事を示す馬印も確認できたが、こちらも同様だった。
(まさか、これは何かの策なのか⁉)
疑念は次第に膨らんでゆく。
すでに彼は、本陣の中をぼんやりと視認できるまで近づいていた。
陣の前方は幕が掛かっておらず、中の状況は丸見えである。
そこにいたのは、隆信と側近以外に、法螺貝や陣太鼓を持つ者や、旗印を背負う腕っぷしの逞しい武士の姿があった。その左右には旗が倒れない様、先端に繋げた縄を握った者、さらに交替役と
様子は普段と変わらない。命の危険は目前に迫っているのに、である。
疑念は悪寒に変わり、背中に走ってゆく。
石見守には陣が訴えている様に見えた。しかと中を覗いてゆくがいいと。
だが、彼はそれを妄想と断じ、必死に頭から追い出そうとする。
ここまで来て
やがて駆け続けたその先。
石見守の双眸は、ついに中央で床几に腰掛ける隆信を捕えた。
しかし──
(な、何の真似だ⁉)
体中に走る戦慄。石見守は思わず手綱を引いていた。
彼は咄嗟に思い出す。
龍造寺山城守隆信がいかなる人物なのかを。
慎重でありながら、策謀を好む者であることを。
その隆信が目の前で
絶体絶命のはずなのに、石見守に手招きしつつ嗤ってみせたのだ。
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