第17話 軍議

 ──隆信、貴公に対し、鬱憤片時も止む事なし! 所詮有無の一戦を遂げ、両家の安否を極めるべし!



 永禄四年(1561)九月初旬、龍造寺から突如届いた書状は、神代家に激震をもたらした。

 隆信が突き付けてきたのは、その本心を包み隠さず書き記した挑戦状。

 長年の抗争に決着をつけるべく、彼は和睦を破棄し、決戦を申し込んできたのである。

 


「日時は十三日! 場所は山と里の境目、川上! 帰って隆信に伝えよ。決戦はかねてより望むところなり! 必ずかの地にて相まみえるべしとな!」


 勝利は𠮟りつけるかの如く、承諾の旨を使者に伝える。

 そして、使者が去った後、この一件を山内全域に触れまわし、戦支度の上駆けつける様、豪族達に命じたのだった。


 やがて本拠、熊の川城周辺に、将兵が続々と馳せ参じて来る。

 その数七千。金敷峠の戦いで率いた兵は三千である。それと比べると、山内のみならず、周辺の国衆地侍達なども含めた、勢力圏内の将兵総動員と言っていい規模であった。


 その様はまさに雲霞の如し。城山周辺は言うまでもなく、麓の道々の至る所にまで押し寄せ、埋め尽くし、活気を見せている。

 城の中で見渡していた勝利嫡男の長良は、思わず感嘆の声を上げるしかない。

 そして喜々として、隣にいた石見守につぶやくのだった。


「見よ石見、川沿いの道の奥にも、まだやって来る兵の姿があるぞ! どこまで膨れ上がるのだ、これは!」

「山内だけでなく、八戸やえや東千葉家など、龍造寺に恨みを持つ者達、殿を慕う浪人共も駆けつけておりますれば、まだまだ止まりますまい」

「圧巻だ。これならば、流石に龍造寺は一たまりもあるまい」


 すでに勝ち誇ったかの様に豪語する長良。

 だが石見守は首を横に振る。


「残念ながら従う者が増えると言う事は、意見を異にする者が増えると言う事」

「何だそれは?」

「間もなく軍議が始まります。そこで長良様にも御理解いただけるでしょう」


 そう石見は告げると、一礼して去ってゆく。

 その表情は、先程までの喜々としていたものとは打って変わり、憮然として強張っていた。

 長良は彼の背後で首を傾げるばかり。だが、わざわざ勿体ぶって言うからには、一筋縄ではいかない事なのだろう。察して彼は後を追い掛けてゆく。


 そして、軍議が始まった直後、石見守が口走った事の意味を理解するのだった。



※ ※ ※ 



「何、川上で戦うのを止めろだと?」

「はっ、殿は確かに川上で戦うと、龍造寺に明言されましたが、山に慣れた我らが、その有利を捨てるのはいかがなものかと」


 軍議の場。そこで早速勝利に対し私見を述べたのは、重臣の一人、ゆずりは紀伊守であった。

 杠氏は山内における有力豪族で、三瀬氏、松瀬氏と並んで、神代家三人衆の一つに数えられる。その当主である紀伊守は、神代家中にあって、股肱の臣として重きを成していた。


 川上とは、山内を下りた麓から、嘉瀬川(※佐嘉郡内を南北に流れる河川)周辺に広がる扇状地一帯を指す。

 佐嘉の中心部からは大きく離れる一方、山内の入り口とも言えるところにあり、緩やかな傾斜がある、見通しの良い平野が広がっていた。


「ここで会戦を行えば、たとえ勝ったとしても、多数の犠牲者が出るのは避けられませぬ。何とぞご再考を」

「左様。過去に金敷峠と言う好例があるにもかかわらず、地の利を捨てるのは、もったいのうございます」

「逆に龍造寺からしたらしめたもの。隆信は謀を巡らし、兵を縦横無尽に動かしてまいりましょう」


 紀伊守に続き、居合わせた家臣達が次々と異を唱える。

 長良はその光景に唖然とするしかなかった。

 一族家臣達の殆どが、川上で戦う事を良しとせず、戦うのならば、山内に引き込んでゲリラ戦に持ち込むべしと、考えていたのである。


 だが、その中にあって一人、石見守だけは違った。


「今更それは変えられない話にござる。殿は川上にて戦うと、龍造寺にしかと約束なされた。もしこれを破り引き籠れば、御家は臆したと、龍造寺に嘲られるだけにござる」


「それがどうした。龍造寺からの申し出は不躾ぶしつけ極まりないもの。それに対し、戦場を改めたいと求めるだけなのだぞ。何の遠慮がいるのだ」

「すでに我ら、城下に七千もの兵を集めております。十二分な戦力を集めておきながら引き籠れば、やはり物笑いの種となりましょう」

「物笑いだと、そなたの物言い無礼であろう!」


 声を荒げた紀伊守は石見守を睨みつける。

 そして彼に続き、川上開戦に反対する者たちも、石見守に厳しい視線を向けてゆく。

 だが、その程度で動揺する石見守ではない。紀伊守とは視線を逸らしつつも、仏頂面を浮かべ、平然と佇んだまま。


 広間は静まり返る。そこに割って入ったのは他ならぬ勝利だった。

 


「そこまでに致せ、紀伊」

「しかし、殿──」

「そなたの意見、しかと心に留め置く。だがこの戦、金敷峠とは目的が違うのだ」

「目的が違う?」

「ただ勝つだけでは足りんのだ。平地で真っ向からぶつかった上で、龍造寺に心の底から敵わないと思い知らさねばならん」



 勝利が説く戦略は、戦後を見据えていた。

 確かに山におびき寄せ、お家芸のゲリラ戦に持ち込めば、勝ちはぐっと近くなる。

 しかし、それではこれまでと変わらない。勝ったとしても、龍造寺はやがて威勢を取り戻してくる。再び両家は泥沼の抗争を、何年も続けなくてはならなくなるだろう。


 これを覆すには、山内を下り、龍造寺領の近くで勝たなければならない。

 そして、龍造寺傘下の国衆や地侍達に見せつけるのだ。龍造寺をひざまずかせ強大になった神代が、お前たちを間もなく飲み込みにやって来ると。


 結果、佐嘉郡を中心に、近隣の国衆や地侍達は、成す術無く従うだろう。

 それこそが山内の民の安寧と、石見守との約束を果たす事に繋がる。勝利はそう青写真を描いていたのだ。


「殿がそこまで申されるのならば、これ以上異論は申しませぬ」


 説得を聞き、杠紀伊守は渋々ながらも受け入れる。

 それを見て勝利は頷くと、居座っていた者達全員に向け号令するのだった。


「明日には山を下る。先陣は江原石見、神代備後の両名! その他の者も準備万端整えよ、よいな!」



※ ※ ※ 



 こうして決戦を目前にした神代勢は、山内を下り川上へと到着。

 七千の兵を本陣と三つの隊に分けて陣取った。


 西側、宮原口(神代勢から見ると右翼)に嫡男、神代長良率いる三千。

 中央、大門南に勝利次男、種長率いる千三百。

 南北に流れる嘉瀬川を挟み東側、都渡城ととき原(神代勢から見ると左翼)に勝利三男、周利率いる千五百。


 そして勝利が千二百の兵を率い、息子達の後方、與止日女よどひめ神社の西惣門に本陣を置いた。

 與止日女神社はかつて、龍造寺、江上、神代の三家の和睦の際、起請文を納めた事がある、肥前各地に広く信仰を集めていた、高名な神社である。

 神社に土地を寄進したり、社人の小野式部と親交があったりと、神代家は神社と良好な関係を築いており、その縁で本陣を構える運びとなった。


 そしてそれは、将兵の士気を大きく高揚させることに成功していた。


「我らには與止日女命様(祭神、神功皇后の妹)の御加護がある! 臆せず進むがよい!」

『ははっ!』


 各隊それぞれに赴いて、勝利はそう激励して回る。

 心の拠り所たる祭神は、神代に味方し、龍造寺を見放した。

 その事実は、現地に住まう兵達にとって看過できるものではない。信仰心を掻き立てられ、神代兵の士気は大いに高揚する。

 

 加えて、緩やかな高みから攻め下るという、地の利も有している。

 隆信がいかに策を弄してこようとも、この士気の高さと地の利を以て討ち取ってしまえば終いなのだ。

 

 本陣に戻った勝利は、西惣門の近くから南方を見下ろす。

 そこには佐賀平野だけでなく、有明海まではっきりと視界に収めた景色が広がっている。

 吹き抜ける秋の山風。それに煽られながら、彼は佐嘉城付近を睨み決意するのだった。


(さあ、掛かって来るがいい、龍造寺! この一戦にて、佐嘉の乱世に幕を下ろしてやる!)


 時は永禄四年(1561)九月十二日、川上合戦まで、すでに一日を切っていた。



※ ※ ※ 



 一方、挑戦状を叩きつけた隆信は、勝利の応諾にほくそ笑んでいた。

 大友の目が届かないうちに、神代と戦い引導を渡す。そのために平地に誘い出すという、お膳立てに成功したのだ。


 さて、後は如何にして神代勢を料理してやるか。

 彼は長信を自分の書斎に呼び出し、戦術について諮ろうとする。

 しかし、やってきた長信の顔は、不安気な表情で満ちていた。


「本当に戦を起こすつもりなのですか、兄上?」

「無論だ。この様な好機、みすみす見逃す訳にはいかぬであろうが」

「しかし、與止日女神社は敵に抑えられ、地の利も奪われております。いくら何でも、これでは戦う前からあまりにも不利と言うもの」


「そうだ。だが、金敷峠で我らは思い知ったであろう。山内で戦う事の無謀さを。奴等は、平地に誘い出した上で叩かねばならん。この程度の不利は、戦術や策略如何で幾らでも覆してやる」

「では何か秘策をお持ちなのですか?」

「詳細をこれにしたためておいた。戦場にて抜かりなく行うのだ、よいな」


 隆信はそう告げると、一通の書状を長信に渡す。

 しかし、長信は読み進めていくにつれ、怪訝な様子を深めるばかり。それはこの策の難しさを物語っていた。


「ううむ、兄上、これはまず怒涛の如く押し寄せる神代勢を、しかと食い止めねばなりませぬ。陣立てが肝要にございますな」

「案ずるな。陣立てついては思う所がある。それは軍議の場にて諮るつもりだ」

「ほう?」


 そして日を改め十二日。

 諸将を集めた隆信は、その陣立てについて披露するのだった。

 

「先陣は広橋一遊軒に命じる」

  

 

 広橋一遊軒とは隆信の近臣の一人である。

 後に肥前須古すこ高城攻めで戦死するまで、先陣を数多く任される猛将なのだが、この時はまだ、他の国衆達の間では無名に等しい存在だった。

 それでも隆信は、彼のこれまで武働きを鑑み、先陣に抜擢しようと考えたのである。


 広橋一遊軒信了。

 彼の人柄や逸話については、江戸時代中期に成立し、佐賀藩の歴史や人物をまとめた「葉隠聞書」が詳しい。

 草履取りを望んだこと。主君の茶事をつかさどる御茶道役に任じられたこと。文書を代筆する祐筆がいない時、代わりに書状を書いたことなど。「葉隠聞書」を口述した(※1)佐賀藩士、山本常朝は、彼を器量の人と評している。


 だが、その性格はいささか難ありだった。

 十五歳のとき、御台所の下男(※藩制における最下級の雑役に従事する者)として仕えたが、相撲についての遺恨により七、八人を斬り殺している。

 当然死罪と決まったが、「勇者は貴重である。この者は勇者になれるだろう」と隆信の目に留まり、その鶴の一声で赦されたのだった。


 以後彼は、隆信に従い各地を転戦し、その武勇により頭角を現してゆく。


 ただ、その戦ぶりは危うく、あまりにも深入りし過ぎて、討死しそうになるほど。

 佐嘉郡高木村であった戦の折には、深入りする彼を見かねて、隆信は呼び返し、馬の脇に従えていた。

 だが、先陣が進みかねているのを見ると、彼はそのつど駆け出して行く。

 ついに隆信は彼を呼び戻すと、自ら鎧の袖を掴み、離れない様にしたという。


 それは、取り立ててくれた隆信のため、己の名声を轟かすため。

 戦功に対する彼の執着には、並外れたものがあった。

 そうでないと、頭一つ抜きん出た活躍を遂げる事は難しかったのかもしれない。



「ありがたき幸せ、武人の誉れにござる!」


 先陣抜擢の沙汰を聞き、その場にいた一遊軒は深々と平伏する。

 そして幾つもの刀傷や殴られたあざが残る顔を上げ、はにかんだ。

 最下級の雑務を担う者からのし上がり、現場一筋十余年。ついに備えの一つを任される程になったのだ。その喜びが一入ひとしおであったのは無理もない。


 だが、それに即座に待ったを掛けた者がいた。宿老の納富信景である。

  

「お待ち下さりませ。恐れながら、今回は御家の命運を賭けた一戦。敗北は許されず、先陣は一遊軒よりも、場数を踏んだ者の方が、相応しいと思われます」

「これはしたり! それがしのこれまでの武働き、納富様は侮られるのか!」


「たわけ! そなたは敵を見た途端、一目散に突き進んでしまう。視野が狭すぎるのだ! 個の武勇のみで先陣は務まらぬ。まずはその悪癖を直してからだ!」

「その様な懸念は、粉骨砕身務めるゆえ、無用にござる!」


 一遊軒にとっては、大手柄を挙げる好機であり、潰されてたまるかと反論するのは当然のこと。

 憮然とする両者の間に隆信は割って入る。


「両人の申し様、よく分かった。それまでだ。だがわしは一遊軒に賭けてみようと思う」

「しかし殿──!」

「信重!」


 苦言を続けようとする信景を遮り、隆信は宿老、福地信重の名を呼ぶ。


「そなたに二陣を任せたい。一遊軒が崩れることあらば、これを支えよ、よいな」

「ははっ!」


 隆信は断を下した。

 先陣には家中で売り出し中の一遊軒を、二陣には惣領就任以前から龍造寺に仕えていたベテラン、福地信重を置き、バランスを取ったのである。


 果たしてこの選択が吉と出るか、凶と出るか。

 川上合戦の幕開けは翌朝に控えていた。




※1 「葉隠聞書」は山本定朝が口述し、佐賀藩士である田代陣基つらもとが、それを筆録してまとめたもの。

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