第23話 川上合戦(六) 始末
長良率いる神代勢の壊滅は、時間の問題となっていた。
南から隆信率いる本隊、東から都渡城原、大門南を制圧した龍造寺勢に挟撃され、観念した長良は自害を試みる。
その窮地を救ったのが、本陣に残っていた勝利と、彼が率いる千二百の兵だった。
山内の未来のため、次代を担う長良だけは失う訳にはいかない。彼らは長良の盾となるべく前線へと突出してゆく。
その意図を察し、心を改めた長良は、乱戦の中、山内へ向け退却していったのだった。
※ ※ ※
ところがこの時、優勢である龍造寺本陣には戦慄が走っていた。
勝利参戦。彼が自ら愛刀を振るう中、神代勢は徐々に巻き返しつつあると言う。
しかも彼が率いているのは、それまで本陣で待機していた兵である。士気高く疲れ知らず精鋭達は、形勢をどこまで覆してくるか測り知れない。
そのため、諸将は居ても立っても居られず、騒めき始めていた。
「まさか勝利は、ここへ命懸けで斬り込んでくるつもりなのか?」
「あり得る話だ。奴は剣の達人。前線に立てば、奮い立たない将兵などおるまい。劣勢を覆すには最も有効な手であろう」
「ならばここは一度戦線を後退させ、守りを固めるべきではございませぬか?」
諸将は懸念をあれこれ膨ませてゆく。
すでに一度、石見守達に本陣近くまで脅かされ、神代勢の強さは骨の髄まで味わっているのだ。合戦の勝利を目前にした今、下手を打つ訳にはいかない。彼等が慎重になるのは無理もなかった。
だが、それらの懸念を隆信は一蹴する。
「騒ぐな。勝利がここまで迫ってくる事は無い」
「では、特に手を打たずとも良いとお考えなのですか?」
「そうだ。このまま時を稼いでおれ。そのうち追撃に移るぞ」
「何と⁉」
自軍を信じ、戦況が好転する事に自信を覗かせる隆信。
その余裕はどこからくるのか? 訝しむ諸将は問い詰めようとする。
するとそこへ、早馬に乗った使者が陣中にやって来て、畏まって告げるのだった。
「報告! 勝利率いる神代勢、一転して退却を始めた模様!」
※ ※ ※
「申せ! なぜ父上の軍勢は退却を始めておるのだ⁉」
勝利撤退の報せを長良が知ったのは、山内の入口に差し掛かった頃だった。
駆け付けたかと思えば、あまりにも早い撤退。彼は馬を止めると、報告をもたらして来た使者に食って掛かる。
いずれは、龍造寺の数の優位に屈してしまうかもしれない。それでも勝利の武勇を以ってすれば、暫くは伍して戦えるはず。
長良はその思惑もあって退却を選択したのだが、当てが外れ、落胆の色を隠せない。
すぐに彼の憂いを帯びた瞳は、後方を捕えていた。
まだ宮原口には、石見守や勝利異母兄の利元などが、残って奮戦を続けている。彼等は無事退却できるだろうかと。
だが、山内へ向かうと石見守と約束したのだ。長良は、暫く俯いたまま固まっていたが、やがて前を向くと、再び馬を進め始める。
するとその先に見えてきたのは、喊声を上げる数十人の集団。
近づくにつれてはっきりとしてきたその様子に、長良は苦虫を噛みつぶした様な表情に変わった。
「そういう事か、おのれ……!」
眼前にいたのは、退却中の神代勢に襲いかかっていた龍造寺の一隊だった。
彼等は隆信の指示を受け、川上の北へ回り込み、山内への道を塞いだ上、長良、勝利の軍の背後を窺おうとしていたのだ。
「敵将がいたぞ! それっ、射掛けよ!」
龍造寺兵達は長良に狙いを定め矢を浴びせた後、たちまち鬨の声を上げて押し寄せる。
退路である、この山内へ通じる街道は幅が狭い。
長良は憤りに任せて押し通ろうとしたが、止めざるを得なかった。手勢が少ない今、まともにぶつかれば、長らく足止めを喰らうかもしれない。命の危険にさらされた彼らに選択の余地はなかったのだ。
ならばと、彼らは街道を進むことを諦め、馬を捨て山中を進もうとする。
しかし──
「こ、ここを進むのか、道が無いではないか!」
「土地勘がある者が城までお連れ致します! 今はお急ぎ下され!」
向かった先は、川上の北西に位置する山中。
皆、竹藪の中に身を潜め、足場に注意を払いながら、道なき所を進んでゆく。
そして一度休止を取った後、陽が落ちてから再び歩き始めた。
だが、そこにも魔の手が潜んでいた。
「ぐはっ!」
草むらからの不意の竹槍。
それを脚に喰らった一人の兵が呻くと、崖から転落していった。
そして草むらや木々の隙間から、
金に換えられるものは全て奪い尽くせ。
目の色を変えた土民たちによる、落武者狩りが待ち構えていたのだ。
戦国時代、合戦後に行われた落ち武者狩りは、戦勝した方が近隣の民に触れを出し、協力を命じる事が多かった。近隣の者達の方が地理に詳しい為である。
この戦いで、龍造寺が民に触れまわしたと言う記録は残っていない。
だが、一日足らずで決着が着いた戦において、退路に武装した者達が、山中に待ち構えているとは、あまりにも用意周到というもの。隆信の指示があったのではないかと、疑わざるを得ないところだろう。
疲労困憊の長良主従は、逃げるのが精一杯だった。
合戦前には、七千もの軍勢で威風堂々山を下っていったのが、帰路では僅か十数名ばかり。威勢を失った直後に遭遇した生き地獄に、もはや誰も口を開こうとしない。
だが、退路を切り拓いてくれた者達は祈念してくれたのだ。
長良が無事、本拠の熊の川城まで戻って来られる様にと。
その願いどおり、幾多の山坂を駆け抜けた長良主従は、ボロボロになりながらも、何とか熊の川城まで辿り着いたのだった。
※ ※ ※
こうして秋に行われた一大会戦、川上合戦は幕を閉じた。
地の利や序盤の劣勢を覆し、見事隆信は勝利を掴み取ったのである。
追撃を続けた龍造寺勢は、その後、山内の入り口まで軍勢を進める。
しかし、勝利が退路を阻もうとする龍造寺別動隊を蹴散らし、山内入口にてゲリラ戦を展開したため、そこで諦め兵を退かせた。
そのため、勝利も熊の川城まで無事戻る事が出来たと言う。
ただ、この戦で神代家中の被った痛手は甚大だった。
一族においては、種長(勝利次男)、周利(勝利三男)、利元(勝利異母兄)、備後守(勝利従弟)など。
家臣には、松瀬能登守(重臣)、馬場四郎左衛門(勝利近習)、廣瀬三河守(山内豪族)など。もはや龍造寺に立ち向かう戦力は残されていなかった。
城内で評議した末、勝利たちは一族と共に山内を脱出する。
家臣の縁者を頼り、西肥前の国衆、大村純忠が治める
一方、龍造寺は戦勝を収め、佐嘉へと引き返してゆく。
彼は途中、川上の南西にある於保原にて首実検を行っている。
そこには不思議な事に、神代一族家臣たちの首が並ぶ中、勝利の首が三つ、長良の首が二つも並んでいたという。
「古より名将の敗軍には、名誉を争って必ずこうなるものだ」
諸将が目を丸くする中、隆信は大いに感慨深く語ったという。
そして最後に、一人の生け捕った武将と彼は対面している。
その武将は鎧直垂のまま縛られた姿で現れた。
最後の最後まで槍を振るい疲労困憊のためか、憮然としつつも抗う様子はない。
そして堂々と胸を張っていて、痛がっている様子もない。
縄は首、上腕、胴に巻かれた上、それぞれが繋げられ、左右対称見た目美しく縛られている。拘束はするが苦痛は与えない。その将を丁重に扱おうとする配慮が窺えた。
隆信が彼と対話するのは初めてである。
だが、彼の事は惣領になる前から知っている。神代家中におけるその存在の大きさは並大抵ではない。故に直接の対話を望んだのだ。
「何故生け捕ったか分かるか、江原石見?」
隆信の威厳を伴った問いかけが、その場に響く。
対して石見守は隆信を凝視したまま、静かに返答するのだった。
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