第24話 人の夢は……

「何故生け捕ったか分かるか、江原石見?」


 威厳を伴った隆信の問いかけが響く。

 川上の南、於保原にて行われた首実験の場。そこで相対していた石見守は、彼を凝視したまま、静かに返答するのだった。


「生憎だが、貴様に仕えるつもりはない」



※ ※ ※ 


 

 川上合戦の終盤、宮原口にいた石見守は、盾に徹するつもりだった。

 戦の大勢はすでに決まった。長良に続いて、いずれ勝利も山内へ退くはず。その時を少しでも稼ごうと奮戦を続けていたのだ。


 だが、武運つたなく、乱戦の中で馬に一矢を受け、彼はついに落馬してしまう。

 右肩と太腿を負傷し、立ち上がるのが精一杯のところに押し寄せる敵兵。

 もはやこれまでか── 脱力した彼の手からは、太刀が思わず零れ落ちてしまう。

 ところが、敵兵の手にも武器は無かった。替わりに網を投げつけ、石見守を一網打尽にしてしまったのだ。


 なぜ隆信は討ち取らせなかったのか。

 捕らわれた当初、石見守はその理解に苦しんでいた。

 だが時が過ぎゆく中、取り戻した心の平静が、彼に気付きを与えてくれた。

 左右対称に美しく、拘束しているが苦痛を与えない、丁寧な縄の縛り方。そして彼のために用意された床几。さらに眼前には、隆信だけでなく、龍造寺一族家臣達が居並んでいる。


 仇敵ではあるが、礼を尽くすべし。

 何故なら武勇に優れ、山内の実情に通じているから。

 隆信は戦後の山内統治において、石見守の助力を欲していたのである。


 ただ、思惑は呆気なくねつけられた。

 しかしそれは想定内。隆信の顔に浮かんだ笑みには、勝者の余裕が見て取れた。


「ほう、先回りの返答とは察しが良いな」

「わしが主と戴くのは勝利のみだ。それと忠告しておいてやる。貴様では一生掛けても山内を治める事は出来ん」

「ほざいたな……」


 明らかな侮蔑。

 隆信は聞くや否や、すっと立ち上がり石見守に近づいてゆく。

 笑ったままの双眸に歪む口元。その表情に不穏なものを感じ取り、警護に当たっていた兵達も、太刀を構えたまま慌てて後を追う。


 そして、居並ぶ家臣達の目つきにも敵意が籠ってゆく。 

 しかし、視線がいくら突き刺さろうとも、直前で相対した隆信に見下されようとも、石見守は平然と佇んだまま。そこには勝利腹心としての矜持が見て取れた。

   

「ならば是非もなし。一言だけ遺言を聞いた上で首を刎ねてやろう。……と思ったが、まあ良い。その寝言に付き合ってやる。なぜ出来んのか申してみよ」 


「簡単な話ではないか。山内は神埼、佐嘉、小城三郡の北部にまたがる、広大な領域だ。貴様が出来るのは、せいぜい各地に代官を配置して、民の動きを監視するくらいであろう」


 隆信の顔色は変わらない。

 だが、その片眉がピクリと吊り上がったのを、石見守は見逃さなかった。


「それでも家臣の手前、貴様は詭弁を口にするしかない。我らの武威は戦で示した。後は豪族や民の暮らしを、これ以上脅かさぬ様、徳を示すのだ。そのために敢えて、監視するのみに留めている、とな」


 隆信は返事をしない。

 だが、吊り上がった眉に続き、眉間に皺が寄ってゆく様子は、彼の心情をはっきりと滲ませていた。さっさと首を刎ねておけばよかったと。


 逆に石見守の顔には、嘲りを含んだ笑みが浮かんでゆく。


「ふはははっ、どうだ図星か! 図星であろう!」

「貴様……!」

「過ちて改めざる。これを過ちという! わらうしかないではないか! 貴様が目論んでいる事は、以前山内を強奪した時と何ら変わらない。ならば待ち受けているのは、再び勝利に隙を突かれ、奪い返される未来だけだ!」


「ふん、これまで打ち破った者達も、同様の方針で従わせてきたのだ。山内の民も同じ肥前に生きる者達。強者である我らになびかないはずがない!」


「何も分かっておらん! 山内の民は、自らの意志で勝利を主君に戴いたのだ! それに勝利は応え、新興し、人心を掴み、肥前の一大勢力にまとめ上げた。その太陽と呼ぶべき存在を、民が見捨てるわけがなかろう!」


「だが、頼みの太陽は沈んだではないか! にも拘わらず、崇めている山内の民に未来はない! いずれ気づかせてやる、勝利よりこの隆信の方が、山内の主に相応しいとな!」


「やってみるがいい! 貴様の威光など蛍の光も同然! 山内の民が太陽を求める限り、神代は何度でも蘇る!」

「何度も無い、これで終いだ! 我らの手で新生する山内を、指を咥えたまま、地獄でしかと見ておれ!」



 応酬はそこまでだった。

 隆信は一方的に話を打ち切ると、陣幕の外へと消えてゆく。

 最後に荒い鼻息と、歯ぎしりをはっきりと石見守に見せつけて。そこには、勝者の余裕は消え失せ、山内の統治について、彼が不安を抱いている様子がありありと浮かんでいた。 


 対して石見守は激昂していたものの、やがて相好を崩した。

 死の直前に、隆信本人を前にして大いに言ってのけたのだ。その満足感から彼の顔には清々しさが浮かぶ。


 ただそれは束の間でしかない。

 石見守はすぐに両脇を押さえられると、その場にひざまずかされた。


 彼の足元には大きな穴が掘られている。斬った首や遺体をそこへ落とすためのものである。実際、中を覗いてみると、彼より前に斬られた者達のもので、大分が埋まっていた。


 そして、その時がついに訪れた。

 石見守は前屈みの姿勢を取ると、静かに両眼を閉じる。


 死に際とはその人生の鏡である。

 心の中を駆け巡っていたのは、果たせなかった勝利との約束か。

 それとも案じずにはいられない山内の未来か。

 遺言を聞いていないその場にいた者達に、彼の胸中は理解出来るはずがない。

 

 ただ、はっきりと胸を張った彼の姿は物語っていた。

 我が人生に一片の悔いなしと。

 やがて介錯人が白刃を振り下ろす中、堂々とした姿のまま、石見守は見事に己の生を全うしたのだった。



※ ※ ※ 



 そして数日後、西肥前の沿岸部にあった、彼杵そのぎ波佐見はさみの地。

 この地で身を潜め、失意の日々を過ごしていた勝利は、石見守の想いに触れることになる。


「これを殿に渡す様にと命じられて参りました」


 その言葉と共に勝利に差し出されたのは、懐紙を畳んで作られた紙入れだった。

 そして開けてみた途端、彼は思わず刮目していた。中には、かつて所持していたこうがい(※髪を掻き揚げて髷を形作る結髪用具)が入っていたのだ。

 

 勝利を訪ねて屋敷にやって来たのは、石見守の家臣である。

 彼は宮原口にて石見守と別れたものの、道を見失って山中を逃げ惑い、遅れて帰った時には、すでに勝利は山内を脱出していた。そこで、はるばる波佐見までやって来たと言う。


「よく届けてくれた。これは三十年近くも前に、わしが石見に譲ったものだ。あやつ肌身離さずに持っておったのか」

「左様でございましたか。では思い入れも一入ひとしおにございましょう」

「そうだな…… で、その際に石見は何か申しておったか?」

「はい。受け取る際に言付けを預かりました。人の夢は儚きものだと。そう申せば分かって頂けると」

「儚きもの、か……」


 勝利は俯きじっと笄に目をやる。 

 笄は約三十年の歳月を経て、すっかり色褪せ、装飾の一部も取れてしまっていた。

 だが石見守と結んだ、主従の契りの象徴であることには変わりはない。

 それを手放したという事は、彼は宮原口で散る覚悟を固めていたのだ。


(北山(※山内のこと)に腰掛け、南海(有明海)に足を浸す──この夢を正夢とするには、まだ道半ばだ。石見、今後も力になってくれるであろう?)

(無論ではないか。これからもわしはお主と共にある。この笄も、夢の成就まで決して手放しはせぬ)


 いつでも鮮やかに思い返す事が出来た、主従の契りの情景。

 しかし今、笄は舞い戻って来た。

 それは、生涯を賭け二人で果たそうとした夢の終わり。


 勝利は咄嗟に悪寒を覚えていた。

 その情景は、もう遠い過去のものに変わってしまったのだ── 

 石見守の死が、そう訴えている様な気がしたのだ。

 

 それでも今は家臣の手前、感傷にふけっている時ではない。

 勝利は心を静め、石見守の家臣に礼を述べると、僅かばかりの金子を与える。

 そして、胸の内を察せられない様にと、そそくさと居間から退出していったのだった。

 


※ ※ ※ 



 ところが、彼の後を追い、書斎まで付いてくる者が一人いた。長良である。

 怪訝に思い立ち止まる勝利。訳を尋ねると「ぜひ二人きりで話したい事がある」と密やかに告げたため、二人して書斎に向かう。


 そして相対して座ると、長良は神妙な面持ちで話を切り出した。


「お願いがございます。ぜひその笄をそれがしに譲って下さりませ」

「どう言う事だ?」

「実はそれがし、石見守から笄についての逸話を聞いたことがございます」

「何ぃ?」


「石見守の夢を父上が買い取ったこと。礼としてその笄を譲ったこと(※第5話参照)。他言無用と申しておったので、これまで胸の内に留めておりました」

「そうだったのか。あのおしゃべりめ……」


 勝利は再び笄を懐から取り出すと、長良の前に差し出す。

 それを長良はじっと眺め、かつて見た物と同じであることを確認すると、頷いて告げた。


「なので、ぜひそれがしに譲っていただきとうございます」

「なのでと言うが、そなたとこの話は無関係ではないか」

「人の夢は儚きもの。しかし、受け継ぐ者がいれば消えませぬ。その役目をそれがしが担いたいのです」


 石見守と勝利の想いは、いずれ己が受け継ぐ。

 勝利は僅かに口元を緩めていた。長良の中で、次期当主としての自覚がはっきりと育っていたのを、確かに感じ取ったためである。

 この時、勝利は五十一歳であり、先は長くはない。しかし、仮にここで隠居したとしても、家がすぐに揺らぐ事は無いだろう。一瞬、その思惑が頭をよぎっていた。


 しかし、勝利はすぐにかぶりを振った。


「止めた。今はやれん」

「えっ?」

「思い直したのだ。これは、わしの手で果たしてしまえばよい話ではないか。目の黒いうちはいくらでも足掻いてやる。そのためには、まずは山内へ復帰せねばな」


 そう太々ふてぶてしく告げると、勝利は笄を再び懐にしまった。

 以後、俄然やる気が湧いてきた彼は、山内にいる旧臣達と連絡を取り合い、復帰に向けての機を窺う事になる。


 その様子を眺めていた長良の心境は複雑だった。

 本来の目的は果たせなかったが、失意に暮れていた勝利を奮い立たせる事は出来た。その点では良かったのではないか。

 そう彼も思い直し、安堵の息を漏らすのだった。



※ ※ ※ 



 勝利に蘇った覇気と、緩い龍造寺の山内統治。

 それらの要因が絡み合った時、再び山内に転機が訪れるのは必然であった。


「兄上?」

「山内麻那古まなこ村の代官所が襲われた……」

「何と!」

「やりおったな、勝利め!」


 長信の眼前にて、隆信は届けられた密書をくしゃくしゃに丸めると、思わず叩きつけていた。


 永禄四年(1561)十二月、神代家の浪人達が、麻那古村にあった龍造寺代官の館を闇夜に紛れて襲撃。代官を殺害した上、館に火を放った。

 これを知った神代旧臣や領民達が、山内各地で一斉に蜂起。

 やがて、彼ら支持者たちに迎えられ、勝利は山内へ戻ると、各地の龍造寺代官の館を制圧し、再び盟主として君臨したのである。


 川上合戦からわずか三か月後、神代主従の鮮やかな復活劇。

 大敗北も何のその。彼等はまたしても、その結束の固さを龍造寺に見せつけたのだった。

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