第8話 悲しき峠


「そこに見えるのは、神代勝利か!」

「その声は小河信安であるな!」



 喜色満面の信安に、余裕綽々しゃくしゃくの勝利が相対する。

 何の因果か、この日二人は同じ様な行動を取っていた。互いに一軍の将でありながら、敵の様子を探るべく、密かに偵察に出かけていたのである。

 向かった先は山中の間道。供は一人だけ。二人とも武勇で近隣に名を馳せていたため、その自信が大胆な行動に走らせていた。


 だが、出会ってしまった以上、退く訳にはいかない。

 退くなど武士の名折れ。それに道幅狭く、馬を返すことが出来なかったのだ。


 両者は少しずつ間合いを詰めてゆくと、やがて供に離れる様に命じる。

 佐嘉の後世に語り継がれる一騎打ちが、静寂に包まれた山中で始まろうとしていた。

 


※ ※ ※ 



「ぬおおっ!」


 鬼の形相から繰り出される信安の突き。

 勝利は体勢を崩しつつ、それを払いのける。


「左近と一族の無念、思い知れ!」


 怨念が乗り移ったかの様な、信安の怒涛の攻勢が続く。

 彼の鋭い槍裁きは、勝利を防戦一方に押し込め、徐々に後退させていた。

 何せ繰り出される一撃は、鎧の急所を的確に狙いつつも、腕を痺れさせる程に重いのだ。


(確かに噂に違わぬ武勇。佐嘉にこれ程の使い手がおったとは!)


 勝利の顔には笑みが消え、苦渋の色が浮かぶ。

 しかし、彼に救いの手を差し伸べる者はいない。うかつに近寄って援護しようものなら、道を踏み外し、崖下に転落してしまいかねないのだ。

 それでも、堪えるのが精一杯の勝利を見て、彼の従者は黙って見ていられなかった。


「殿ぉ!」

「来るな、手出し無用だ!」


 駆け寄ってくる従者に、勝利は視線を向けて制止しようとする。

 だがその隙を信安は見逃さなかった。


「よそ見とは余裕だな、勝利!」

「ぬうっ!」


 相手の隙を突く、信安の一撃。

 それはかろうじてかわされたものの、肘をかすめ、たちまち戦直垂を鮮血に染めてゆく。

 そしてなおも好機は続く。勝利は肘をかばい、体勢を崩してしまったのだ。

 

(もらった!)


 弟と一族の仇を晴らすまで。

 城に忍び込み、暗殺をしくじった汚名を返上するまで。

 あと一突き。あと一突きで、己の武勲は佐嘉に永く伝えられる。

 はずだった──


「がはっ!」


 急転直下。

 うめいた後、前後不覚に陥っていたのは、信安の方だった。

 彼が気付いた時には、すでに落馬しており、崖の手前でうつ伏せの状態に。

 一瞬の出来事だった。肘を襲った信安の槍は、槍から放してしまった勝利の右腕一本で抱えられていた。

 その一方で、勝利の槍が信安の頬を突き、兜の鉢(頭部を覆う部分)を払い倒していたのである。


 一転、信安は転落の危機に陥った。

 崖下へと吸い込まれそうになる恐怖に抗い、上腕の力を振り絞ると、懸命に道の上まで這い上がってくる。

 しかしそこまでだった。

 背後をうかがうと、短刀を手にして、彼に覆い被さろうとする勝利の従者の姿。

 息切れを起こし、動く事がままならなくなっていた老体に、もはや立ち向かう力は残っていなかった。


「あ、がっ……」


 看取った味方は供をしていた者一人だけ。

 そんな寂しい状況の中、信安の身体はやがて骸と化した。


 対して勝利の従者は、掻き切った信安の首を差し出す。

 勝利は激しく息切れを起こしていたが、深く頷き首を受け取ると、ようやく安堵の色を浮かべるのだった。


「よくやった! これでこの戦はもらったぞ!」

「ははっ‼」

「面白い奴であった。敵味方と言う形で出会わなければ、楽しく盃を交わせただろうに…… まあ良い。それは、わしがあの世に旅立った時の楽しみに取っておくか」

「殿?」

「後で懇ろに弔ってやる。だがその前に──」


 勝利は信安の首を眺め、僅かに感慨に更けると、やがて山中をさらに進み始めた。

 辿り着いたのは、雑草が生い茂る荒地である。そこから視界が開けており、小河勢が陣取る春日山が見て取れた。


 すると東の方角には、地平からゆっくり昇ろうとする朝日がうかがえる。

 その目映さに目を細めながらも、彼は陣に向かい首を掲げ、高らかに宣告するのだった。


「小河筑後守信安、この神代大和守勝利が討ち取った!」



※ ※ ※ 



 一方、隆信はこの頃、山内奥深くに侵入し、金敷かなしき山の西、広坂という地区の近くに本陣を置いていた。

 すでに起床していた彼は、日課としている座禅を組んでいた最中。

 しかし陣中に響いた馬のいななきと、近づいてくる足音を耳にして外をうかがう。すると寝所の前には、ひざまずいていた家臣の姿があった。

 そして──


「訳を申せ! なぜ信安は勝利と一騎打ちせねばならんかったのだ!」

「それが、供をした者の報告によれば、神代勢の偵察に出かけたところ、偶然勝利と出くわしたと!」

「ぬうう……」


 隆信から苦渋の声が漏れる。

 開戦前に先陣の将がたおれるなど、誤算も良いところ。しかも失ったのは歴戦の功臣なのだ。軍全体の士気低下は避けられないだろう。

 しかし戦は目前。迫る危機に対し、彼はすぐに気持ちを切り替ざるを得なかった。


「そなた、今から急いで春日山へ向かえ!」

「はっ!」

「勝利が春日山に急襲してくるかもしれん。もしくは怒った小河勢が、金敷山に攻め掛かる事もあり得る。どちらにせよ、将を失った軍勢はもろくて危険だ。我らが金敷山に攻め込むまで、陣を固めて沙汰を待つ様にと──」

「兄上!」


 指示を出す隆信をさえぎって、寝所周辺に響いた声は、やってきた長信のものだった。

 主君の言葉を遮ってまで、告げねばならない報せ。それは、隆信が耳に入れたくないものだった。


「一大事にござる! 信安討死に怒った小河勢が、すでに金敷山へと攻め込んだ模様!」

「馬鹿め!」


 小河勢はもはや糸の切れたたこと化していた。

 軍の足並みを乱す行為。しかし捨て置けば、孤立し殲滅されかねないだろう。


「長信、陣太鼓だ!」

「はい!」

「まず山頂へと通じる峠道に向かう! 麓に兵を集中させよ!」



※ ※ ※ 



 こうして十月十六日、龍造寺勢は総攻撃の準備に入った。

 参加したのは隆信長信に加え、一族家臣達、従っていた地侍達など、御家の中核を成す者達多数である。

 山内の民が見つめる中、現地において勝利を討ち取り、龍造寺の武威を見せつけるべし。そのための一大決戦と位置付けての動員であった。


 たちまち将兵達は、山頂へと通じる峠へと押し寄せる。しかし──


(成程、確かにこれは天然の要害だ)


 金敷山を仰ぎ見て驚嘆していたのは、宿老の一人、納富のうとみ信景だった。

 納富家は代々龍造寺宿老の家柄である。父からその後を継いでまだ数年の信景は、小河信安や福地信重といった他の宿老達より若く、隆信とほぼ同世代の青年であった。


 彼の視線の先にはあったのは、傾斜の大きい坂。そこに巨石や巨木があちこちに転がっており、足場の悪さを際立たせている。

 また南に目を移せば、思わず吸い込まれそうになる程の深い谷底が見える。踏み外せば、そこへ真っ逆さまに滑落する危険があったのだ。


「血気に逸るな。敵の攻撃と足場に注意しつつ慎重に進むのだ」

「ははっ」


 兵達を前にして信景は注意を促す。

 ここは敵領内の山中。我が庭とばかりに敵が奇策を仕組んでいるかもしれない。不測の事態に備えるのは当然の事だろう。


 ところが、将の中には兵達に対し、山攻めを盛んに煽る者がいた。


「お前ら見たか! 敵は少数だ、さっさと落とすぞ!」

「おおっ!」

「励め! 山頂一番乗りを果たした奴には、恩賞を弾んでもらう様、俺から殿に口添えしてやる!」

「おおおっ‼」


 どっと沸きあがる兵達。

 その士気のたかぶりを見てほくそ笑んでいたのは、一隊を束ねていた将、石井兼清であった。


 石井氏は有明海近くの飯盛いさかい館を本拠とし、龍造寺に長く従って来た国衆である。

 兼清は、一族家臣を束ねて各地を転戦し、その功により、龍造寺の重鎮家兼から「兼」の一字を賜っている。そして隆信が惣領となった後も、御家騒動における佐嘉城奪回に協力するなど、彼の治政を支えてきた重臣の一人であった。


 兼清が率いる一隊は、意気揚々と前線へと向かってゆく。

 そして途中、 静まっていた信景の一隊に出くわすと、一様に薄っすら笑みを浮かべた。

 この程度の敵に静まって意気消沈している者達など、そのまま引っ込んでおればいい。

 その表情は兼清本人も同じ。薄っすら笑みを浮かべると、年下の信景に一瞥して通り過ぎてゆく。


 それを見て信景の近臣は、信景に訴えずにはいられなかった。


「殿、石井様は我らをいささか侮っておられるご様子。このまま捨て置いてはまずいのでございませぬか?」

「気にするな。兼清の申した事は間違ってはおらん」


 信景は平然と諭すと、山頂を指し示す。

 そこには神代勢の陣があったが、確かに巡らされた柵や旗の数は多くない。不思議な事に、姿を見せる兵も少なく、勝利自ら率いているにしては、活気が見受けられなかった。


 山頂へ辿り着くまでは犠牲が伴うだろう。

 しかし数を頼みに押し寄せれば、いずれ攻略できるはず。

 総攻撃の合図である太鼓が鳴り響く中、龍造寺将兵達はその推測を頼りに山肌に手を掛けてゆく。


 だが、神代勝利と言う男を前にして、その推測は余りにも楽観的過ぎた。



「来たぞ、矢と石の雨を馳走してやれ!」


 早速、狙いすました神代勢の矢と石が、次々に龍造寺兵を襲う。

 急勾配の山坂は上るだけでも一苦労。また踏み外せば、たちまち崖下に転落する危険が伴うのだ。

 そこへまともに矢や石を喰らえば、逃れる術は無かった。兵達を待っているのは、直撃を受けての絶命か、避けたとしても態勢を崩してからの転落死。それは戦というより、虐殺に近いものがあった。 


「脚を止めるな! 手薄な敵の守りはいずれ崩れる。臆せず進め!」 


 龍造寺の諸将はしきりに叱咤する。

 だが半刻過ぎても、一刻過ぎても、山頂に辿り着いた者は誰一人として現れない。 

 逆に次第に増やしていったのは、死傷者と、この山攻めは無謀ではないかと、疑問を抱き始めた者達の数だった。

 

 



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