第7話 金敷峠


 速攻を仕掛けた隆信に、見事な用兵で応えた勝利。

 駄市河原から山内までの撤退戦は、互いの長所を活かしつつも、決定的な打撃を与える事が出来ないまま、勝利の春日山入りを以て幕切れとなった。


 両家刃を交えて久しくなり、次は大戦となるかもしれない。

 佐嘉郡の者達は、密かにそう噂し合っていた。境目は強い緊張状態にあり、水面下では周囲の地侍達に対し、両勢力からの引き抜きが、しばしば行われていたという。

 

 そして調略だけではなく、隆信は再び兵を起こしている。

 弘治三年(1557)七月、龍造寺に従っていながら勝利と手を結んだ佐嘉の地侍、鹿江かのえ兼明(※二話参照)の館を攻め、これを制圧。

 佐嘉郡内における勢力基盤を、より強固な物としたのだった。



※ ※ ※ 



 だが、その二か月後の九月、突然佐嘉城に悲報が舞い込んだ。



「何とぞ、山内へ出兵を! それがしに先陣をお命じ下され!」


 山内にあった龍造寺の拠点、春日山城が、神代勢に襲われ陥落。

 その一報を聞くと、すぐに佐嘉城に駆けつけ、隆信に頭を下げてきたのは、宿老小河信安だった。


 弘治元年(1555)に山内を一時掌握した龍造寺は、麓近くにある春日山の古城を修理し、信安をその主とした。山内経営の最前線基地として活用しようとしたのだ。


 だが神代からすれば、その様な異物を見逃しておけるはずがない。

 山内に復帰した勝利は軍を起こし、現地の豪族、梅野氏を先陣、重臣松瀬氏を二陣に命じて城に攻め寄せる。


 これに対し、当時城にいた信安の弟、左近大夫や一族は、城内に残る者と、北の峰に上り、高みからの投石や矢を放つ者と、兵を二分して応戦。

 しかし奮戦むなしく城は陥落してしまう。そして左近大夫、他一族三人は、あえなく戦場の露と消えてしまったのだ。


「弟左近はそれがしの右腕にござった。父に続き、それがしが宿老の役を長らく務めて来られたのは、その支えがあったからこそ。共にすでに隠居間近となり、老後をどう暮らすか、ついこの前語り合ったばかりなのに、まさかこの様な事態になるとは…!」

「面を上げよ、信安。分かった。いずれ仇を取ろうぞ」

「いずれではなく、今すぐにでござる! 放っておけば神代の者達は、境目を徐々に侵食してくるに相違ござらん!」


 歯ぎしりを時折見せる信安の顔には悲壮感が漂う。

 確かに捨て置けない事態。山内攻略は振り出しに戻りつつある。

 だが、隆信には躊躇ためらいがあった。

 

(報復に及ぶにはまだ早い)


 彼は自分の戦歴を回想する。

 御家騒動における佐嘉奪回、勢福寺城攻め、谷田城攻め。いずれも計略を巡らしたり、不意を狙ったりと、優位な形を作った上で戦を仕掛ける。これが隆信の必勝パターンであった。


 しかし今、山内を攻めると言うのは、力業ちからわざでしかない。

 地の利は相手に抑えられており、厳しい戦いになるのは誰でも想像できるはず。

 だが、眼前の信安は血相を変えにらんだまま。理解しつつも感情が許さないのだろう。


 さて、どうやってなだめるべきか。

 思案する隆信だったが、それはやがて、しびれを切らした信安に遮られた。


「承服して頂けないのなら、我が一族郎党だけでも山内に向かいますぞ!」


 信安の懇願には怒気が混じっていた。

 そしてその目は充血し、ここに来るまでに泣き腫らした後を、くっきり残している。一族郎党だけで山内制圧など、無謀もいいところ。しかし彼は本気だ。討死覚悟で山内に向かうつもりなのだ。


 そう言われてしまえば、隆信に選択肢は無かった。

 勝ち目は乏しいかもしれない。だが自分の治政を長く支え、功績多いこの老臣をどうして失うことが出来ようか。

 それに目には目を、歯には歯を。毅然と報復する龍造寺の姿を、周辺国衆達にも見せつける事も重要であろう。


「よし、そなたの申す事、もっともだ!」


 隆信は力強く宣言する。

 思案に迷いがあっても、決断が中途半端になるの良くない。そう自分に言い聞かせる様に。


 彼はその場にて、一族家臣を大勢連れてゆく事、信安に先陣を任せる事などを約束する。そして、信安の満足気な返事を耳にして、ようやく安心したのだが……

 


※ ※ ※ 



「何っ、信安はすでに佐嘉を発った⁉」



 十月十五日、出立当日のこと。

 将兵をまとめて出立する予定だった隆信は、報告を聞いて耳を疑った。

 信安の独断先行。しかも「勝利の首をね、亡き一族に手向たむけるのだ!」と息巻き、一族郎党全てを動員していると言う。

 確かに先陣を任せているので、先行するのは当然のこと。しかしその下知を待てない程、彼ははやる気持ちを抑えられずにいたのだ。


 たちまち隆信の中で疑心が芽生えてゆく。

 まさか、勝手に戦を始めて、討ち取られたりしないだろうなと。

 神代勢は山に陣を敷き待ち構えていると聞く。そこにのこのこ向かい、戦を仕掛ければ、殲滅されるのがオチと言うもの。

 危機感を抱いた隆信は、急いで全軍に北上せよと命じる。


 するとその夜、同じく信安に対して懸念を抱いていた者が、隆信の元へ直訴にやって来るのだった。



「信安を先陣から外せ? 本気で申しておるのか、長信?」

「はい。信安は怒り狂うでしょう。しかし、今の彼は情緒が安定しておらず、指揮の乱れに通じるかもしれません」


 今日の信安は軍を強行させていた。

 朝早くに佐嘉を出立して北上し、まず春日山へと到着。

 だがそこに神代勢の姿を確認できず、すでに撤収した後だと悟ると、彼はさらに北上する。

 そして北の峠で骸と化した弟と一族郎党を見つけると、涙を流し、遺体を収容した後、春日山に退いたという。


 長信は危険視していた。

 単身で暗殺を企て館に乗り込むほど、勝利を討ち取ることに執念を燃やす信安が、一族の遺骸を見た翌日、まともな精神状態で戦えるのだろうかと。 

 しかし、大将たる隆信は、首を縦に振る訳にはいかなかった。


「明日は勝利のいる金敷かなしき山を攻めるのだぞ。我らは西から、信安には南からと命じておる。今さら変更出来るはずないだろうが」

「止められるのは兄上だけにござる。それがしだけでなく、複数の者が懸念しております」

「信安は歴戦の功臣だ。戦場に身を置けば、振る舞いも落ち着くであろう」

「いえ、敵討ちに逸る今の信安ならやりかねませぬ」

「やりかねない?」


 長信は少し間を置くと、静かに告げた。


「あの者は好機とみれば独りで動きたがる。その突飛な行動が裏目と出るかもしれませぬ」



※ ※ ※ 



「敵の様子を探って来るだけだ。すぐに戻って参る」


 翌朝、春日山。

 そこには陣中にいた家臣達に留守を頼み、金敷山へと向かう信安の姿があった。

 共は一人のみ。しかし危険を承知していながら、見送る家臣達は、誰も止めようとはしない。なぜなら大胆な行為に走る時こそ、信安は人の意見に耳を貸さないのを、皆知っていたからだ。


 夜明け直前の山中に、朝霧がわずかに立ち込める。

 季節は秋真っ盛り。すっかり肌寒くなったものの、爽やかな朝の中を、彼ははつらつと進んでゆく。


 もちろん周囲への警戒を怠っている訳ではない。

 だがこれまでの経験からして、彼には自信があった。少々の敵に襲われたところで、自分の武勇でいくらでも蹴散らしてやると。


 やがてうっそうとした山中を抜け、木々の隙間から、うっすら山頂が見えて来る。

 目を凝らすと、そこには立ち昇る白煙。確かに神代勢の陣があった。

 しかし勝利自ら率いている割には規模が小さく、軍旗もあまり見られない。


(勝利の奴め、おそらく慌ててやってきたので、満足な準備が出来ていないのだろう。殿の尻を叩いて、急いで攻め寄せた甲斐があったわ)


 そう推察して信安はほくそ笑む。

 こうして、敵情偵察という目的を果たした彼は、従者と共に反転し、来た道を戻ろうとする。その時だった。



(あれは……)

 

 気付いていなかった。

 いつの間にか信安の眼前には、金敷山から下り、こちらに向かってくる武将の姿があった。

 引き連れていた供は一人だけである。考えていた事は信安と同じで、密かに偵察にやってきたのだ。


 信安ははて、と立ち止まる。

 神代家中の中で大胆不敵な動きをする者。思い当たるのは一人だけ。

 疑惑を抱いた彼が目を凝らすと、その将は面長の顔に、武に通じていると思わせる、筋骨隆々の体格をしている。とても並大抵の者ではない。


 疑惑は確信へと変わってゆく。

 その間にも近づいてくる武将。次第にその顔と表情もはっきりしてゆく。

 鋭い眼光に、吊り上がった眉。そして真一文字に口を閉めた威厳充分の風貌。

 信安の双眸は見開いていた。

 忘れるはずがない。忘れる訳にはいかない。

 なぜならその男は──


 今の己の全身全霊を賭けて、討ち果たすべき敵なのだから!



「そこに見えるのは、神代勝利か!」


 腹のわった、信安の大声が山中に響き渡る。

 身の危険を感じたのか、一斉に飛び立つ周囲の小鳥たち。

 その喧騒が収まると、眼前の武将からの返答が響く。


「その声は小河信安であるな!」


 余裕綽々しゃくしゃくの勝利に、喜色満面の信安。

 両者は少しずつ間合いを詰めてゆくと、やがて供に離れる様に命じる。

 道は狭く、一人分の幅しかなかったのだ。

 

 そして槍先を突きつけ、宣言したのは信安の方だった。


「亡き弟と一族の導きじゃ! そなたの首を墓前に捧げよとな! いざ、勝負勝負!」

「面白い! ならば掛かって参れ!」


 

 片手で槍を構えた両者は、馬に鞭打ち駆けだして行く。

 龍造寺一の剛の者、信安と、肥前にその名を轟かせた天才剣士、勝利。

 後世に語り継がれる一騎打ちが、静寂に包まれた山中で始まろうとしていた。

 


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