第6話 退却戦
弘治二年(1556)十二月
山内の武士達の支援を受け、熊の川城を奪取すると、龍造寺の代官を尽く討ち取って回り、念願の山内奪回を果たしたのだ。
「さて、隆信めはどう出てくる?」
熊の川城を新たな本拠と定め、勝利は思索する。
山内の雪解けが進めば、奴の大軍が押し寄せて来るかもしれない。
ならばこの城を改修すると共に、山内の要所については備えを固めるべきであろう。方針をそう掲げた彼は、一族重臣達を招き今後について評議する。
すると進み出て意見を述べた者が一人、勝利の嫡男長良であった。
「父上の山内復帰に、隆信の
「しばらくは
「えっ?」
「春日山を奪い返し、奴等の城を破却するのだ。その上で
「恐れながら、それは龍造寺にとって、願ったり叶ったりの展開かと」
「ほう?」
何故なら平地で戦うのは不利だから。
我らが山内を奪い返せたのは、地理に通じた者が多く、迅速に動けたからである。しかし麓へ降りれば、地の利は龍造寺のもの。苦戦も免れないだろうと長良は説く。
すると、勝利はそれをにやけて聞いていた。
また石見守に視線を向けると、彼も同様の表情。そして二人して目が合ったことで、共にはっきりとした笑みを浮かべる。
その様子は長良をたちまち動揺させるのだった。
「あの、何か、それがしが誤った事でも申したのですか?」
「気にするな。そなたは戦場の経験がまだ少ないから、気付いておらぬだけだ」
「気付いていない……?」
眉間にしわを寄せる長良。
その表情を見て、勝利は真顔に戻って告げるのだった。
「いずれ分かる。平地においても、山内の武士達は屈強であるとな」
※ ※ ※
それから二か月後の三月。
雪解けが進んだ山内に、佐嘉からやってきた使者が、一大事をもたらしていた。
「龍造寺が
使者は佐嘉の国衆、八戸
八戸氏は佐嘉城の西に位置する、小さな国衆である。
龍造寺とは友好を築いていたが、天文二十年(1551)に起きた龍造寺家の御家騒動に関わり、反隆信派と結託。
一時、隆信を佐嘉から追放する事に成功したが、後に逆襲を食らって降伏に追い込まれた。結果、当主宗暘は隆信の妹と婚姻し、従属を余儀なくされていたのである。
しかし、この年(弘治三年、1557)になって、佐嘉で風聞が流れた。
「宗暘が勝利と手を組んで、隆信に反旗を
その証拠を掴んだ隆信は出兵を決意し、たちまち八戸城へと押し寄せる。
対して、驚いた宗暘は城に籠ると共に、勝利に援軍を求めたのだった。
「相分かった。すぐに向かう。それまで持ちこたえられよと、宗暘殿に伝えてくれ」
勝利の応諾に、使者は深々と頭を下げ礼を述べると、ただちに去って行く。
事は急を要していた。八戸城は佐嘉城の近くにあり、龍造寺の急襲に対応できず、混乱の中。しかも堀浅いため、攻め落とされやすいと言う、欠点を抱えていたのだ。
※ ※ ※
「よぉし、来たか!」
一方、龍造寺の本陣。
勝利自ら率いる神代勢が、八戸城に向かって進軍中。
その一報が飛び込んできた途端、喜びのあまり拳を握り締め叫んでいたのは、他ならぬ隆信だった。
彼はすぐに諸将を集め軍議を開く。
そして胸の内を明かしたのだが、その内容は諸将を面食らわせるものだった。
「八戸城を今から攻める! だが、城は落としても宗暘は見逃してやれ!」
『えっ?』
「北の神代勢に合流させる様、仕向けるのだ!」
「兄上、それはどういう意図で……?」
「いずれ分かる。皆、左様心得よ、よいな!」
そう告げて隆信は場を去ってゆく。
勝利と宗暘が合流し、助け合う事態になるのは好ましくないはず。分かっている上で、なぜその様な指示を下すのか。
尋ねた長信を含め、家臣達は一様に困惑の表情が浮かぶばかり。だが、事の漏洩を恐れた隆信は、決して真意を明かそうとしなかった。
そんな諸将に釈然としない思いが残る中、八戸城攻めは開始された。
城を幾重にも包囲し、数的優位を活かした龍造寺勢は、
対して八戸勢も頑強に抵抗する。
何せ宗暘が隆信に敵対するのは、これで二度目になる。落城すれば、今度こそ隆信は許すはずがない。国衆としての八戸家の命運は、この一戦に掛かっていたのだ。
しばらく続いた激戦。やがてその突破口を開いたのは、一人の若き武将だった。
「急所はあそこだ」
持ち場から城の周囲を眺め、彼は馬上でつぶやく。
切れ長で涼し気な眼差しに、口元にはわずかな笑み。その表情には自信が
彼は弓兵を呼びつけ、指差して命じる。火矢を射掛けよと。
指し示した先に見えるのは、城内の陣屋。そして後方には森があった。彼は風上に立った事を確認した上で、陣屋と森を焼き払おうと考えたのだ。
「ど、どうしたのだ、これは!」
「きゃあああっ! 誰か、誰か!」
効果はてき面だった。
火矢を放ってからしばらくして、城内から男女問わず狼狽える声が響き始める。
それを耳にして、彼は満足気にその場を去っていった。
城内は混乱の
炎は陣屋から森へ。そしてその白煙が、城全体をあっという間に包み込む。
煙を吸って呼吸困難に陥る者、敵が城内に侵入したと勘違いして、持ち場を放棄して逃げ出す者が続出し、とても戦どころではなくなってしまったのだ。
もはやこれまで。
次々に城内へ侵入する敵勢を目の当たりにし、宗暘他、城兵達は城の裏門から逃げようと試みる。
だが、行く先には、先の若武者が待ち構えていた。
「逃がさんぞ、城兵ども! 我が槍裁き、冥途の土産とするがいい!」
先程までの涼しげな眼差しは一変。
彼は鬼の形相で喊声を上げると、まっしぐらに突進してゆく。
相手が誰かなど気にしない。いくら返り血を浴びても気にしない。ただひたすらに叩き、突き、しごく。その槍裁きには、他者を圧倒してやろうとする執念が乗り移る。
その勢いは八戸勢を圧倒し、散り散りにさせていった。
宗暘は少数の家臣達と共に何とか城を脱出。そして隆信の読んだとおり、神代勢を頼り北を目指していったのだった。
「抜群の功であったな、信昌」
戦後の本陣。
信昌と隆信から呼ばれたその若武者は、武功を讃えられていた。
彼の顔は日焼けし、土ぼこりと返り血で黒ずんでいる。しかし眼差しはいつもの切れ長で涼し気なものに戻っており、
鍋島左衛門大夫信昌。
後の佐賀藩祖、諱を直茂と称するこの若武者は、当時十九歳。
母親が龍造寺一族(隆信の伯母)という事で、幼い頃、
千葉氏は中世において栄えた肥前の名家である。その本拠小城は、九州の小京都と称される程、文化水準の高い地域であった。
この家に養子として迎えられ、後継者となるべく育てられた信昌は、文武問わず一流の教育を受けていた。エリートと言っていいだろう。
群を抜く知識、教養、武芸、そして血筋。足らない物と言えばあと経験だけ。
彼は龍造寺重臣への階段を、着実に昇っていく最中にあった。
※ ※ ※
一方、勝利は軍を率い、山内を
そして八戸城陥落を知ると、陣を張り、逃亡してきた宗暘を迎え入れたのだ。
ここで龍造寺と戦を交えるつもりはない。もはや長居は無用である。
勝利は陣を払い、軍を反転し山内へと引き返そうとする。
しかし──
「りゅ、龍造寺の軍勢が押し寄せて参ります!」
勝利を含む神代の将達は、間者の報告に耳を疑った。
奴らはまだ城攻めを終えて間もないはず。しかも駄市河原は、八戸城から北へ六キロ程離れている。
にもかかわらず、これだけの距離をまっしぐらに詰め寄って来るとは──
「奴め、始めから狙っておったな!」
石見守は吐き捨てる様に叫ぶ。
八戸城が落ちれば、逃亡してきた宗暘と合流し、後に退却。
そう神代勢は動くと隆信は読み、退却の途中を襲うべく、速攻を仕掛けてきたのだ。
「殿!」
この危機をどう乗り切るべきか。石見守は勝利をうかがう。
駄市「河原」と言うだけあって、周囲は守りに適した地形ではない。
そして敵領内ゆえ、城や砦など頼れる要害も無い。
残された手は一つ。山内に退却するまで、龍造寺の猛追をしのぎ続けるしかないのだ。
だが、退きつつ戦うとは至難の
石見守から視線を背け、勝利はしばらくうつむいていたが、やがて覚悟を決め顔を上げた。
「弓兵を残らず集めて参れ! わしが直々に
※ ※ ※
決死の退却戦が始まろうとしていた。
すでに神代勢の多くは撤退中であり、勝利の周囲にいる兵は多くない。
その様子を不安視した石見守は、龍造寺勢が間もなくやって来ようとする中にあって、勝利に尋ねる。
「どうなさるおつもりで?」
「何、簡単な話だ。龍造寺の兵は城攻めの後、すぐにこちらに向かっているのであろう。ならば足腰のしっかりした者とそうでない者とで、やって来る速さに違いが出るはずだ」
「成程。ばらつきが生じるところを、少しずつ撃破してゆくのですな」
「そうだ。ならば行ってくる! 石見、援護は任せたぞ!」
「心得た!」
そう言い残し、勝利は槍を片手に最前線に赴く。
しばらくして彼の双眸の前に現れたのは、まっしぐらに迫って来る龍造寺勢の姿。
確かに数は多い。だがやはり兵達の足並みは大きく乱れ、包囲する気もない様だ。
そう察した勝利は、一息吐いて心を落ち着かせると、高らかに命じた。
「わしのそばを離れるな! 皆一丸となり、この危機を必ず抜け出すのだ!」
『ははっ!』
勝利の叱咤に将兵達は応えると、持ち場へと去ってゆく。
皆引き締まった表情に機敏に動き。そこには神代勢の戦意の高さが現れていた。
「射掛けよ!」
あいさつ代わりの牽制の矢。
石見守の号令の下、射程内に入った敵を神代弓兵が次々に射抜いてゆく。
「この大和守勝利の首、欲しい者は掛かって参れ!」
たちまち鈍る龍造寺勢の足。隙を突き、勝利は斬り込んでゆく。
そして乱戦の中、敵を引き付けるため、彼は槍を振るいつつ大声で挑発し始めた。
案の定、龍造寺の兵達が群がってくる。
その白刃を、勝利は次々に
無名の武者ならいざ知らず、勝利はかつて剣術で肥前に名を轟かせた者。
恩賞目当てで襲ってくる者の温い槍先など、彼の首に届く訳がなかったのだ。
また勝利を守ろうとする神代兵も、敵を圧倒してゆく。
自分は死地にいる。そして自分が倒れれば、勝利と味方が更なる危機に陥る。
少数ながらも一心となった彼等は、活路は前と覚悟を決め、ひたすらに突き進む。
「ええい、何をしている! 包囲して討ち取らんか!」
どこからともなく勝利の耳に飛び込んできたのは、龍造寺方の将の声だ。
だが城攻めを終え、長距離を駆けて来たばかりの兵達は、すぐに包囲に動けるはずがない。
ならば今こそ頃合い。
周囲の敵を追い払った事を確認すると、勝利は退却を下知し、敵に背を見せない様に後ずさってゆく。
しかしそこへ、大将首を逃すまいと、新手の龍造寺勢が襲いかかろうとするが──
「援護せい!」
石見守が再び弓兵に命じ、敵の足を止める。
その間、勝利は小休止をとり態勢を立て直すと、やがて再び斬り込んでいった。
この息の合った連携で、龍造寺勢を何度も翻弄した神代勢は、崩れることなく、じりじりと後退。
ついに山内春日山まで辿り着く事に成功したのだった。
※ ※ ※
「おのれ、ならば高城寺を焼き払え!」
戦後、隆信は怒りに任せそう命じている。
高城寺は山内の麓にあり、朝廷の勅願寺として、また鎌倉幕府の祈祷所として繁栄した、肥前の名刹である。
ここを焼き払うことで、神代勢を誘き出そうとしたのだ。
しかし目的を果たした勝利が、挑発に乗ることは無かった。
結局、戦いは勝敗がつかないまま、両軍共に引き揚げる事で、幕引きとなったのである。
「父上!」
大任を果たして帰城してきた勝利達を、長良は出迎える。
この時彼も従軍はしていたのだが、勝利達とは別行動を取り、一足先に戻っていた。
「それがし、いたく感動いたしました! 撤退戦を少数の兵でやってのけるとは! 我らの戦ぶり、近隣にも鳴り響きましょう!」
「……そうか」
目を輝かせて長良は褒め讃える。
だが勝利は気に留めなかった。長良の肩に、ぽんと手を置くと、そのまま去ってゆく。
疲れているためなのだろうか? 彼の振る舞いにしては余りにも
違和感を覚えた長良は、すかさず彼を追い掛け尋ねる。
「何かあったのですか?」
「帰りに不愉快なものを見てきた」
そう一言告げると、勝利は春日山の方角を指差す。
長良が目を
「山内に
勝利は吐き捨てるように告げると、脚を止めずそのまま去っていく。
山頂にあったのは龍造寺方の城、春日山城。宿老、小河信安とその一族が守備する、山内侵攻の足掛かりとなる要害であった。
ここを落とさなければ、山内の治安維持は
撤退戦を乗り切った勝利の視線は、早くも次なる標的に向けられていた。
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