第5話 山内心意気

この回の前半は、「龍の戦国 佐賀龍造寺氏戦記譚 家兼編」の21話 神代新次郎勝利(前)と22話 神代新次郎勝利(後)の要約になります。

すでに一読されておられるのでしたら、飛ばしていただいて構いません。



※ ※ ※ 



「おい、新次郎、起きろ新次郎」

「ん…… 何だ石見いわみ、まだ夜明け前ではないか?」

「今、不思議な夢を見た」

「分かったから揺するな。そうか夢を見たのか、良かったな……」


「興味無さ気に二度寝するな! あのな、わしの体がみるみる巨大になる夢だ。北山(※山内さんないのこと)に腰を掛け、南海に足を浸して洗っていた。これは吉、凶どちらの夢であろうか── あ、痛っ‼」



 時はさかのぼり、大永年間(1521~1527)頃の話。

 当時、まだ十代半ばだった勝利は、旧名新次郎を名乗っており、肥前の名家、東千葉家にて奉公に励んでいた。

 その家中で出会ったのが石見守。二人はやがて親しくなり、寝起きを共にするようになっていたのである。


 これは、そんな中で起きた、とある一夜の出来事──



「最低の悪夢ではないか」

「急に起き上がってくるでない! 額ぶつけたではないか! ……で、どう悪夢なのだ?」


「よく考えてみよ、人の体がそんなに伸びるわけがあるまい。おそらくどこかで切れてしまっていて、命は一刻を争う事態となっているはずだ」

「な、何、そういう物なのか?」


「そうだ。だが悪夢は人に売り払えば、吉夢に転じると言われている。お主の夢、わしが買ってやろう」


 そう言って新次郎は起き上がると、自分の身の周りの小物を収めた、葛籠つづらの中を漁りだした。

 聞き始めのやる気の無さから、思わぬ変貌ぶり。石見守は些か怪しまずにはいられない。しかしその疑いは、眠気の前にいつの間にか霧散していた。


 やがて新次郎はとある小物を取り出すと、石見守の前に差し出した。


「こ、これは……!」


 石見守の目がたちまち丸くなってゆく。

 それは金で作られたこうがい(※髪を掻き揚げて髷を形作る結髪用具)だったのだ。しかも僅かな月明りにですら反射して輝くほど、立派な装飾が施されていたのである。


 悪夢の替わりに、こんな貴重な物をもらってよいのだろうか?

 新次郎からおもむろに手渡された彼の心に、そう躊躇いが生まれない訳がない。


「では石見、もう一度寝るぞ。夢は受け渡しをせねばならぬからな」


 だが何事も無かったかの様に、新次郎は促す。

 それを聞いて吹っ切れた石見守は、厚く礼を述べると、満足気に笑って再び横になった。

 だが彼は、新次郎が不敵に笑いながら眠りに落ちたことを、知る由も無かったのである。


※ ※ ※ 



 それから数年後の天文元年(1532)、新次郎は山内の豪族の一つ、三瀬宗利の城に入った。二十二歳にして、山内の盟主として迎えられたのである。そしていみな勝利かつとしと称したのだった。



 当時、山内は小豪族が割拠するまとまりに欠けた所。乱世を生き延びるためには、指揮する盟主を必要としていた。

 そんな中で宗利は、剣の達人として山内鬼ヶ鼻にて道場を開いていた、新次郎の存在を知った。 

 やがて彼は新次郎と面会し、山内の盟主にふさわしい人物と判断する。結果、山内全ての豪族の了承を取り付けて、彼を城に迎えたのだ。

 

 そして就任した日の夜、石見守は新次郎から二人きりで飲もうと誘われる。

 その席上、彼は懐から小物を取り出して、新次郎に告げたのだった。


「これを覚えておるか、新次郎?」

「当たり前ではないか。その金のこうがいで、お主の見た夢を買って、わしの夢とした事、忘れるわけなかろう」


「北山(※山内のこと)に腰掛け、南海に足を浸す──この夢を正夢とするには、まだ道半ばだ。北は抑えたが、南海に至るまでには、立ちはだかる者がいる」

「そうだな」


『龍造寺』


 思いがけず二人の声が重なる。

 

「今肥前で最も勢いのある国衆。相手にとって不足はない。いずれわしの支配下に収めてやる。石見、今後も力になってくれるであろう?」


「無論ではないか。これからもわしはお主と共にある。この笄も、夢の成就まで決して手放しはせぬ。そして新次郎と、お主の名を呼び捨てにするのは、今宵で終わりだ」


 そう告げると石見守は姿勢を正し、深々と平伏した。


「この石見守、以後、新次郎様を殿としてお仕えしたく存ずる!」


 石見守の腹の座った低い声が部屋中に響き渡る。

 この覚悟に新次郎が応えないはずがない。

 彼は盃を置いて石見守に近づくと、両肩を抱いて「宜しく頼む」と、頭を下げたのだった。



※ ※ ※ 



「その様な事があったのか……」

「はい。この石見守、二十余年殿と苦節を共にしてきたのは、その人柄に惹かれ、夢を成し遂げたいと願ったためにござる」

「うらやましい。わしもその様な家臣に恵まれたいものだ」


 石見守の回想を興味深く長良は聞いていた。

 ゆくゆくは神代家を背負う彼にとって、勝利と石見守、二人の君臣の姿は、生きたお手本そのもの。今の自分と比べずにはいられないのだろう。


 一方、石見守からすれば、長良とは親子程の年齢差がある。

 年月を経て、過去を素直に省みる余裕ができたため、その口ぶりは、穏やかで滑らかだった。


「いずれは叶いましょう。そしてこの話、長良様とも無関係ではござりませぬ」

「何?」


 石見守は力説する。

 勝利が盟主となる前、山内は大内や少弐など、九州における大勢力の顔色を、窺うばかりであった。

 勝利はその情勢を変えられると、民から期待されている。龍造寺を倒し、有明海に進出して、肥前の一大勢力となる事は、山内の者達の幸せにも繋がるはずだ。


 だが、勝利が果たせなかった時には、その希求に長良が応えなければならない。

 勝利も石見守も、すでに四十の半ばに差し掛かっており、いつ代替わりがあってもおかしくない時期を迎えている。長良にはその覚悟を、ぜひ心に留めてい置いて欲しかったのだ。


 穏やかな石見守の話しぶりが、いつの間にか熱を帯びてゆく。

 対して、感心していた長良は傾聴に徹し、何度も深々とうなずくのだった。


「相分かった。だが石見、その前にまず山内に戻らねばな」

「はい。それがしが思うに、殿は再起を諦めた御様子でしたが、一つ肝心な事を忘れておられる」

「忘れている?」


「山内に住む者達の情のあつさは、並大抵ではないという事にござる」



※ ※ ※ 



 そして年をまたいで弘治二年(1556)。

 石見守の言葉は、徐々に現実のものとなっていた。

 生活苦を聞き金銭や食料を届けるべく、山内から勝利の屋敷に忍んでやって来るが、次第に増えていた。

 

 龍造寺により、山内の道々の通行は常に監視されていた。

 たが、やはり完全なものとは言えず、裏道を選び、商人や僧侶などに変装するなどした山内の者達は、巧みに警戒網をすり抜けていたのだ。


 そして転機は秋に訪れた──


「そなた…… 生きておったのか⁉」

「はっ、お久しゅうござります、殿!」


 勝利の館にひょっこり姿を見せたのは、かつての近習、馬場四郎左衛門であった。

 頭に手ぬぐいを被り、近くの農民に扮してやって来た彼は、山越えの疲れもあって、勝利の眼前に崩れる様にひざまずく。

 しかしその瞳は、勝利や旧臣達と再会できた喜びに満ちており、強く輝いていたのだった。


「御一読を」


 そう告げて四郎左衛門は、懐から書状を取り出して手渡す。

 聞けば、彼は谷田城が落ちた後、行方知れずとなっていたが、山内の諸豪族の好意を受け、その居館を転々としていたという。

 書状とは、彼をかくまった豪族達が連名でしたためたものだった。


 ──殿の山内復帰のため、我々は尽力するつもりである。ついてはその計画のため、一度集まって協議がしたい。


 勝利ははっとして、書状を手にしたまま四郎左衛門を直視する。

 すると眼前にいた彼は、いつの間にか深々と平伏していた。


「山内の民は太陽を求めております!」

「…………」

「殿と言う太陽が再び昇るのを、今か今かと待ち望んでおります!」

「大それた例えだな。一介の浪人に堕ちたわしに、再起を求めるか」

「求める声は、一通だけに非ず!」


 四郎左衛門は顔を上げ声高に告げる。そして紐で綴じられた書状の束を、懐から取り出すと、勝利の前に差し出した。


 受け取った勝利は一つずつ目を通してゆく。そこには懐かしい名が並んでいた。

 戦場で常に後れを取っていた臆病者であったが、勝利に見い出されて奮起し、先駆けが出来るまでになった近習達。

 狼藉を繰り返す家中の山伏に悩まされていたが、勝利の厳正な仕置きにより、平穏を手に入れた村の者達。

 諸外国との交易品を扱う自分達を招き、活発な商いを奨励してもらった商人達。

 皆、勝利との出会いと、統治を有難く思い、再起を期待していたのだ。


 そして──


「皆の想いは一つ、応えるべし!」

「…………」

「皆、殿の旧恩に今こそ応えるべしと息巻いております! この四郎左衛門も思いは同じ! 龍造寺との戦乱で孤児となったそれがしを、拾って近習に取り立てて頂いた御恩、未だ返せておりませぬ!」


 四郎左衛門は勝利を直視していた。

 彼だけではない。石見守もその他の家臣達も、場に居合わせていた者達、皆勝利に期待の視線を送っている。 


 あつい。

 そして熱かった。

 山内を追われていてから、しばし忘れていた、この情感。

 それは、しっかりと受け止めた勝利をたぎらせ、衝動へと駆り立てていた。


「石見、館はどこだ?」

「はっ?」

「再起に向けての話し合いができる館だ。どこにある?」

「……殿ぉ!」


 思わず笑みをこぼす石見守。

 そして周囲の者達も次々に歓声を上げゆく。

 長らく塞ぎ込んでいた勝利の顔は、それを聞き、いつの間にか笑みを取り戻していた。

 

「まずは作戦会議を開かねばな。ここから出向くのに容易たやすく、皆も集まり易く、龍造寺の監視が緩くて、協議に使えそうな館がある場所だ。どこにある?」

「…………」


 余裕ができたのか、突然飛び出す勝利の冗談。

 聞いた石見守の笑顔は一転、しかめっ面に変わる。

 だが応えてはいたのだ。その口を「あ゛?」の形にすることで。そんな都合の良い場所があるか、と言う咄嗟とっさの抗議である。


 しかしよくよく考えてみると、一つの候補地が彼の頭に浮かぶのだった。


「……あえて言うなら、大野山にござる」


 ふてぶてしく彼は返答をする。

 大野山は山内でも、佐嘉郡ではなく、西隣の小城おぎ郡内にある山。

 佐嘉を本拠とする龍造寺にとっては遠く、警備は手薄であろうと言う訳だ。

 

「よし、皆にすぐ返書をしたためる。しばし待て」

「まさか、殿が直接出向くのではないでしょうな?」


 問いかける石見守の渋い表情は、物語っていた。

 協議など家臣の誰かを派遣すればいい。勝利自ら出向いて、道中に龍造寺の者達に捕まれば、全てが水の泡となってしまうではないか。事は慎重に運ぶべきだと。


 しかし、覇気が蘇った勝利にとって、それは些細な問題に過ぎなかった。


「当たり前であろう! この熱気にわしが応えないでどうするのだ!」 



※ ※ ※ 



 時は移り、冬十二月。

 山内のとある城に、ハズレくじを引いた者が二人いた。


「おい、ここで寝るな。風邪ひくぞ」

「へっ、どこで寝たって同じじゃねえか」


 うち一人は酩酊していた。

 無理もない。この日は大みそか。しかも大雪に見舞われて身動きが取れず、酒を飲む以外にする事がなかったのだ。


 場所は熊の川城。

 勝利の本拠だった谷田城の近くに在り、龍造寺が代官を置いていた所である。

 山内警備のための拠点であったのだが、この日は緩かった。新年の支度で忙しかったためである。


 しかし支度も終わり、すでに深夜を迎えてのだが、不幸な事に、二人はその日の門番担当だった。

 やる気が出ないのは当然だろう。こんな時刻と状況の中、襲撃にやってくる者などいるはずがない。案の定、酔っ払い座り込んでいた門番の頭は、すでに稲穂の様に垂れ下がっていた。

 

 するとそこへ、彼に覆いかぶさる様に現れた人影が、低くささやくのだった。


「そうか、眠いか。ならばそのまま眠るがいい」

「……へっ?」

「永遠にな」 


 刹那──

 門番は警戒して立ち上がろうとしたところを、瞬く間に袈裟斬りにされて息絶えてしまった。


 そしてもう一人の門番も顔面蒼白に。

 慌てて寒さで震える手で太刀を抜くが、襲撃した男の背後には、数人の人影があった。それを見た彼は恐怖心に逆らうことなく、一目散に逃げ出していったのだ。


 城門制圧。

 そして襲撃者の中から一人の武者が進み出ると、門番を斬り捨てた男に小声で話し掛ける。


「腕前は健在だな、石見」

「武士の心掛けは常在戦場。この程度、造作もないことにござる」

「隠居したら昔みたいに、鬼ヶ鼻で道場を開くか。今度はそなたが師範と言うのも悪くなかろう」

「全く、冗談は城を制圧してからになされよ!」


 茶化す勝利に、呆れる石見。

 そして二人の脇をすり抜け、数十人の味方が、城内へと突入してゆく。

 襲撃を受け、城内はたちまち修羅場と化す……はずがなかった。

 城兵は数人、敵は数十人、しかもここは異郷の地。龍造寺兵の誰が好んで戦おうと言うのか。

 結局、ろくに抵抗する城兵などおらず、その夜の内に、城は神代勢の手に落ちたのだった。


 大みそかなら、皆忙しいため防備は手薄だろう。

 大野山で開かれた協議の結果、勝利と山内諸豪族の読みはズバリ当たった。

 彼等は続けて、山内各地に置かれていた代官を、次々に襲い制圧してゆく。

 やがて山内中に知れ渡る勝利再起の一報。それは喜びをもって受け止められ、手伝おうと駆けつける、志願兵の数を続々と増やしていった。


 その中には、親しくしていた與止日女よどひめ神社の社頭、小野式部の姿もあった。彼は勝利の元に駆けつけると、戦勝を祝し、将兵に粥を振舞ったのである。


 当時は戦が重なり、疲れや負傷のため、流石に士気が下がっていた。しかし、皆、この粥で元気を取り戻していったという。


「平時の御馳走より、この粥の方が旨い」


 感激した勝利は礼として、以後毎年小野式部に、米十二石を贈り続けている。

 こうした人々の援けを受け、一月中に山内全てを制圧した彼は、再び盟主に返り咲いたのだった。

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