第4話 勝利没落

「太鼓を鳴らせ! 山内の者達に至急知らせるのだ!」

「はっ!」


 勝利の指示を受け、家臣の一人はひざまずき一礼すると、すぐに駆けだして行く。

 神代家の本拠、谷田城は大混乱に陥っていた。

 軍勢を東に向けるという、龍造寺が流した偽情報に引っ掛かり、備えを疎かにしていた所を、急襲されてしまったのだ。

  

 城にいるのは僅かな兵のみ。近隣から松瀬、梅野、小副川など、従う豪族達が駆けつけるが、焼け石に水。加えて満足な戦支度も出来なかった。


「隊を二つに分ける! 一手はわしについて参れ!」

 

 駆けつけた者達を集め、勝利は下知する。

 耳に飛び込んできたときの声からして、おそらく龍造寺勢は我らの数倍はいるだろう。 

 だが自ら難所に向かい、最前線で兵を鼓舞しつつ戦えば、援軍到着までの時を稼げるかもしれない。

 谷田城が要害であることも踏まえ、彼はその方針に一縷いちるの望みを賭けていたのだ。

 しかし──


「あ、あやつらぁ!」


 勝利のそばにいた石見守が、突如声を荒げる。

 龍造寺勢は東、南の二方面から攻め寄せていたはず。だが鬨の声が、北側の高山からも聞こえてくるではないか。

 馬鹿なと思い、うかがった勝利の先には、高山を駆け降りる龍造寺勢の姿。見下して戦っていた相手に、いつの間にか背後を取られていたのだ。

 

 彼等が驚くのも無理はない。

 北側の龍造寺勢は、城の東から迂回し、峰伝いに山を登ると、本隊と時を同じくして攻め寄せていた。

 それは偽りの情報を流しただけでなく、城周囲の地形を調べ上げ、絶妙のタイミングを推し測った上で仕掛けるという、隆信の用意周到さを物語っていたのだ。



「殿!」


 もはや成すすべ無し。

 悟った石見守は、血相を変えて勝利の元へ。

 しかしこの絶望的な状況下にあっても、勝利は意に介する事無く、槍を振るいながら叫ぶ。


「石見! 龍造寺の兵はもろいな!」

「はあ?」

「しぶとさが足らん! 温暖な佐嘉の地で育った者達が、数を頼みにやってきただけだ! わしが槍で少し可愛がってやったら、すぐ逃げ出しおる! やはり武士は山内の者達に限るな!」


戯言ざれごとなら後になされ! もはや潮時にござるぞ!」

「分かっておるわ! 女子供、老人達を先に城から逃がせ!」

「逃がせではなく、殿も逃げられよ!」

「たわけ! わしを誰だか忘れたか!」


 忘れる訳がない。己の人生をこの主に賭けたのだから。

 近隣に名を轟かせる程の剣の腕前。得物を槍に変えても、切先はやはり鋭いまま。

 必ずその武を以て、近隣に覇を唱えるだろう。

 必ずその威徳を以て、人々を導く太陽となるだろう。

 仕えて二十余年過ぎても、その思いは変わる事はないのだ。



 だが今は多勢に無勢。

 土塁を乗り越え、柵を倒し、次々と城内へと押し寄せてくる龍造寺勢は、食い止めようがなかった。

 激戦の末、勝利主従は、城山の間道を伝って、ついに撤退。

 そのまま山内に留まる事が出来なくなり、落ち延びる羽目になってしまったのだった。



※ ※ ※ 



 一方、してやったりの龍造寺。

 半日足らずで政局を一変させ、初めて山内に踏み入ったのだ。これは長い家の歴史の中で、初めての快挙であった。

 しかし問題は、これからどの様に山内を治めるか。奪うよりも治安を維持し続ける方が難しいのだ。

 戦後、佐嘉に戻った隆信は、その件について重臣達と評議を行う。結果、一つの決断を下すのだった。

 


「えっ、それがしが山内を?」

「驚く事ではあるまい。むしろそなた以外に、誰が適任だというのだ」


 隆信が白羽の矢を立てたのは、小河信安であった。

 何せ刺殺しようとして城に忍び込み、勝利と酒を酌み交わした話は、山内でも評判になっている。その名声をもってすれば、領民達も従うだろうと言う訳だ。


 しかしこの名誉ある大役に、信安は喜ぶどころか、うなったまま頷こうとしない。


「せっかくの御意向なれど、それがしと我が一族郎党だけで山内を治めるのは、いささか荷が重うござる」

「治めるのではない。にらみを効かすだけだ。そのための城も築く」

「ほう?」


 隆信は詳細を説明する。

 山内は、小城おぎ、佐嘉、神埼の、東肥前三郡の北側に広がる山岳地帯である。佐嘉南部を治める龍造寺からしたら、とても手の回る範囲ではない。


 しかも今回の戦いは、神代一族を追い落としただけで、山内の豪族達は、ほぼ無傷のまま。二十年以上、勝利と主従関係にあった彼等に、「勝利がいなくなったから、今日から龍造寺に従え」と通告しても、納得するはずがないだろう。


 そこで隆信は、山内の要所に代官を設置し、加えて麓近くの春日山に城を築き、にらみを効かせるだけにした。その城主に信安を抜擢しようとしたのである。


 

「敵対していた者でも従うのならゆるす、という度量の広さを示すのだ。今はなびかなくても、年月を経れば、我らの徳は必ず伝わるだろう」


 鼻息一つ、隆信は自信をのぞかせる。

 敵対した者でも基本的に一度目は赦す。これは隆信が御家騒動の際に学んだ、国衆や地侍達に対する処遇方針であった。


 対して、城主という事であればと、信安は承諾して平伏する。

 しかしその頭の中で浮かんでいたのは、酒宴の際、勝利に喜んでもらおうと張り切る家臣達の姿だった。


(神代家の者達は勝利に心服している。これで果たして上手くいくのだろうか?)



※ ※ ※ 



 それから数日後、旧暦の八月下旬のある日──

 夏から秋へと季節が移り変わる中にあって、梅雨ほどでは無いが連日続く雨は、次第に人々の気持ちを憂鬱ゆううつなものに変えていた。

 

 場所は、山内の山々を北に越えた先、筑前怡土いと郡糸島長野。

 勝利一行は、ここに勢力を張る国衆、原田隆種を頼り潜伏していた。 


 やって来た当初は、流石に皆、疲労困憊こんぱいだった。

 思い掛けない追放にい、山越えを強いられ、辿り着いた先は異郷の地。

 これからどうやって生活していけばよいのか。

 雨露を凌ぎながら途方に暮れていたところ、頼みの綱となったのは、原田家との長年の友好であった。


 勝利一行をかくまう事を承知した原田家は、彼らに糸島長野の地にあった屋敷を与えた。

 それは、山内からわずか三里ほど離れた所にあり、近くの山に登れば、山内の山々を、いつでも眺めることが出来たという。原田家の配慮がうかがえる。

  

 しかし勝利自身は、日々屋敷に籠らざるを得なかった。

 警護する者が少ない中、龍造寺からの刺客に警戒しなければならなかったのだ。

 そのため確かに身体の安全は確保できたが、山内を失ってしまった後悔の念だけは、どうしても癒せないままでいた。


 ならばせめて、山内の旧臣達と連絡を取ろうとするが、それも上手く運ばない。龍造寺代官達が道々に警戒網を敷いていたため、再起に向けての結集を図るのは容易ではなかったのだ。

 

 次第に覇気を失ってゆく勝利に、気を揉む家臣達。

 だが、特効薬などあるはずもなく、時ばかりがいたずらに過ぎてゆく。

 

 そんな中、石見守は勝利から、思い掛けない提案を打ち明けられるのだった。



「今…… 何と申された⁉」

「経典は山内に埋めると申したのだ。おそらく、わしが生きている内に、山内に戻る事は難しいであろう」

「これはしたり! 長年の望みを捨てるとは弱気になられたのか! 殿らしくもない!」

「弱気にあらず。己の運命を悟ったのだ」


 声を荒げた石見守の制止に、勝利は諦めの籠った声で答える。

 居間には彼等の他に、配下の山伏、勝利嫡男の長良、そして数人の家臣がいる。

 しかし二人の威に押された彼らは、口が挟めるはずがなく、固唾かたずを飲んで、口論の行く先を見守っていた。



 原因となっていたのは、法華経典である。

 神仏を篤く信仰していた勝利には、かねてより大望があった。所持していた法華経典六十六部を、ゆくゆくは配下の山伏達に頼み、武運長久、家門繁栄を願って、全国の大社に奉納したいと考えていたのだ。


 ところが計画は、今回の襲撃で見通しが立たなくなった。

 経典は戦火を免れたが、このままだと、文字通り宝の持ち腐れとなってしまう。

 そこで勝利は山伏達に頼み、山内にある山ノ神という所に、奉納させようと思いついた。これに石見守が憤慨していたのである。


「我らの足跡を山内に遺すのだ」


 そう告げて、勝利は経典を山伏達に渡す。

 主が大事にしていた物と知り、山伏達はうやうやしく一礼して受け取ると、その場を後にする。後に彼等は、山ノ神に塚を築いて石碑を建立し、その塚が今でも残っていると言う。


 だが、足跡を遺すという言葉は、石見守を激しくいら立たせた。

 山伏達が退出して、一仕事終えたとばかりに一息つく勝利を、彼は臆する事無く睨みつける。


「何もお感じになられないのか?」

「ん?」

「まるで死期を悟った者が、遺産を分け与えている様にしか、それがしには見えませなんだ! 悔しくはござらんのか!」

「山内の盟主とは、下々の者達の支持あってこそだ。その者達との繋がりが断たれた今、わしは一介の浪人に過ぎん。足掻あがいてどうなるものでもあるまい」

「何と!」


 二の句が告げず、石見守の口は半開きになってしまう。

 だが直後、眉間にしわを寄せた彼は、声を荒げ激しい憤りを勝利にぶつけていた。

 

「この程度の苦難で諦めるとは、初心を忘れられたのか!」

「この程度……?」

「殿が盟主に選出されたことで、山内が一つにまとまったのは、何のためでござったか⁉」


 それは外敵に相対するため。

 山内で暮らす者達の治安を脅かす、龍造寺の如き外敵に対抗するためだ。

 ならば盟主たる勝利の目は、常に外を向いていなければならない。今でも山内の人々は、それを求めている。諦めるにはまだ早いのだ。


 だが、直言とは耳に痛いもの。石見守の熱弁を聞いていた勝利は、次第に憮然となり、彼から視線を逸らしていた。

 今までならば、皮肉の一つでも言って受け入れられたはず。それは今、彼の気持ちに余裕がない事を示していた。


 逆に、彼が口にしたのは、石見守が聞きたくない一言だった。


「ならば、わしに失望した者は去っても構わん」

「殿!」

「申したであろう。もはやわしは一介の浪人に過ぎんと。安全に身を寄せる所がある者、功を成し出世したい者は、去った方が好都合であろうが」


「今更仰せられるな! 残っているのは、殿を慕い、苦難を共にしようと、故郷を捨てた者達! それを見捨てられるのか!」

「石見、そなたも──」

「止められよ!」


 響き渡る石見守の一喝。

 そして彼は、金細工が施された一つの小物を懐から取り出すと、勝利の前に突き出した。


「それがしが誰なのか、殿は忘れられたのか!」


 忘れる訳がない。必ず果たすと誓い合ったあの約束を。

 そのために、この二十余年もの間、共に奔走してきたのだから。

 だが現実はどうだ。

 先に喫したのは、生涯における最もみじめな一敗。ここからどう立ち直ってゆけば良いと言うのだ。


 勝利は俯くと、「以上だ」と吐き捨てて、席を立ち去ってゆく。

 それを受けて、居合わせていた家臣達も、石見守に同情の視線を送りつつも、厳しい表情のまま続々と退出していく。 


 居間に残っていたのは、降り続く雨が地面を打ち付ける音だけ。

 その中で石見守は、収まらない憤りから、しばらく眼を閉じて悔し気にうなだれるのだった。



※ ※ ※ 

 


 ところが、そこには居残っていた者がもう一人いた。

 


「……それはこうがい(※髪を掻き揚げてまげを形作る結髪用具)か?」


 石見守が視線を上げてみると、そこには長良の姿があった。

 まるで石見守の機嫌をうかがう様な、穏やか問い掛け。それに応じ、彼は手にしていた小物を、長良にはっきりと見せて告げる。


「左様。殿とそれがしとで交わした、誓いの証にござる」

「誓い? その様なこと、父上からは何も聞いてはおらんが?」

「照れもございましょう。人前で話すのははばかられるものにござる」


 石見守はそう告げて笄を懐にしまうと、居間から去って行こうとする。

 だが襖を開けようと手を掛けた時、背後から長良に、ひと際大きな声で尋ねられるのだった。


「何があったのだ、石見⁉」

「…………」

「昔、そなたと父上との間に何かあったのであろう⁉ わしに教えてくれんか?」


 しばしの沈黙。

 その間、石見守は動こうとはしない。

 だが、やがて振り返ると、険しさを残したままの表情で、彼は長良に尋ねる。


「どうしてもお知りになりたいのですか?」

「ああ」

「殿の大事にござれば他言は無用。お約束頂けますかな?」


 首を縦に振る長良。

 それをじっと見ていた石見守は、やがて長良の眼前にやって来て座り込むと、緊迫した表情を柔らかなものにしたのだった。



「よろしゅうござる。ならば今から、それがしと殿との間であった昔話を、しばしお聞き下され」

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